| 題 「政治家になるべきか、新聞記者になるべきか」 |
| 「政治家になりたいか、それとも新聞記者になりたいか」・・・そもそもこの問い掛けが出てくる背景は何であろうか。それは政治に対する不信感および新聞記者の間接性にあると思う。 政治家の使命は「国民の生命と財産を守るために、その実現を妨げる要素がある場合は改善していく」ことであるが、高度成長期以降、政治に対する国民の関心は低下の一途を辿り、近年の政治家、特に国会議員に対する不信感は深刻な状況であると言っても過言ではない。 一方、新聞記者の使命は「報道を通じて社会の改善に貢献する」ことであり、記者の書く記事が世論形成の一助となり、社会の仕組みや制度の改善を促す力になっていくことが望ましいと思うが、傍観する評論者とまでは言わないにしてもその関わり方が間接的であることは否めない。 そのような意味で、自らが「世の中を変える」という志を果たすための手段を問われた場合、私なら「政治家になる」と答える。なぜなら、政治家であれば上述のように直接的に社会の改善に関わる機会を得ることができるからである。 政治家になれば恒常的に「世の中を変えていく強い意志と勇気」を持続していくことは最低条件であるが、その他に政治に対する信頼を得るための努力をすることも必須であると思う。論語に「民無信不立(政治に対する人民の信頼がなければ国家は安定しない)」という言葉があるが、今の政治に最も求められているのは信頼ではないだろうか。 政治家には信頼を得るために自らの考えを誠実・率直に国民に伝えていく一層の配慮が必要である。政治家の声を直接もしくは放送メディアを通じて聞く機会と、政治家の生の声を聞いた新聞記者の報道・論説に触れる機会のどちらが多いかといえば、大半の人間は後者の方が多いはずである。よって、政治家は番記者等に接する場合は、その背後にいる国民に向かって語っているという意識を持って自らの考えを謙虚に伝えるべきであると思う。 また、新聞記者も政治家の声を忠実に読者に伝えるべく思想の偏向が無い正しい報道に努めるべきである。政治家を支える国民の意識を形成するという点で、新聞が果たす役割は非常に大きいと考えられる。 繰り返しになるが、私なら間接的ではなく、現場主義で政策に強い政治家になるべく直接的に社会の改善に関わりたいと思う。政治家への志や政治的な野心を持って、いわゆる「踏み台」として新聞記者という仕事を捉えている人間もいるが、そのような遠回りなプロセスは必要無い。むしろ純粋なる報道精神を持っている記者に対して無礼であるとも言える。 黙っていても時代は変わる。過去には良いと思われていても、今の時代にはそぐわなくなってきているものは社会には山積している。現状が完全なら政治家は必要無い・・・だからこそ世の中を変える志があるならば政治家になるべきではないだろうか。 以上 |