| 今後の教育改革に「命の重み(尊さ)」を取り入れた授業を |
| 何を守り、何を変えるべきか。という趣旨からは少々外れてしまうが、有村治子氏が述べておられた「命の重み」について考えた。今後の教育改革に「命の重み」を取り入れた授業を提案したい。 今日、日本では、またかと言わんばかりに凶悪犯罪が頻発している。下校途中を狙われ、幼い子供が何者かに殺された。「人を殺してみたかった」と、子供がまるでゲームをリセットするかのように殺人を犯す。しかも、加害者となる年齢は低下し、少年少女による犯罪も少なくない。そして、自傷行為や自殺など。そこに共通するのは、際立った命の軽視である。彼らは、たぶん死にまつわる悲嘆も知らないのだろう。わずかでも、それを知っていたら心身を制御するブレーキとなり得たろうに。残念でならない。「死を通して生を考える教育研究会」の調査(首都圏の小学3年〜小学6年・372人対象)によれば「人は死んでも生き返るか」の問いに、「生き返る」が34%「わからない」が32%「生き返らない」が34%だった。この数字からも、生への執着の薄さが垣間見られる。少年少女のこうした意識の欠如には、日本の現状が大きく関わっているのではないだろうか。これまで社会は彼らに死を教えてこなかった。考える機会も十分に与えてこなかった。急速に家族形態が変わり、近隣との関わり方も変わる中、他者への関心は薄れ、個を重視してきた結果ではないだろうか。学科的に優秀な生徒が多く育っても、死を軽視する生徒がいる限り、この問題は社会全体の早急に対処すべき課題だと考える。 そのきっかけを与えるだろうという教育の一つに、デス・エデュケーション(死の教育)というのがあることを知った。哲学、医学、心理学、文学、芸術、宗教など、幅広い角度から生と死を研究する学問で、欧米ではすでに広く浸透した教育になっていると聞く。若年層の犯罪率が高い欧米社会で、命の尊さを説く必要が高かったことも否めない。デス・エデュケーションの浸透には各国の文化、歴史、宗教観の相違があるため、それをそのまま日本で活用するには難しいだろう。しかし、それを傍観している猶予はないのである。ある中学校では、これらを研究し独自のプログラムを使って、「命について学ぼう」という授業を行っている教師がいると聞いた。授業を受けた生徒たちは、「気持ちが優しくなれた。今を大切に後悔のないように生きたい」と口々に言い、ゆっくりだが成果はでているそうだ。教育のあり方次第で子供の心は豊かにも貧しくもなる。自分の命の大切さを知り命を輝かせている子供が、人の命をも大切にすることができるのだ。周囲の人々から大切に育てられた子供は、周囲の人々を大切に思えるのだ。社会から守られて育った子供は、社会を守っていくのだ。 事件が起きるたびに学校側は、子供の心のケアを考え、カウンセリングを設置したと言う。子供の命を守るために、登下校をスクールバスに…の意見。私は、この必要性をいささかも否定はしない。しかし、後手に回るばかりの対応でいいのだろうか。命の尊さを伝えるために、私たちには何ができるだろうか。このような教育を知ること、実践することは大変重要だと考える。今後、様々な形で幅広く命の教育がなされ、心豊かな子供たちが育つことを願ってやまない。 |