題   改憲議論と環境権
氏名  鷹羽 登久子
 石原氏の講演を聴いたのは6月。国民投票法の成立が5月14日であるから、まさに直後のことである。講演も多くは年金問題に時間が割かれていたが、年金問題については今回の参院選の政争の具にされた印象が強く、問題点は以前からあったものであり、陽の目を見、会期延長してまで対応諸法を成立させたことから、議論は一旦見合わせ法成立後の推移を厳しく見守る段階にきたと思っている。
そこで、講演の中で印象に残った改憲論、中でも環境権についてレポートすることにする。

 「環境権」という単語は、温暖化を始めとする地球規模の環境破壊が叫ばれる昨今、タイムリーな新しい権利の印象を受けるが、調べてみると1970年の公害国際会議において「環境を享受する権利と将来世代へ現在世代が残すべき自然資源をあずかる権利を、基本的人権の一種として、法体系の中に確立することを要請する」との東京宣言を採択し、環境権を初めて世に問うたのが、我が国におけるスタートと言われている。日本国憲法1946年の公布より24年後である。その後現在まで37年の間、概念と理論的位置付けはすすめられてきたのであるが、環境権は憲法に明記された基本権でないが故に、公害訴訟などで司法救済ができない状況に甘んじざるを得なかったというのだ。様々な公害訴訟の過程において、他の基本権の応用の中に環境権を位置付けようと、13条の幸福追及権(人格権)と、25条の生存権を用いてみたものの、その全ての判決で「環境権という権利を憲法に根拠づけて認容することはできない」とする見解を裁判所は示してきた。司法がそのような判断を下した以上、現憲法では環境権はどうしても定義できなくなってしまったのだ。

 このように、現憲法成立から現在までの半分以上の期間、環境権は議論され必要が認められてきた。さらにその推移のみならず、我が国の現状をも考えてみると、環境権は憲法に盛り込むべき新しい権利の中でも、必須とまで言えるのではないだろうか。環境問題は、京都議定書や洞爺湖サミットなど、外交上リーダーシップを十分発揮しうる分野であるし、ハイブリッド車を始め技術的にも先進的なものを多く持っている。地方自治においても環境条例が次々と策定されていくなかで、根幹をなす憲法に根拠がないのだ。世界各国に比しても稀な状況である。
改憲議論を9条のみに限定し、改憲すべきでないとする考え方がある。しかし、必要な基本権が不足した状態で不便をきたしていることに言及せず、かたくなであり続ける意義は何だろう。戦後の移り変わりの中で、憲法改正は時期が満ち、冷静な議論のもと取り組むべきと考えるのである。

参考、引用:憲法論議に環境権を明確に位置づけるために/笹山登生
http://www.sasayama.or.jp/opinion/S_21.htm