日本の死刑制度について
水川 淳
死刑制度は存続すべきという考え方で論を進めたいと思う。

死刑廃止の理由には、
人権問題(何人たりとも何れのときも人を殺すことは悪であり、国家権力をもって人の生命を奪うことは論理矛盾でもある)
執行に携わる者の負担が大きい(判決を言い渡す裁判官、死刑囚とともに生活し、かつ、執行する立場となる刑務官、執行に立ち会う教戒師や所長、そして執行を命令する法務大臣(もちろんその命令書を起案し、上申する担当者を含む関係者も含まれる)など)
誤判の救済が永久に不可能となる

などが挙げられる。

 そして、存続の理由についてもいろいろなものが挙げられるが、なぜかこの問題を考える際に、存(死刑制度は残すべき)廃(死刑制度は廃止すべき)ではなく、起(死刑制度はなぜあるのか?)が問われることが少ないような気がする。

 人間の社会が成熟し、現代になりようやく刑罰に「教育」としての考え方が生まれてきたわけであるが、乱暴に言い切ってしまうと、有史以来、人間社会における刑罰とは、制圧(見せしめ)・懲罰(こらしめ)・応報(仕返し)として存在しているものなのではないだろうか。この全てを満たすものが死刑であり、つまりは、人間の本質的な部分として死刑制度が生まれ、存在するものなのではないだろうか。

 確かに先述した廃止の理由は然るべきものではあるが、逆に現行の制度として存在する死刑そのものの問題点を改善・解決していく見方や考え方もあるのではないだろうか。

 例えば「絞首刑」。これは100年以上も前に定められた処罰法である。外国でも採られている薬物による安楽死など処刑法の見直しも上述の問題点解決の一つではないだろうか。

 さらに、処刑後の遺体を臓器移植など、善良な命の維持に繋がる貢献策(つまりは、それが社会への償いの方法とする)も、新しい刑罰の概念なのではないだろうか。

 死刑の賛否の前に、現在の死刑制度の「制度改革」から着手することが、私の死刑制度の賛否についての考えである。