求められる政治家像―読売新聞・天野誠一社会部長の話を聞いて
水平和江

「猿は木から落ちても猿だけど、政治家は落ちたらただの人」。天野氏の話を聞いて、私は、自民党副総裁だった大野伴睦氏のこの名言を思い出し、改めて政治家の選挙に明け暮れる現実を悟った。「おじぎの丹羽兵助氏」のエピソードではないが、政治家は選挙区の有権者に常に頭を下げて、ドブ板の選挙運動をしなくては勝てないイメージが付きまとう。「選挙は勝つか負けるかだけで、努力賞がない。ある意味、水商売のようなもの」という指摘は実に的を射ていたと思う。

 日本では、政治家に対し、政治理念や政策は二の次になりがちで、「あの人はうちに挨拶に来たからいい人」という親近感や腰の低さが重んじられる風潮がある。

 「ノーブレス・オブリージュ(NOBLESS OBLIGE)」――。私が大好きな言葉であり、大学時代の政治学ゼミ教官である外国人恩師が贈ってくれた言葉だ。欧米社会では、高い地位や身分のある人が重責や義務を負うという考え方である。この精神に基づいて、古来より王室や貴族の子弟は、多くの特権も与えられたが、戦争が起こると最前線で戦ったのだ。現在もその考え方が受け継がれ、欧米各国のリーダーには習得が要求されるようである。日本においては、生活レベルこそ欧米化したものの、果たしてこの考え方は存在するのだろうか。現代の政治家がこの考えを持ち、それを支える有権者にも浸透させることができないだろうか。

 政治家か新聞記者か、という選択肢ではないが、私の周囲には両方の友人がいる。親しい官僚やマスコミ人は能力があり、政治にも興味を抱いている。ところが、「選挙が嫌だ」という理由だけで政治家になろうとしない。

 おじぎ、懐の広さ、オーラ……。天野氏は印象に残る政治家像をいくつかのキーワードで紹介してくれたが、不透明な現代において、今こそ、政治家に「エリートの資質」が求められていると考える。単なる優等生を指すのではなく、教養と品性、責任と覚悟を兼ね備えたリーダーが必要なのだ。

 一方で、政治家を育てる有権者の側の問題もある。「有権者が政治家を支える意識がいかに希薄か」という指摘は重要だ。経済的に豊かなこの地方は、政治や政治家に頼る必要がない。国のあり方とても関心がないのだ。自民党が勝とうが、民主党が勝とうが有権者にとってはさほど重要なことではないのである。

 それは一つの現実かもしれないが、政治家を志す私がそれを認めてしまうのは、万死に値する。民主主義の根幹を支えているのが政治だからこそ、私はその可能性にこだわりたい。こだわらなければいけないと感じている。