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1時間20分、疲れたでしょう。ちょっと伸びをしましょうか。(皆で体を伸ばす)私は、鈴木淳司です。今日は、自由民主党青年議員との対話ということですが、私だけ現職の議員ではありません。しかし、こうした機会を与えられて、本当に光栄に思います。今、4人のお話を聞いて、私自身が一番勉強になっているんじゃないかな、そんな気になりました。もう一度、原点を見つめ直すことができた、そんな気がいたします。今日は、10分という時間ですので、あまり充分なお話はできませんが、まず、私が、なぜこの道に入ったのかというお話、そして今なぜ、自民党の中でやっているか。もう一つは、一番大きな自分の話の根幹だけでもお話ができればと思います。
まず、私がなぜ、この道に入ったのかというお話。今から思うと、いつが原点だったのかな。昭和38年11月に戻るような気がします。まだ生まれていない方もいるんじゃないかな。ケネディの暗殺の日でありました。丁度、世界ではじめての衛星中継があって、当時、私は5歳でした。その時のシーンは、今でも本当によく憶えています。星条旗に包まれた棺を積んだ霊柩車がずーっと引かれていく。そこでケネディJrが敬礼をしている。そのシーンを観たことある方、いらっしゃるかもしれませんが、あれが本当に私にとっては原点だったと思います。「何か分からないけれど、大変なことが起こった。そして、世界の人にこれだけ敬愛される人間とは一体どんな人だ。」これが一番、自分の中で憶えている政治の原点なのかな、そんな気がいたします。
私は、もともと政治とは、最も縁が遠いかもしれません。親兄弟、親戚縁者、誰もそういう人はおりません。そうした中で「お前にできるのか!やっていいのか!」そういった自問自答をいつも繰り返していました。ですから片方で「政治の道を?」、一方で「いや、お前には無理だ!」ずーっとその連続で小学校、中学校、高校、大学と来ました。そして、大学に入りまして、早稲田大学には雄弁会というのがありますね。私は、雄弁会の扉まで行ったんですよ。扉を叩こうかなと思ったんですけどね、結局叩けなかった。何なんだ。片方では政治に憧れる。しかし、同時にプロの政治、政治家は嫌だな。そんなことがありました。このスタンスは、今でも変わりません。片方では政治家を志しながら、片方では“らしくない”政治家になりたいといつも思っている。そんな思いがいたします。
私が大学1年の時、松下政経塾ができました。凄いもんができたなぁ、どんな人が入るんだろうなぁと思っていました。当時、私は不思議なことに結構、(創立者の)松下幸之助さんの記事を読んでいました。丁度、大学4年の時でありますが、募集の記事が出ていました。政経塾は、三回の面接で合否が決まり、最終の面接は松下幸之助さん本人でありますけれど、1次、2次の際の感触で分かります。私は、迷っていました。私は、本当に迷いの連続です。片方で行きたいけれど、その片方で本当に行っていいのか分からない。そうした中で、丸の内、永田町、霞ヶ関を歩いた。私は、すごい欲張りでした。民間でガンガン仕事もやってみたかった、政界にも行きたかった、官僚の中でもやりたかった。なれなかったかもしれませんが。そんな思いで、政官財、あの地域をずーっと歩いて「俺はどこへ行くんだ、どうするんだ」と自問自答した。そんな憶えがあります。そして、迷いの中で、松下政経塾の最終面接に参りました。松下幸之助という人間は人間の運を見るという。私は、投げ出しました。「幸之助さんが、こいつに運が有ると思ったら、取ってくれ!もし、ないと思ったら、落としてくれ!」そのくらいの思いで、幸之助さんの目の前に行きました。彼は、おそらく全てを見てたんでしょうね。私が迷っていることも。30分くらい進む中で、側近の方がいろいろ私に質問する。私が答えるのをただ黙ってじーっと見ている。で、こんな経験は初めてしたんですが、普通、人の視線というのは、その人の目から出て私の体で止まるという感じなんですが、幸之助さんの視線というのはすーっと抜けていくんですね。「あ〜、これは全てを見透かされているな」と。人間ですから、良くみてほしいという思いが正直言ってありました。でも「もういいや!これがありのままの自分です」という気持ちになりました。そして、最後に一言「君、やってくれるか」という話になって、「やらせていただきます」ということで決まりました。
ところがね、人間というのは弱いです。私は、本当に迷いの連続なんですよ。松下政経塾を出る、丁度その年に統一地方選がありました。私の仲間は、ずーっと当たり前のように県会に出て、国政に挑戦するという思いを描いていました。私も、卒塾直後、丁度いいタイミングだったので出馬しようかと思いましたけど、いろいろな理由がありまして、結局出れませんでした。実は、もうこんな道は止めようかなと思ったこともありました。ところがですね、止めようとしても止められないんですね。やっぱり政治がしたい、じゃあ何なんだ。金じゃないな。名誉じゃないな。バッジじゃないな。そこで思うんですね。とにかく自分の将来、何やりたいんだ。自分の生涯に、自分で本当に納得する仕事ができればいいんじゃないかな、と。その4年後に、実は選挙に出まして、今から10年前、瀬戸市議会議員選挙を、保守系史上最高票で当選させていただきました。そういった経験をさせていただきました。
では、なぜ自民党か。私は、地方議会におりましたのでよく分かりますが、仕事を本当にやっているのは自民党です。野党は格好のいいこといっぱい言えます。責任ありませんから。しかし、真実は、現実の中で一歩一歩理想を求めていく、その過程にあると思います。なかなか理解されませんけど、やっぱり責任政党の中で、自己変革の道を歩んでみたいなぁ。そんな思いがして、これまでやってまいりました。
そして今ですね、本当に“らしくない”ものの時代だなぁと思うんですが、例えば、(今回の講師の一人である)藤川さんは“らしくない”ですよね。やはり、銀行員らしい銀行員じゃもうダメですね。公務員らしい公務員もダメです。そして私は、やはり政治家らしくない政治家、自民党らしくない自民党。是非、そんな姿を自分なりに目指したいと思います。 私は、昨年、総選挙に出ました。負けました。私の相手候補は、大変な資産家の家系。私は全く逆ですね。「どっちが民主党の候補者だ」て言われましたけど、本当に自分でもそう思いました。私のような、本当にキャリアも何もない、資産家の息子でなければ、名家の人間でもない、ただ地方議会で2期やっただけ、自民党がそんな人間を公認してくれました。大変な前進です。ここで勝てば良かったんですけれどね。負けました。又,次、頑張ります!自民党らしくない自民党を、自分たちの手で、若い人たちの感覚で作っていきたいと思います。
それから課題を二点。日本人はですね、できあがったイメージを形にしていくのは上手い。例えば、追いつき追い越せの経済成長もそうです。モデルがありますから。ただ、今、国も社会も地域も個人も皆そうですが、全てが自分の価値をもう一回見直さなければいけない。価値再生運動。もう一度、価値を再生しなければならない。その原点が個人ですよね。そうした個人から地域、社会、国家にかけた価値再生運動をやりたいな。これが一点あります。
もう一点は、若い政治家群像。将来、ああいう政治家になりたいなぁというような政治家が出ないと日本の将来、絶対ダメです。私の同僚でですね、政経塾の仲間なんですが、東京都議会に出て、その後、衆議院選に出た者がいるのですが、街頭演説中に子供に「お兄ちゃん、政治家になってお金儲けしたいの?」と言われたことがあるそうです。これは、大変だ。子供がそう見てる。ということは、親がそう見てる。政治家全体がそう見られている中では、いかに立派な議論をしようが、それは全く信用されません。実は、政界の中にも、大変立派な方が沢山いらっしゃる。ただし、政治全般がそうなければダメですね。そして、子供たちが将来ああいう人になりたいと思うような、そうした若い政治家群像が出てこなければ日本はダメになると思います。
今日、この中で政治家を目指されている方、沢山いると思います。そして、私と同じように出ようかな、どうしようかなと迷っている方も沢山いると思う。悩んでいいと思う。どんどん悩んでください。そうした中で、政治家らしくない新しい政治家像、新しい自民党像をつくればいいじゃないか、そう思います。ありがとうございました。
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