「日本のジャーナリズムと政治」
佐治 圭子

 ジャーナリストとして忘れてはならない人、それは1864年6月28日わが国で最初の新聞(海外新聞)を発行した「新聞の父」と呼ばれているジョセフ彦氏である。日本の近代化のためには、権力を持つ者だけではなく、一般庶民にも時代の変化を伝え、自らの力で国を動かすことが必要だと説いた。時代を読む手段として、現在では、新聞だけではなく、テレビ、ラジオ、インターネット等により、リアルタイムで国内外の情報を知ることができるようになった。では、おびただしい情報が飛び交う社会において、新聞の使命とはいったい何であろうか。

 新聞倫理綱領には、「国民の知る権利は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される」とある。しかし、実際は人・金・時間などの制約が行われ、政治・政策情報の真実が国民に伝えられているのか疑問である。昨年の選挙報道では、人気ばかりが先行した堀江貴文氏や杉村太蔵氏の情報がなかった。「政治家」として活動できる経験、知識の有無、人物像等の重要な情報を伝えなかったことは大変問題ではないか。
「ライブドア事件」を例にして考えてみよう。不景気で社会格差が拡大した状況を、新聞、テレビ等は「勝ち組」「負け組」と表現した。そのなかで、時代の寵児として注目されたのが、堀江氏である。彼は、東大は所詮ブランドとあっさり中退し、六本木ヒルズに「ライブドア」を設立、「ヒルズ族」「勝ち組」となった。それだけではない。野球界、テレビ業界という日本の閉鎖的な部分にも挑戦したのである。その人気を利用して、選挙にも出馬。メディアも政治家も、こぞって彼をもてはやし、「ホリエモン」現象のインパクトを強め応援したのである。しかし、証券取引法違反容疑で堀江氏が逮捕されると、ブームはバッシングとなり、ルール無視の彼を軽蔑したのである。当初から、推定無罪である彼を犯罪者と決めつけるような扱いをし、メディアや政治家は、責任の擦り合いするばかりで、市場原理主義、規制緩和の問題点について論議されることが少なかった。批判するだけでなく、堀江氏が投げかけた意義をしっかりと受け止め、情報の調査・検証を徹底するべきだ。金融庁や証券取引等監視委員会の責任や、まだ見えてこない問題点を追求していくことが重要である。

 以上、権力を持つようになったジャーナリズムは、自己批判をする能力が弱くなった。ジョセフ彦氏の遺志を継ぎ、自らの報道姿勢を見直し、権力を監視、情報の調査、検証を行い、社会の不正を暴いて、真実の情報を国民に提供することが、新聞をはじめとするメディアの使命であると考える。

参考資料:
「新聞倫理綱領」 2000年6月21日制定  日本新聞協会
「その時歴史が動いた」2006年2月1日OA 〜幕末・ジョセフ彦の挑戦〜 NHK