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ご紹介にあずかりました外務省の西田です。「総合外交政策局長」と、非常に長ったらしいです。職掌柄、国会にもよく出ておりまして、委員長から「外務省総合外交政策局長 西田君」なんて、長過ぎるものですから、大体、多くの委員長の方は口が途中で回らなくなってしまいます。それで、「まあ、西田局長で良いよなぁ」なんて言われておりますけれども、私は「『清掃局長』と言ってもらえれば簡単です」と。要するに、外務省も掃除をするし、日本の外交も掃除をするということです。 (学長の)杉浦先生には、外務省副大臣をお務めいただきまして、本当に近いところからご指導をいただきました。先生が私のことを言っていただくほど気が合っているのかどうか、あるいは外務省員らしくないかどうか、自分ではなかなか評価できませんが、少なくとも可愛がっていただいた、あるいはいろいろ議論を率直にさせていただいているし、今でもいただいているという意味においては、ウマが合っているのかもしれません。そういう中で、政治、あるいは外交、あるいは政治家と役人というような感じについても、時には酒を酌み交わしながらいろいろ議論を率直にさせていただいたことも何回もございます。当然のことながら、かなりの部分意見が違うのですね。立場も違いますし、若干世代も違う、経験も違います。私は組織の人間でありますし、先生はより高い立場から国民の声を代表しておられるというようなことがございます。外交の具体的中身に至っては、全く違う時もあります。そういう時は、口もきかないというようなこともありますけれども、総じて言いまして大変に愉快な時間というものを先生からはいただいてきました。その先生から、実は地元でこういうおもしろい企画をしているというご紹介をいただきまして、喜んで参りました。 先ほどご紹介がありまして、きょうの新聞に出ておりますけれども、自民党の総務会でいろいろ議論が行われた結果、イラク新法で想定をしておりました任務の一つ、いわゆる大量破壊兵器の部分について1か所これを落とすということで総務会のご了承をいただきました。それから公明党、保守新党、与党の2党のご了解を政調会長がとりまとめられて、官房長官と話をされて、政府との間でも合意ができまして、閣議が昨日できたということで、早速、国会の方に提出をさせていただいたということでございます。今後、国会の会期を含め、またいろいろなやりとりがございまして、先行き不透明ではございますが、政府としては、なるべく早く良いご審議をしていただいて成立をしていただきたいと。成立させていただいて、やはり日本が国際社会にあってタイムリーに意味のある貢献を目に見える形で行うということを可能な限りやるべしというふうに外務省としては考えておりますし、私は個人的にもそれは間違いでないと確信をしておるところであります。
きょうは、名古屋駅に到着後、朝日新聞にパッと目を通しました。読むと、何か今にも日本の外交は漂い始めて内閣も壊れるみたいなことが書いてありましたけれども、私は、政治のことは分かりませんが、日本の外交はそんなことは断じてないと思っています。 今のポストに就きましてから大体9か月ぐらいでしょうか、総理の平壌訪問の話、それからイラクの話等々、同時並行的に非常に大きな話が動いてきた中で、外務省は、先生がまさに副大臣としておられて一番心をくだいていただいた外務省改革、スキャンダルというものがほんのちょっと前に起こりました。そしてもちろん今でも必死に克服すべくもがいているという状況と重なる形で、このように非常に大きな世界の激動期にぶつかっているということでございますので、杉浦先生ほか、自民党、あるいは野党の先生でも何人か親しくさせていただいている方がおられますけれども、「大変だな。だけど外交官冥利に尽きると思えばしょうがないな」というふうに声を掛けてくださる方々も少なくありません。 それは私個人の話でありまして、やはり日本の国というものが置かれている今の状況というものは、どんなに議論しても議論し尽くすことはない、非常に変わった意見であればあるほどむしろ貴重かもしれないという時期だろうというふうに思います。これまでの前例、昨日までのやりとりというものにこだわらない。十分自分として説明ができる、国として説明ができる一貫性を保ちつつ、どうやって新しい激動の時代に立ち向かい、説得力のある形で世界に発信をできるかということが問われています。「失われた10年」ではありませんけれども、日本の景気がこれほどまでに落ち込み、元気がない。はっきり申し上げてまだ先行きも、自民党の先生の前で申し訳ないけれども、全く見えてないというような状況下で、非常に難しい時期に来ているということであります。年代的にいろんな方がおられるようにお見受けしますけれども、それぞれの世代、それぞれの職場、あるいは置かれた環境の中で、ぜひ議論していただきたいというふうに思っております。日本の外交は、少なくとも議論をするに値するだけの外交というものをやるべく、われわれは頑張っています。
大きな話が幾つかございますが、有事立法の話も勿論その一つだと思います。特に湾岸戦争以降、意識して議論されてきた、日本の国をどうやって守るか、日本が国際社会における憲法的にいえば名誉ある地位をどうやって占めるか、これだけ揺れ動いている国際社会の中で、日本であるということはどういう形で示し得るのかということを、ずっとこのまさに不景気な10年の間、問われ続けてきたということだろうと思います。分かりやすく敢えて単純化すれば、二つの流れがあったと思います。 湾岸戦争、アフガン、そして今回のイラク。共通点は広く中東ないし周辺ということであります。日本が油のほとんどを依存している中東というまさに大きな宗教と宗教がぶつかり合っている、民族と民族とが入り交じっている、そこに世界のほとんどの石油がある。そこは民主主義とはほど遠いいろんな形の政体、国の在り方というものが、まさに隣人になることを拒む形で何十年かやっている地域というものがあります。その中の一つでありますイスラエル、人工的にイスラエルという国をつくり、そこに集まって自分たちの民族、誇りを何とか維持しようとしているユダヤの人々がいて、今の世界の最も強い国・アメリカにおけるユダヤの人たちの影響力というものは、これはご案内のとおり誠に強いものがある。あるいはヨーロッパ、これはドイツの3B政策等々見ても、中東というのは昔からヨーロッパの列強がそこで覇を競ってきた地域でもございます。日本は、この地域では、新顔でございますが、日本の経済発展の源というものをほとんど依存する地域である中東が安定するかどうかということ、ここの油が世界の経済という機械をちゃんと回せるかどうかということは、国際社会にとってはずっと大きな懸案であったわけでありまして、そこで日本がどうやってちゃんとした役割を果たし得るか。日本というものがちゃんとそれなりの役割を果たして、堂々とゲームに参加するのにどうしたらいいのかという流れ、いわば国際平和協力というものを通じて自衛隊がどういう役割を果たすべきなのかという議論が行われてきた。まさにその結果の一つが、今ではイラク新法という形で政府としては一つの考え方を国民の前に提示をさせていただいたということであります。
もう一つ、今度の流れは朝鮮半島です。いわゆる枠組み合意と言われているものができた94年当時も今と同じような状況がまさに起きました。北朝鮮の核兵器の問題、一触即発の状況があり、アメリカの第七艦隊が日本海の周りに集結し、何百機というアメリカの戦闘機部隊が日本の基地に飛来してきました。そういうぎりぎりのところ、まさに経済制裁をするかしないかというところでカーター元大統領が北朝鮮に行き、そして枠組み合意というものができた。北朝鮮の当時における核兵器開発のプログラムがとまり、そのかわり軽水炉、あるいは重油という形でエネルギーの面倒を見るという枠組みができたのが94年、まさに10年前であります。
それからエピソードだけとっていきますと、98年、テポドンが飛んだわけであります。あれからまさに有事立法の話は真剣味を帯びた。結果的には、いわゆるガイドラインについての周辺事態関連法案というものが出てきたわけで、日米安保というものが単なる一片の紙切れではない、まさにわが国の防衛が問題になるというときに、共同対処を含め、日本が実際に効果的に対応するための仕組みについて規定するための法律を当時つくった。それからミサイル・ディフェンスの話もだんだん動いてきた。 ミサイル・ディフェンスの話は、私が北米局の時ですが、当時まだレーガン大統領で、「スターウォーズ」という戦略が打ち出されて、レーガンはソ連を「悪の帝国」と呼んで、まさにミサイル競争、東西の横綱が死ぬか生きるか、切羽詰まった戦いの最後のデッドヒートを繰り返した時期でありますが、その最後の決め手がミサイル・ディフェンスです。ソ連の方がミサイルの数は多かったし、核弾頭の数もはるかに多かったという時期にアメリカが切り出したのがこのミサイル・ディフェンスです。「打ってきてみろ、たたき落としてやる」と、こういうことだったわけです。もちろん当時、描いていた宇宙にあるサテライトがレーザーを出して飛んでくるミサイルをたたき落とすということについては現在もできてない。しかしながら、地上配備、あるいはイージス艦配備をすることによって、最終段階におけるミサイルを打ち落とすことについては、かなりの現実味が出てきているという状況まで来たということであります。 何が言いたいかというと、そういう中で、新たに北朝鮮の核の問題、拉致の問題というものが出てきていて、まさにわが国をどのように守るかということで有事立法が成立していくということでございます。 したがって、二つ大きな流れがあると申し上げたのは、根っこは実は一つになるのですけれども、表面的に言えば、日本という国が安全であり、経済的に繁栄している。つまり、自分の国の生存が問われているわけではなくて、国際的な平和と繁栄のために何ができるかというときに、自衛隊をどうするかという流れ、これは常に中東がその主舞台であった。もう一つは、自分の国をどうやって守るか。自分の国の安全を守るため自衛隊を使う、あるいは日米安保条約で共同対処を約束をしている米軍とどうやって戦うのかという問題、これは常に朝鮮半島が絡んでいる。この二つの流れが一緒になっているのが今の状況であります。すなわち、国際貢献をすべき日本、それからわが国をどうやって守るか、という大きな流れの二つが具体的な課題として同時に起きているという、戦後初めての状況に日本は置かれているわけであります。 それも、学者が単に議論するものではなくて、現実の問題として起きている。例えば何隻かしかないイージス艦をインド洋にやるのか、日本海に派遣するのかという具体的な部隊の運用の問題まで絡めた形で、先ほど申し上げた二つのことを議論するということになったのは、まさに今が初めてであります。そういう意味では、外交、防衛、あるいは国の在り方というものを真剣にトータルに議論するべき時に来ざるを得なくなってしまったということであります。
なぜこんなことになったのか。今でも覚えていますが、冷戦が終焉したときはブッシュ大統領のお父さんが大統領でありました。あの時、冷戦が終焉して新しい世界秩序をつくると。今までアメリカは国防費に巨大なお金を使っていたわけでありますから、軍事大国から平和大国になる。今までの戦費が社会福祉、経済、税金、そういう問題に大きく流れてくる。ここで、この平和の配当を誰に分けるかというのは政治の仕事だということで、ある種のユーフォリアが起きた。ところがそういうふうにならなかった。民主党政権になり、民主党は商業的な利害を重視する傾向がありますが、アジアにおいてもしかりでありました。そこにあったのが、中国のマーケットという非常に魅力のある、いわば株があったわけです。この株価がギューッと上がった。日本という株は少し下がり目、引き続き世界第2位の大きな会社でありますが、要するに変化がない。変化がないものは投資の対象としては面白くないですね。そういうような株であるところの日本という非常に安定した、しかし基本的にはどちらかというと落ち目の大きな会社と、もう一つは小さな、しかし非常に急成長していると思われる中国の間で、クリントンは後者を選んだ。 その時期が過ぎて9.11が起きた。9.11がアメリカにとって何であったか。アメリカは建国以来初めて、内戦は別ですが、自分の本土で戦争をした。初めての経験であります。パールハーバーは確かにアメリカがやられた。ただし、ハワイは本土ではありません。ところがニューヨークのど真ん中、ベンタゴン、ホワイトハウス、そこに次から次にテロリストの飛行機が突っ込んできて、全く無防備の状況に置かれたアメリカは、9.11以降全く違った国になった。アメリカは今、戦時国家です。「ブッシュ・アット・ウォー」という本がありますが、ブッシュは今は平時の大統領ではなくて、戦争をしている米軍の最高司令官です。 僕のよく知っているアメリカ人が言いました。アメリカ人が恐いという感覚を持ったのは、多分、今が初めてだと。9.11以来、アメリカ人は本土にいようが、在外にいようが、いつも常に、いつか必ず自分はやられるかもしれないと。今ご案内のように、テロリストはソフトターゲット、弱いところを狙う。すなわち、軍事施設とか官公庁のみでなく、スーパーマーケット、映画館、通常の住宅街です。これをどうやって守りますか。例えば殺人犯が逃げ込んできた、この地区にいるらしい。だから「2週間皆さん全部戸締りしてぐっと息をひそめていてください」と、これはできますね。何年続くかわからないテロとの戦い。海に遊びに行っても危ないかもしれない。家にいても危ないかもしれない、飛行機に乗ろうとしても危ないかもしれないというものを何年間続けられるかという状況にアメリカは置かれています。 したがって、日米関係を考える時、あるいは世界を考える時、アメリカは、平時のアメリカではないということをよく認識しておらないと、まるで話は通じないということであります。
それからもう一つ起きたのが、アメリカは圧倒的に強い国になったと言われます。今のアメリカは、軍事、経済、政治、さらには物の考え方、価値観、コマーシャル、ありとあらゆる部分において圧倒的な力を持っています。これは、好きか嫌いかの問題ではななくて、現実として見すえなくてはいけない。これを見すえてどうやって日本の安全をより確保し、どうやって世界の中で生きていくかということを考えるときに、この現実、事実というものから目をそらして理想論を言うことは、無責任だというふうに思います。そういうものをしっかりと踏まえた上で日米関係を語るべきだし、日本の防衛を語るべきだし、日本の経済政策を語るべきだと思います。 新聞をよく見ますと、「日本の外交は対米追随だ。たまにはうちの小泉さんにもシラク仏大統領ぐらいどんと言ってもらいたいものだ」との論調がありますが、今、仏は一たん亀裂の入った米仏関係を修復するために必死の努力をしています。米独関係しかり。ドイツのビジネスの人たち、日本でいえば経団連ですか、もう大変に困って必死になってアメリカの上院回りをしているわけです。「あれはシュレーダー首相がやったことだ、私たち独のビジネスはやっぱりアメリカとちゃんとやっていきたいと思っているんだ」と。これを日本の新聞的に言えば対米追随以外のなにものでもない。なぜやっているか。それは、企業は企業として生き残る必要があるから。国も生き残る必要があるのですね。だから、あまりにも一方的な目で見て、世界の最強国であるアメリカとの今ある現実における力関係において相対的に弱いものが行っているいろいろな努力を、対米追随という言葉一つで処理できるのであれば、こんな楽なことはない。そういう中で、どこの国だって、この大きなアメリカという力をどうやって自分たちの考える国益に引きずり込み、彼らの力を利用するかということを考えているのですね。ブレア英首相がかっこよかった。それは日本から見ていればかっこいいかもしれませんね。しかし、ブレアがやっていることは、対米追随をはるかに超えている。世界の主要強国と言われる国ですら、対米関係、あるいは中国との関係にしろ、何の関係にしろ、動いていく変数であるものの方程式において自分の都合のいい解を探す努力を一所懸命やっている。そういうことが国際関係の原点だという、極めて当たり前のことが抜け落ちている可能性があるのではないかという気がいたします。
各論に入りたいのですけれども、イラク新法の話は、先ほど申し上げましたように、政府としては、イラクで日本の自衛隊の出番は幾らでもあるというふうに考えています。すでに20を過ぎた国々の軍隊がイラクに入り、あるいは入らんとして、自分たちが最も得意とするものをどこの場でやるかということが、ある意味では席取り競争になっている。自分たちは例えば10人のグループだ。それはどこが一番便利であり、かつどこが一番安全かと。かつ国民の目から見てどこが一番目に見えるかというところで席取り競争をやろうとしているという時であります。日本だけがアメリカとやっていい席を取るかという話をしているわけではないのです。国際社会が、イラク復興支援のためのまさに椅子取り競争を一所懸命やっているので、やる以上、タイムリーにしかるべき役割を持ってこれをするという明確な意思のもとに出ていく必要がある。また、そうして初めて役にも立つということだろうと思います。もちろん、ニーズは十分に見極める必要がある。しかし、ニーズは同時に自分でつくるものです。
古いですからご存じの方はあまりないかもしれないけれども、「7人の侍」という映画がありました。あるいは「荒野の7人」。輪投げのうまい奴、ナイフを投げるのがうまい奴、7人集まって、俺はこれができる、俺はこれができないと言って村人を守る。やっぱり国際社会の間でそういうようなことになっていると思います。日本の自衛隊が何が得意であるかと。日本の自衛隊が、例えば東ティモールであれ、いろいろなところでこれまで培ってきたノウハウは何か、能力は何か、何ができないかというものを十分見極める。湾岸戦争の時に日本の海上自衛隊は、持っている力で一番世界に冠たるものが掃海だったわけです。だから、アメリカにしろ何にしろ、国際社会が日本に軍事的貢献を求めるときの最初は掃海といったことであります。掃海というのは大変に苦労する仕事です。しかし同時に、大変な技術、経験がないとできない。日本はそれを持っている。したがって、日本には掃海をやってもらいたいということにもなる。規模の問題もありますけれども、問題は質、比較優位があるかないかです。能力のある人にそれぞれの部署部署で頑張ってもらいたいというのが国際社会のルールであります。 それにのっとった形で日本が今のイラクという現場において一番期待されているのは治安であります。治安が回復しない限り、市民は安心してそれこそスーパーマーケットにも行けない。職場にも行けない、子どもは学校にも行けないということであります。治安を回復する必要があります。それから、ライフラインがズタズタです。電気が来ない、ガスが来ない、水が出ない。それから行政サービスです。最低あるべき行政サービス。警察、消防といったものをどうやって回復するかということであります。 今の例でも分かるように、自衛隊が得意とするところ、しかし自衛隊ではない一般の文民の方、これは役人だけではなくて地方自治体の方、あるいは民間の方、NGOの方が、まさに腕に覚えのある人が行って、こういうふうにやればさっき申し上げたいろんな行政というものについては物事がうまく進むのではないかという知恵を貸してやるということも大事なことであります。 私は何も自衛隊派遣ありきということではありません。自衛隊が必要なところは一般の市民が出ていくには危険過ぎるが、自衛隊を出す程度には安全であるというのが実態です。それを非戦闘地域という法律上の用語でもってどうやって整理をし、憲法問題については、これは別途十分時間をかけてご議論していただきたいと思いますが、とりあえず現行の憲法の解釈の中で仕事をさせてもらっているという前提で考えれば、この憲法の制約の中で自衛隊の方ができること、得意なことと自衛隊ではない方が得意とする分野があるので、今度のイラク新法は、自衛隊の派遣と一般の文民の方の派遣と両方面倒を見る仕組みを作ってあります。ですから、NGOの方であれ、われこそはと思う方は、いつでも応募していただければ、これを一般公務員に臨時に雇い上げて、しかるべき手当等を支給して現地に行っていただく。安全な方がいいと思えば、自衛隊が行く近傍に行ってもらうというようなことも含めて、個別の対応は必要だと思いますけれども、そういう意味で、人の面での貢献をどうやってやるかというための法律というふうにご理解をいただいたらいいと思います。
次にあるのが、だけどそもそも安全なんて言えるのかという話であります。これは、まさに良い質問でありまして、きわめて難しいと私も思います。そう軽々しくここは安全、この川を越えた向こうは危険、こういうわけにはいかない。したがって、二つあると思います。一つは、よく言われていますが、現地調査を丁寧にやる。かつ、不測の事態が起きたときには、ただちに転進する、あるいは引き上げることについて柔軟に対応する。それを恥ずかしいと思わないというのが一つ。それからもう一つは、今回は治安そのものは考えておりません。治安をやる他の軍隊のための言わば後方支援ということをやろうとしているわけであります。どのような軍事的な組織であっても、刀で人を場合によっては斬る、鉄砲を撃つということだけではダメなのであって、兵たん、あるいは後方支援と相まって全体のオペレーションが出来上がるわけであります。私は、後方支援がすべてだとは思いませんが、今置かれている憲法上の制約、自衛隊の能力等々からすれば、後方支援というものがやはり一番ふさわしいだろう、治安そのものを担うだけの用意は残念ながら無いというふうに考えております。
それから、東ティモールでやっているような、いわゆる工兵隊の仕事です。橋を直す、病院を造る、壊れた官公庁の建物を造り直してやる。これでもって子どもたちが学校に行けるようになり、消防署が立ち直る、国が国として立ち上がる最初の基盤というようなものを、自衛隊が行って造る。日本が造るものは質がいい。他の団隊が造ったものに比べたら、見てくれも良いし、もちがいい。それはできた瞬間から市民は分かる。10年後はもっと分かる。これを日本の自衛隊、ODAはやってきた。だから、きわめて評価が高いことを是非やってもらいたい。それは国づくりだと思います。それができれば、さっき申し上げたように、例えば発電所はそんなに壊れているわけではありません。それは精密兵器のある意味の恐さでありますか、テレビなどでもご覧のように、発電所にはほとんど傷がつかなくて、まさに彼らがいたセル、細胞が住んでいたところだけをミサイルが叩きつぶしている。発電所はほとんど手つかずに残っているというような、このこと自身、非常に真剣に議論すべきだと思いますが、そういう意味で、インフラがぐちゃぐちゃだということではないです。そこは茂木副大臣がバグダットに一番乗りしたときに帰ってきて言っていました。「いや、びっくりした。アンマンから500キロ車で走ったが、ずたずたの道路はわずか10メートルだった」と。そのぐらい、軍事施設以外のものは壊れていないのです。ということは、逆に言えば、そのぐらいの精密度の高い近代戦というものをアメリカは行ったし、行う能力がある。
そういうことで、先ほど申し上げたように、イラク新法というものは、日本というものが持っている力、能力、知恵を安全に最大限配慮しながら、国際的な、まさにある意味でのマーケットであるイラクでどれだけ意味のある貢献ができるかという受皿だと思います。間違っても犠牲が出ることがあってはいけない。完全に百パーセント安全ということはない。が、犠牲を防ぐための最大限の努力はすべきだということであろうと思います。 それから、北朝鮮の話。対話と圧力ということが言われております。これは、まさに総理が先般の日米首脳会談で明確に述べられたことであります。対話、平和的に解決する。しかし、先方が図に乗ってくる、エスカレートをしてきたら、毅然と対応する必要があります。そのためには、圧力が必要であります。まさに万景峰号は来られなかった。
私は、日本の政府も含めて、日本人の考え方は急速に変わってきていると思います。やはり厳しい状況になったら目を背けない。厳しい状況になったら、それを直視して、その時に最善の方法は何かを考える。その時に一定のリスクはとるということだろうと思います。リスクの無いものはテレビゲームだって無いと思います。会社に勤めたって無い。国際社会、日本の安全を守る時に、リスクをとるのは当然のことであります。それが不必要なリスクであってはいけない。冒険主義であってはいけない。しかし、十分に議論され、多くの人が納得をすれば、それはリスクではないのです。それは政策オプションです。そこの部分についてこれまで日本では、われわれ外務省も含めて、十分な議論を突き詰めてこなかった。あまり楽しい話ではない。だから赤提灯で酒を飲んでいる時は活発に議論するけれど、翌日になれば、「まあその話は置いといて、ここは地味にいこう」と、こういうことで恐らく会社運営もやってきた。国際競争力がなくなったということであります。国際競争力、マーケットの中でしっかりと自分の会社、国、家庭を守る、発展させるためには、当然のリスクを負う。それがいわば成人した大人であり、社会の一構成員であり、そして企業家のコーポレート・ガバナンスと言われておりますけれども、まさに社会レベルにおける企業の役割、国際社会における国の役割ということだと思います。したがって、そういう目でもって官と民の線引きをどこに置くかという議論もしっかりやってもらいたいと思います。政治と役人の線引きもそこでしっかりと議論してもらう。そこで議論するからこそ、お互いにお互いを尊重する。お互いの役割を認めることを通じて、1足す1が2.5、3になる可能性がある。今は、1足す1の議論をやっていくうちに両方つぶれてしまうことになりかねないのではないかと危惧します。 最後にちょっと余計なことも入りましたけれども、ここでお時間ですから切らせていただいて、ご質問を受けたいと思います。(拍手)
【司会】 西田先生、貴重なご講演、ありがとうございました。 それでは、質疑応答に移らせていただきたいと思います。 限られた時間ですが、1人でも多くの方に質問していただきたいと思いますので、1人1問にて簡潔にお願いいたします。 それでは、一番早かった鎌田さん。
【質問(鎌田)】 局長、世界を概観した幅広い講演、ありがとうございました。 私は、鎌田公生といいます。お話の中で、ブッシュのお父さんがニュー・ワールド・オーダーを唱えたと。私が承知しておるところによると、新世界秩序というのは、これは世界違いと認識しておるわけです。イラクはネオコンが攻撃をしたと。どうしても日本国はネオコンに引きずられてしまう。どうしても世界を見ると、ニュー・ワールド・オーダー、新世界秩序という美名のもとに世界を支配していこう、また日本国をつぶして植民地化していこう、こういうシナリオのもとに動いているという気がしてなりません。そういった認識にあって、どのようにして日本国の独立、または自尊、国民の平和というのを守るかということを一人考えるところがあるのですけれども、局長、そのあたりどのようにお考えかお聞かせ願えたらと、こう思っています。
【西田氏】 どうもありがとうございます。ネオコンというそのニックネームが非常に分かりやすいので、全部がネオコンのせいということになるのですけれども、ネオコンがどの程度今のアメリカの政権の中で力があるかということについては、いろいろ議論があると思います。今のブッシュ政権の特徴の一つは、軍事的なオプションの敷居が低いということだろうと思います。それをもしネオコンと言うのであれば、ネオコン的な要素は、少なくともその前の政権に比べれば大きいと。これは幾つか理由があると思います。一つは、さっき申し上げたように、これまでの米ソという大きな国と国、あるいは国がお互いに徒党を組んで東西陣営でもって大きな戦争という形でにらみ合うというような状況下における安全保障に対する認識、抑止ですね、MADと言われている相互確証破壊。要するに、お前が打ってくれば、一つ高いはしごの上で叩き返す。次にそうすると向こうがまた上げてくれば、より大きな核兵器、そして最後はお互いが殺し合うということによって元も子もないからやめようよねということで、世界戦争というものを回避するということが、これは少なくとも米ソ間、NATOとワルシャワ条約機構の間では暗黙のルールで、これで世界の平和が維持されてきたということは、厳然たる事実であります。そのような中で軍拡競争が続いていった。最後に経済力、国力で、膝が伸びきったソ連が倒れたためアメリカが勝ったというのが、冷戦が終わるまでの軍事的な、あるいは安全保障上の整理だろうと思います。枝葉は勿論ありますが、根幹はそういうことであります。 次に、先ほども申し上げましたように、ニュー・ワールド・オーダーというものをブッシュ大統領のお父さんが唱えた。しかし、それを現実にもたらすことは無いままに、あるいは具体的ピクチャーが無いままに終わってクリントン政権になった。アメリカの経済がきわめて疲弊していた80年代終わりから双子の赤字が言われ、アメリカ経済はボロボロだったわけでありますが、それがIT革命を経て、技術革新をして甦ったということになり、財政も黒字、経済も隆盛をきわめたというのがごく最近までの話であります。 という中で、新しい脅威が起きた。それはテロリズムであり、そして大量破壊兵器であります。今回の9.11は、普通の民間機を使い、われわれ普通の一般人でも手に入る程度のITを使い、グローバルなネットワークを使えばあのようなテロができることを示しました。であれば、これに先ほど申し上げたような大量破壊兵器、化学兵器かもしれない、生物兵器かもしれないというようなものがテロリストの手に渡った時のアメリカ、あるいは世界にとっての脅威をどう認識するかということによって、アメリカのいわゆる安全保障に対する姿勢は大きく変わった。必要に応じて先制的な行動をとることも、やむを得ないということであります。これまでのように大国と大国が対峙をしていれば、要するにリードタイムがあった。ところが今は、まさに映画館にいてもミサイルが飛んでくるということで、全くリードタイムがないというような状況で、国際的なルールに大きなチャレンジがある中で、アメリカは今まさに刀を研ぎ、鎧を磨き、先にやられる前に、それを斬るということも宣言する。宣言をすることがまずは抑止です。抑止の考え方が大きく変わりつつある。それを支えている精密兵器を彼らは持っているということと、それから例えばGPSが一つの例ですが、ミサイル・ディフェンスについても、非常に先端的な技術であっても、そのほとんどが汎用性ですから、ほとんどの技術は民間技術としてそれぞれの会社の技術革新に、恐らく10年後にはみんな民用品に許可されて、アメリカの企業は圧倒的な優位性を持ってまたさらに強くなっていく素地ができてくるということだと思います。
もう一つは、国際関係はそもそも、今ご質問の方が言われたような、ある種のヘゲモニー競争というものが国と国の間にあるのは間違いないです。主権国家が民族国家という要素を持ちつつ併存している限り、アメリカのみならずどの国もより優位な立場をとるべく努力しているということであります。それがアメリカとの関係において距離が遠ければ遠いほど、アメリカにとっては脅威になる。アメリカとの距離が近ければ近いほど、協力になるということでしょう。したがって、日米安保関係についても同盟関係というものは、おっしゃったように、そこの部分に最大限の投資をし、維持するための努力をしなければ、協力が脅威に変わっていくということもあり得るわけです。だから、安保条約、周辺事態関連法、これはもちろん日本もアメリカも法治国家ですから、法的な裏づけをつくる努力はきわめて大事です。まさにそのような生きものである同盟関係をどうやって意味のある、自分にとってより有利なものにつなぎとめるかということの努力をどこの国もやっている。ここでどれだけの貯金をするか、中身が詰まっているかによって、日米関係というものは日本にとってより意味のある関係になっていくということです。因みに、やはり中国というものをどう考えるかということでもって日米関係の意味は大きく変わり得るということはおっしゃるとおりだと思います。
【司会】 ありがとうございました。 では次の方。
【質問(棚橋)】 棚橋と申します。いろいろとお話を聞かせていただきまして、特に時事ネタが多々ございましたので、非常に参考になりました。 一つご質問を簡潔にさせていただきますが、今、局長がおっしゃった米国との関係、日本の外交における最も重要な要であるということは理解をしております。今、まさにその路線に沿って局長もこの45分間お話をしていただいたと思っております。しかし、片や、2年ほど前ですか、金正日の息子が日本に来た時に、某大臣がそっと送り帰す話ですとか、瀋陽の領事館における不手際といいますか、脱北者の処遇に関して世界に報道されてしまったと。ですから今、局長がおっしゃったことが、外務省がいろいろと世間の目にさらされた上で変わった結果の姿なのか、それともいまだに対米ということの他に、先ほどもちょっとおっしゃいかけましたが、対中、または対朝鮮半島という形で、例えばチャイナスクールみたいな存在があり、省論が一致団結しておるものなのか、やはり安定性を欠いてその時々の大臣の顔によって変わる脆弱性を持っておるものなのか、そこをお聞かせいただきたいと思います。
【西田氏】 今、おっしゃられた大臣、それからその時期における外務省、あるいは外務省の置かれた社会的な立場というものは、きわめて例外的な極限的な状況であったということだろうと思います。だからいい悪いという話は申し上げませんが、客観的な事実として、あれはきわめて異例な時期であったと思いますので、それが一般的な意味での国がやろうとしている、外務省がやろうとしている意思決定のシステム、あるいはいろいろな省内における議論、あるいは意思決定、それからその対応ぶりというものの例にはならないということは、まずお断りをしておきたいと思います。 それから、瀋陽等々における、簡単に言って不手際というようなことについては反省すべきですが、ある一定の組織が種々の活動をしていれば、それは百パーセントはあり得ないということでもあると思います。やはり抽象化して検証する意味があるとすれば、まさにご指摘のように、日本が具体的に中国、あるいはアジア外交ということをやっていく時に、先程主にお話をさせていただいた対米基軸というものとどういうふうに係わり合うのか、合わないのかということだと思います。 これは二つあると思います。一つは、中国というものはわれわれが議論する時に、動かないもののように思われている。一番極端な例は、さすがに最近減ってきましたけれども、「日本はアメリカの友だちなのか、アジアの国なのか」、こういう議論がありますが、私はこれは全く無意味な議論だと思います。日本がアジアにあるのは当たり前で、日本がアジアの隣人と長い間平和に、時に戦争を経て、いわば苦楽を共にしたということは動かないわけです。かつ、戦後の選択として日本は日米関係を選んだ、これも動かない。だから、これはどうしたって両方それを踏まえた上で物事を決めざるを得ない。多くの場合、当然のことだと思いますけれども、それはちゃんと議論した形でやれば両立する。 しかし、この問題は、日本のアジア外交というものが、主としてアセアンにいて日本の企業が出ていく中で、戦争があったにもかかわらず、日本の企業が先方に歓迎をされていくというようなことで一つの好循環をつくってきたというのが一つ。それから中国が後進国であった時期、日本が対中援助をやっても誰も不思議に思わなかった時期に、戦争をしてしまった中国に対するお詫びの気持ちというものが、それなりに理解を得られた。それから朝鮮半島においても、先ほど申し上げた94年の以前の時点においては、日韓というものをどうやってやっていくかという中で、北朝鮮は事実上、視野の外にあったということだと思いますけれども、それが全部状況が変わってきた中で、特に中国があっと思ったら非常に大きなモンスターみたいに目の前に出てきた。この心理的なショックというものを日本人は今でも十分飲み込み得ない。中国は何なのかということが分からない。だから中国とどういうふうに対応して良いか分からないという実態があるけれども、トヨタも行き、ソニーも行き、それが2級のものをつくるのではなくて、一番最先端の車、最先端のコンピュータを中国でつくるということを日本のトップ企業が意思決定をした。これをどういうふうに考えて、さっき申し上げた政治的、心理的なショックとの狭間をどうやって埋めるのか、ここは全く国民的に議論されていない。だから、外交的な意味でいわば不始末が起きれば、「外務省は弱腰だ」と言うことによって、心理的な狭間を飲み込んでしまおうとするということだろうと私は思います。だから、外務省は良いと何も言っているわけではないけれども、やはり外務省は所詮は動いている国の一部なのです。ただ、あまりにも派手で目に見えるから叩きやすい。それからやっぱりそれをスケープゴートにもしやすい。ところが特に中国、アジア外交の一番難しいのは、自分たち自身が戦後の問題をどうやって生きていくのか。それをどういうふうに内外に説明するんだということについて議論が十分になされてこなかった面がある。いずれにしても、さっきの話に戻りますけれども、中国は変わっているのですね。中国の最大の政策は親米、アメリカとの関係をとにかく壊さないというふうに変わってきています。 中国を含め国際社会が大きく動いている中で日本が自分の国益をどう考えるか、中国とどう付き合うか、アメリカとどう付き合うかという多元方程式を、数学ではないから絶対の正解はありません。試行錯誤だけれど、そこは議論しないといけないと思います。
【司会】 ありがとうございました。 では次のご質問の方。
【加藤】 現在、新聞の発表では、日本では20%の学卒無業者、フリーターとして働いている若い世代が417万人ということです。開発途上国への人的援助の関連で、その人材養成ですが、20代後半から30代前半の方にもう一度大学で海外援助関連の修士課程に編入する資金を年間200万から300万、ODA資金で対応し、そのかわり修了後、JICAの青年海外協力隊に2年間従事するという考えを持っておりますが、いかがでしょうか。
【西田氏】 大変に重要なご指摘だと思います。二つ重要な点があると思いますが、一つは、日本がODAで何をやるのかという話について、いろいろな議論が行われてきて、極めて健全なことだろうと思います。他方で、一部にある、いわゆる箱物をつくることがあたかも悪であるかのような議論というのは、これは間違っていると思います。 私は覚えておりますし、恐らく副大臣も同じようなご経験をされたと思いますけれども、もう大分前になりますが、アフガン復興の東京会議にアフガンのカルザイ大統領がやってきました。それで総理と会った時に私も陪席をしておったのですが、その時にカルザイが言いました。「今のアフガンは、全世界の人々の助けを必要としている。われわれは何もない。本当にゼロだ。何をいただいても、いかなる援助も本当に満腔からお礼を言いたい。そういう意味でわれわれは誰彼の区別はない。しかし、われわれは日本の援助を最も望んでいる」。なぜ日本かと言った時に、二つ言ったわけです。「一つは、日本の援助というものは人づくりだと聞いている。日本の援助は人づくりが国づくり、国の基礎は人だ」と。当時、総理は米百俵の話をされておりましたから、当然、カルザイはちゃんと勉強してきていた。「それから日本はやはりインフラを造ってくれる唯一の二国間のドナーだということも承知している。だから日本に来てもらいたい」と言いました。僕はカルザイは本当によく勉強してきたなと思いました。日本のODAの得意なのはこの二つです。人づくり、それからもう一つはインフラも造ってやる。いかなる政権がその時の権力者であろうと、いかなる経済段階であろうと、インフラがない国、経済、社会というものは発展しようがない。さっき申し上げた、じゃあイラクで今、兵隊さんが何を期待しているか。イラクの市民が何を期待しているか、インフラですよ。やはり電気があり、水があり、公共サービスがあるということがすべての基礎です。これを造ってくれるほどありがたいことはない。だから、日本のODAは卑下する必要は全くないとまず思います。 2番目にあるのは、じゃあ次に今何が起きているかというと、日本のODAは財政上の困難もあって、資金的にも難しい局面にある。だから、より合理的に優先順位をつけて無駄がないようにやる。当たり前の話です。
ところが問題なのは、人がいないのです。国際社会に出ていって、感謝をされて、そしてまた戻ってきてほしいという人の数が日本には多くないのです。今の日本のODAで期待している仕事を果たすだけの人が十分にいない。ここをどうやって人材を養成するか。国際社会のそういうような場面で働くことは、いかに楽しくて面白くて報われるかということを、僕は是非、義務教育の課程の中で小学校から教えてもらいたい。これは私は切に思っております。ちょっと頭が古いかもしれませんけれども、赤い羽根の成功例があるように、国際協力の日にセーラー服を来た女学生に駅の前に立ってもらって、本当に100円でも1,000円でもいいんですよ、それで小さな子どもの命が助かるということもあります。それを通じてそういうこともやってみたいなと、原体験で持ってもらいたい。さっきのブーツ・オン・ザ・グラウンドの話も共通だと思います。要するに、自分たちが生きていく国をどうやって守るかということと、もうちょっと大きな世界という土俵でいかにちゃんとした仕事をするかということは、結局のところ同じことだということです。それは最後は人の問題です。その人が、それは部隊として活躍する自衛隊の方か、個人として行く方か、NGOか、それは問わないけれども、その人が最後のところで頼れるだけの能力、サービスを提供できるかどうかにかかっています。人づくりは本当に大事だと思います。
【司会】 ありがとうございました。続いて、伊藤さん、お願いします。
【質問(伊藤)】 北朝鮮による拉致問題についてですが、拉致被害者の方々が日本に帰国したおり、そのときに北朝鮮に一度戻るという話だったのですけれども、その約束を破るというような感じにこちらとしては受け取れました。なぜ、北朝鮮に帰さずに日本に残してというようなリスクをとって、外交関係の樹立を捨てたのかということについてお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。
【西田氏】 まず、あの時点で、帰すかここに留まっていただくかという選択は、非常に難しい選択であったし、今でもあると思います。しかし、誰が決めたのかということは、これは政府ではありません。ご本人が決められたというのがまず原点です。率直に言えば、政府は意見を変えたのです。政府は、ご指摘のように平壤宣言に合意したときには、あるいはその後の努力では、とにかく拉致被害者を一たん帰してもらうということから事態の打開を図ることが現実的だろうと判断をし、それで帰ってきていただいた。帰られてから、ご本人たちが自分たちの故郷に戻り、家族に会い、社会に戻りという間に、揺れ動かれたけれども、最後に「自分たちは残る」と決断され、国はそれに従ったというのが本当だろうと思います。その結果として、表面的には、あるいは現実的、短期的には、確かに手が縛られたり、あるいは北朝鮮側にある種の口実を与えているのも間違いない。判断が正しかった正しくなかったは、はっきり言って軽々に断言するのは非常に難しいと思いますが、政府が最後に踏み切ったのは、ご本人たちの意思がはっきりしていたからです。
この問題は、色んなことがありますし、私の気持ちもいろいろ揺れ動きますが、拉致問題というのは、非常に特殊な問題だと思います。単純に言って主権の侵害だ、人道問題だとくくるのは簡単です。でも、それはやっぱり極めて複雑な歴史の中で行われてきた、日本の社会の在り方も含めて非常に難しい背景というものがあるからこそ、解決も難しいということはみんな分かっていると思うのです。これをどうやって解きほぐしていくのかという問題は、一外交問題ではありません。その際、判断の基準をどこに置くかというのは、とことん議論が要るし、今でも行われていますが、政府は、最後の判断として、本人たちの意思を尊重するということを決めた。その結果、何も起きてないじゃないかというご批判は、当然、政府としては甘受する。ただし、それは、さっき申し上げた理屈で判断したということです。
【司会】 あと1問をもって、質疑応答を終了させていただきます。 では、安田さん。
【質問(安田)】 安田庄一と申します。簡単に申し上げますが、川口大臣は、はっきり申し上げて顔が全く見えないということです。官僚の方にとりまして、理想の外務大臣というのはいかにあるべきか、また、どういう存在が、いわゆる政治家が外務大臣として適しているか、その理想像、また官僚の方にとってはどういう大臣が良い大臣、あるいは理想の大臣であるか、その点についてお聞かせください。
【西田氏】 なかなかお答えしにくいズバッとした質問が出て来ました。一般論としてお答えしたいと思います。一つには、お迎えする大臣と、いわば俗に言う事務方との関係で、事務方から見てどういう大臣が良いかという問題。2番目は、外務大臣というポストに着目して客観的にどういう方が良いかということ。外務大臣というポストは、他の国内官庁の大臣に比べて、かなり特殊な部分があるという趣旨で申し上げたいわけですが。 1番目の話について言えば、一般論として役人が大臣に期待するものは、せんじつめれば、国内の政治の中で仕切る力があるかということに尽きると思います。われわれが大臣といろんな議論をさせてもらいます。その中で政策的なご指導を仰ぐのは、これは当然のことでありますが、それを大臣のもとで省として決めたことについて、日本の国内でちゃんとそれをデリバリーしてくれる。党に持ち帰ってもらって党でもちゃんと説明をしてもらえる。閣議にいって総理にちゃんと物を言ってもらえる。同僚の閣僚に対して堂々と自分の意見を話し、結果として自分たちの決めた、この場合は外務省の意見を通してもらうということに尽きていると思います。もちろんそれ以外に人間的に素晴らしい方であることという面も勿論ありますけれども、それはもう敢えて飛ばして、一つだけ言えばそういうことです。
2番目、外務大臣、これは先程申したことに加えての話ですが、外務大臣は、あるいは外交官という仕事が他の国家公務員と違うのは、重大な局面において1人で物事を決めなくてはいけないという場面が多いということです。例えば、外務大臣がサミットに行くと。事務方とは物理的にも離れた場所において発言し、臨機応変に対応しなければなりません。まさに大臣と大臣の関係だから、一番機微な話はその時に相談をしてくる。そういう時に一々、「おお西田君、ちょっと来てくれ」と、これを3回やれば、大体「ああ、この人意味ないな」ということになるわけです。こういう場面が他の省庁の大臣に比べて大変多い。かつ国際関係ですから、「さっきの取消し」というわけにはなかなかいかない。趣旨答弁が国会では通じることがあっても、国際舞台では通じないということでありますから、やはり1人で事務方の補佐が無くても非常に厳しい時に責任を持って行動判断できるというだけの経験、人の大きさ、腹のすわり方。言葉はできた方が良いに決まっているけれども、言葉ができるということは外務大臣の絶対条件ではありません。同時通訳もある。事務方はそのためにいる。要は肝心な時に、自分で考えて自分で判断ができる、そして責任がとれる人ということです。
【司会】 ありがとうございました。 西田先生より本日の参加者に一言お願いできませんでしょうか。
【西田氏】 ずっと喋っているので、いまさらではありますけれども、言いたいことを私はかなり自由に言わせてもらったつもりです。ご意見の違う方、あるいはもちろん食い足りない等々、たくさんあると思いますけれども、私はそのうち5分もすれば退席しますから、その後、皆さんの間で引き続きしっかり議論してもらったらいいと思います。 おっしゃるとおり、日本の外交は「どうだ!」と胸を張れるものではありません。しかし、それはなぜかと言えば、外交はその国の反映でしかなく、それに十二分に耐えうるものになっていないからです。ただし、それが少しでも強くなる、少しでもはっきり物を言う、リスクもとるというようなものに変わっていくという過程にあると信じています。私は外務省員ですから、半歩でも1歩でも国が前進していく外交でありたいと願っています。日本社会の反映である以上、容易に変わるものではありません。しかし、国際場裡の一番前線にいるがゆえに、批判に一番さらされている、皆さんからいろんな意味での不満もぶつけやすい。そのとおりでありますが、しかしそれにも拘わらず、何とか今の日本が置かれているところより前に出て、国民に議論の材料を提供できるような、そういうような外交をわれわれプロとしてはやっていきたい。 その中で、きょう前副大臣もおられますけれども、やはりよい政治的な指導者とめぐり会えて切磋琢磨して議論して、より良い政官の関係というものをつくらなければ、日本は大変難しいことになりつつある。私は危機感は非常に強いです。政治と官の関係をしっかりと、しかもかなり短い期間に変えていかないと、日本という国が、もう生き馬の目を抜くような国際社会でどうやって生きていけるのかということを真剣に考えてもらいたいと思います。
一つ一つの政策の是非はもちろん大事です。一つ一つの政策の積み重ねしかありませんから、抽象的な外交なんてない。だけど、そこに拘泥して議論が終わるのではなくて、骨太の方向性というものを出す努力を、政治にはしていただきたい。政党はそのためにあるはずだ。自民党愛知県連主催による愛知政治大学院というこのような素晴らしい企画は非常に意味があると心から思います。 勝手なことばかり高い席から申し上げて僣越でございましたけれども、ご清聴ありがとうございました。(拍手)
【司会】 どうもありがとうございました。 先生の今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます。本日は誠にありがとうございました。(拍手)
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