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皆さん、こんにちは。私は、名古屋市昭和区選出の愛知県議会議員の可児茂久でございます。可児という苗字のように、愛知県の出身ではございません。岐阜県は郡上八幡の生まれであります。その人情味のある空気のいい所で産声を上げ、八幡幼稚園、八幡小学校、八幡中学校、郡上高校を卒業し、それから愛知学院大学に入学して以来、愛知県在住であります。
私は、政治家に昔から憧れており、政治家の道に進みたいと、子供の頃からおぼろげに思っておりました。うちの父は、政治というよりも後援会活動が好きな人間であり、選挙の時には、一生懸命、運動していましたが、身内が政治家になることは反対する人間でありました。私は、そうした父から多くのことを教えてもらい、とても影響を受けました。よく子供の頃から言われたのが「理屈を言うな。」「世間の人間がやることに愚痴を言うな。もし不満があるならば、文句を言うよりも、自分で直せばいい。あの人がやらん、この人がやらんと言うなら、自分がやればいい」とよく言われました。
私は大学に入っても、常々それを思っておりました。そして、ある時、ある先輩が、政治に対して不満を述べていました。そして、政治のあり方について、こうしなければいけないということを喋っていました。それを聞いた時、生意気盛りな私は言いました。「先輩、それだけ文句があるなら、自分で直せばいいじゃないですか。」すると、その先輩、私の方に向き直って言いました。「俺は、政治家になる」と。私は、その先輩の一言に、大変自分が恥ずかしい思いをしました。そして、私も「政治家になろう!」と決意いたしました。自分の吐いた言葉に責任を持たなければならないと、その時、私は政治家を目指すんだと。(決めました。)その先輩は、東京で秘書を経て、郷里の愛媛県に帰り、県会議員になり、今年、愛媛県議会の副議長に就任されました。
ジバン・カンバン・カバンという言葉があります。今日、ここに にお集まりの講師の皆さんは、愛知県下の地元の方ばかりであります。そうした中で私が政治家を志すにあたって、なぜ岐阜県じゃなかったか。私の尊敬しておりました父親にも欠点があり、商売が下手で借金を抱えていました。私も兄も、すでに愛知県におり、兄が最終的には父親と母親を引き取りました。そして、借金だけが残りました。ふる里には、何も無くなりました。必然的に私は、帰る家がありません。
そうした中で、私が政治家を志して、何もない名古屋でどのようにして政治家を目指したか。私は、秘書になる道を選びました。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いと言われ、時の副官房長官でありました水平豊彦先生の門を叩きました。県議会で最年少で議長になられ、44歳で衆議院議員になり、そして当時の4期生の中ではトップを走っていると言われていました。そうした水平先生でありましたが、私が秘書になった1年余りの時に亡くなりました。当時、第一秘書であった片岡先生が後継者になったので、私は、片岡先生の秘書となりました。片岡先生の秘書生活の中、10年位経った時、政治の中で大きな流れがおき、政党の再編が起こりました。私の選挙区(昭和区)でも、自民党の県会議員が新生党から衆議院議員になりました。そこで、昭和区の県会議員がいないといけないと「可児、おまえ立候補しろ」ということになりました。その時、(衆議院議員となった元県議)の弟さんも新進党から立候補するということがありました。私は、典型的な落下傘であります。当時、私は天白区に住んでおりました。そこで、まずどこでもいいから昭和区に居を構えました。そして、1年間の選挙運動の結果は落選でありました。それから4年間の浪人生活のあと、2年前の地方選挙で県会議員に立候補いたしまして、運良く、前回私が敗れました方を敗りまして、当選できました。
最初の1年の選挙活動は、旧態依然とした選挙活動でした。最初に立候補を決意し、やったことは、とにかく歩く事でした。1年間で2万件の家を歩きました。毎日、今日ぐらい暑い日になると塩が吹いていました。あと辻立ちで毎日、街頭に出て喋っているか、1軒1軒訪問したり、そういう泥くさいことをやっておりました。投票日は4月ですから、2月くらいから足が動かなくなって、アキレス腱が痛くなって、注射を打ちながらやりました。お医者さんから「ダメ」と言われながらもやっていましたけれども、「これだけやったんだから当選するだろうな」と思っていましたが、落選でありました。その後も方法を変える事なく、落選後も選挙運動をしました。しかし、後援会は、かなり変わりました。私は愛知県の生まれではありませんし、誰も知りませんから、1軒1軒お訪ねして「後援会の役員になってくれませんか」と頼んで、そうやって集まった方が少しずつ増えました。今まで、私の後援会の中枢となって頂いている方々の中で、可児と知り合って初めて投票に行くようになった方や、今まで自民党に入っていなかった方々も多数お見えでした。
次にお話される方もお見えですので、時間の関係で、他の活動については、グループの皆さんとお話させて頂こうと思います。
今、時代が行き詰まっていると言われていますが、私は、いつの時代も行き詰まった世の中を蘇らせたのは、勇気ある若者であったと思います。この現在の社会においても、この現代の政治の中においても、それは必ず実現できると私は信じております。その希望を持ち、これからも議員活動を行って参りたいと思います。どうもありがとうございました。
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