| 死刑制度を通して感じる事 下方 郷嗣 |
| 今回のテーマは死刑制度の賛否についてである。しかし、賛成か反対かという単純な二極論で考えるには現状に問題点が多く、結論する事ができない。死刑が適用される唯一の行為が殺人であり、ハンムラビ法典に示される目には目をという考え方は非常に単純明快である。ルールを破った者には相応の罰が科せられるべきであるとの考えには多くの人が賛同するところであるが、果たして死刑は犯罪の抑止力であるのだろうか。罪を憎んで人を憎まずという考えを持ち、歪んだ社会構造を矯正しなければ犯罪の根源は完治しないのではないか。 マスコミで頻繁に引用される日本人の右傾化という言葉に示される通り、死刑制度存続もしくは制度の拡大を望む声が一般的である。親族を惨殺された遺族であれば被告の死刑を望むのは当然の感情であろうが、果たして事件の当事者でない第三者まで死刑を望んでいる現状が正常なのであろうか。もちろん犯罪者の再犯率が50%を越える現状を考えれば我が身と家族を守る為には死刑やむなしである事は認めざるを得ないが、安易な死刑賛成は殺人者と同様に人の命を軽んじた考え方ではないだろうか。つまり、犯罪者もその傍観者もこんなやつ死ねばいいのにと考えている点で同じではないか、と思うのである。 光市の母子殺害事件に関する報道は記憶に新しいが、原告の本村さんは被告に死刑を望む一方で、自分の活動が死刑制度加速に繋がる事には懸念を示されている。裁判の簡素化が進む中で死刑制度の適用が拡大されれば、事件の根幹を闇に葬り去る危険が伴うのである。これでは同種の罪を犯した人間を社会から抹殺するだけの対処療法にしかなり得ない。犯罪の再発防止の為には事件の真相解明が必要であり、被告が犯罪に至った心境を読み解く事が必要である。被害者が出てしまう事は心の痛む問題であるが、事件を一つの事例として将来の安全に活かさなければならない。 死刑制度廃止論者は人権問題を語る事が多いが、社会のルールを破った犯罪者に憲法の権利を与える必要はない。だが、現在のように目には目をという考え方が強く前面に出た風潮は弱肉強食の殺伐とした世の中を象徴しているように見える。我々は死刑を執行する事で問題が全て解決するといった錯覚に陥っていないだろうか。果たして死刑を宣告され憎しみの目を向けられてきた人間が自分の本心を素直に語りたいと思うだろうか。まずは犯罪者の閉ざされた心を解き放ち、事件に至った心境に耳を傾ける事が必要ではないか。安易に死刑を迫り刺激するのではなく、贖罪の為の時間を与える事が将来の安全を確保する上で必要ではないか。しかしながら、例外なく全ての犯罪者を更正させる為の術を我々は身に付けておらず、有期刑に処する事は国民の安全を損なう行為である。以上を考慮して、犯罪の抑止と再発防止の為に死刑制度を撤廃し終身刑の導入を検討するべきである。 |