愛知政治大学院 6期生 杉本明子
 平成19年1月19日に教育再生会議が提言を出した。それによると、ゆとり教育の見直しで授業時間数の10%程度の増加、いじめた児童生徒の登校停止処分検討、教員の免許更新制度、教育委員会の抜本的制度改革、各学校の自治、権限の委譲などが盛り込まれている。子ども達の学力低下は深刻であるし、両親の教育力、子どもを育てる力が減弱していることが明らかになってきている。町村元外務大臣は、59年ぶりに改正された、法律第120号の教育基本法と昭和22年の旧教育基本法を対比して、どこが改正のポイントであるかを解説された。それによると、次世代を担う子ども達には、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備え、日本の良き伝統を継承していってほしいと願い、そのための教育の基本を未来を切り拓く力を養うものとして確立させている。

 新法では教育目標に、健康な身体と心をもって、将来の職業生活を自律的に生きるようにすることが謳われているし、人間として生命の尊重、環境との調和、そして文化や郷土を愛する態度を養うことが強調されている。「衣食足りて礼節を知る」ということわざがあるが、他者の痛みを分かるには、自分の豊かさがどれだけかにかかっていると思う。何も物的なことだけでなく、自分自身に豊かなこころ、豊かな情感、豊かな知識、みなぎる体力などが枯渇していれば、他者に気持ちを回すことも困難になるのである。これが生物体である人間の本質であると考える。

 私は看護職であるが、仲間は養護教諭として学校の保健室を職場としているものが多数いる。その彼女達から子ども達の実態をつぶさに教えてもらえるのだが、将来が暗澹たる思いになってくる。保健室は、朝から放課後まで満員御礼状況で、教室に入れない子供達が大勢いるということをご存知だろうか。子ども達は養護教諭を母親代わりとし、甘え、ダダをこね、安心できるベッドで熟睡していくということである。発熱、軽度の喘息発作症状、頭痛は抱きしめてやったり、さすってやったり、お話を読み聞かせたりするだけで落ち着いていくということである。

 先生達は、休み時間や自由時間はぜひ校内をラウンドするべきである。一人二人の断片的なものでなく、すべてのクラス担任、校長先生も子ども達にもっと近づくべきである。廊下の隅、トイレの中、体育館の裏庭などを巡っていただきたい。いじめは気がつかなかったなどということはありえないことである。子ども達はいつもサインを出している。キャッチできる距離にいないからわからないのである。同じことが家庭の親にもいえる。最も子どもに近い人たちの教育力が本当に期待できないのである。自殺は病的反応である。生物体は自ら命を絶つことはDNAに組み込まれていない。その子が極限状況におかれ、正常な判断、決定ができない状態になっているのであると思う。また、情報化社会で、刺激的な情報が次々とおしよせ、強い光刺激のテレビゲームのなかは、死が氾濫している。架空と現実の境界線が非常にあいまいになっている。純粋な子ども達にとって死はちょっと消えてまた戻ってくればよい保健室のようなものなのではないだろうか。

 教育改革におけるカリキュラムに、生命の誕生と、人間としての死についてを組み入れて、子ども達にきちんと教えるべきである。これは健康教育の一環としてではなく、生きる力と自律の人格を養う具体的方略であると考える。