日米の科学技術を取り巻く環境について
水平 和江
 日本は「科学技術立国」を掲げている。資源の乏しい日本が世界のフロントランナーであり続けるためには、技術革新を続ける以外に道はないとされている。極端に言えば、科学技術分野の発展こそ生きる道である、といえようか。

 総合科学技術会議が、2006年度からスタートする第3期科学技術基本計画を煮詰めている。重点分野は、第2期に定めた生命科学、情報通信、環境、ナノテクノロジーの4分野を継承する方向という。民間企業が手を出しにくい基礎研究に国が積極的に関与し、日本が強みとなるような分野を発掘するべきだと私は考える。科学技術の投資は、日本の未来の投資となるような計画となるよう期待したい。

 しかし、科学技術の重要性を叫ぶ一方で、政治や行政のトップはほとんど文系出身者で占められるという現実がある。米国ではアイゼンハワー以来、科学に精通した大統領補佐官をつけているが、日本には見当たらない。クリントン前大統領がナノテクノロジー国家戦略を発表した際、「議会図書館の蔵書数を角砂糖1個の大きさに収める」と言って理解を得た。日本が貢献したヒトゲノム(人間の全遺伝情報)解読完了の時にも、日本政府は有効なコメントを出せず、「アメリカの仕事だ」と受け止められてしまった、という話がある。理系の科学政策に通じたブレーンをうまく使うのもトップの判断となろう。

 また、国民の多くは科学を遠く感じているという。科学技術への関心度はOECD調査によると、日本は14カ国中最下位であり、「理科」が楽しい生徒の割合も最低レベルである。科学技術に対する国民の理解の増進は急務であろう。特に、未来を担う子どもたちにいかに理科は楽しく、科学に興味を抱くようになるか、初等中等教育段階における取り組みの強化はいうまでもない。

 再び米国の例をあげるが、国民の科学技術に関心が高いのは、科学が身近に感じられる環境が整っていることだと思われる。50年代のアポロ月面着陸成功から宇宙開発は米国の強さの象徴であり、米国民の夢がそこにあったように感じる。私は長期滞在した米国で、博物館の充実ぶりに感心させられた。大都市には必ず自然史博物館といった類の科学博物館があり、ほとんどは入場無料である。首都ワシントンDCのスミソニアンは科学、歴史に関する博物館の結集である。なかでも航空宇宙博物館は月の石からエノラ・ゲイまで展示され、見応え十分だった。教科書、本などで得た知識が、実物や模型などを観ることによって一層深まることになるのだ。子どもの頃の体験は、感動とともに後々まで残るにちがいない。

 さて、日本では、博物館等が充実しておらず、教育環境に恵まれているといえないが、子どもたちの関心を科学に向けることは工夫次第では難しくないだろう。例えば、科学・実験教室は、小学生から高校生まで人気があるという。理科の面白さを肌で感じられる実験に好奇心が満たされるのだ。こうした教室に目を輝かせている子どもは多いのに、学校でそれが果たされていないところに問題がある。折りしも愛知県で現在、21世紀最初のEXPO「愛・地球博」が開催されている。冷凍マンモスやロボットなど世界の先端技術が展示され、子どもにとっても素晴らしい学習体験の場である。子どもたちにワクワク、ドキドキさせる実体験をもっと増やせば、科学に関心を持つ意欲ある者が増えるだろう。科学技術創造立国を支えるのは「人」にほかならないのだから。