学長よりのごあいさつ
愛知政治大学院 5月講座
愛知県議会議員  伊藤忠彦 氏 講演
平成13年5月19日

プロフィール
 皆さん、こんにちは。今日は、この愛知政治大学院にご参加されまして本当にごくろうさまでございます。私は、知多市選出の愛知県議会議員であります伊藤忠彦と申します。この中で、知多市に一度でも足を踏み入れていただいた事がある方、おられますでしょうか。あ、沢山おられまして、光栄の限りでございます。実は、私がこの知多市に足を踏み入れましたのは、選挙のわずか半年前でありました。私の生まれも育ちも実は、この建物のすぐ側でありまして、名古屋市西区が私の生まれ育ちであります。中区の小学校へ越境して行きまして、中学は東海中学、そして高校、大学は東京へ出てしまいまして、ずっと知多市という所とは、縁もゆかりもないままに、選挙まで過ごして参りました。そして、私のプロフィールをご覧になるとお分かりになると思いますが、大学卒業後は、電通という会社に入りました。電通という会社は、社標がCEDという文字で出来上がっておりました。これが何の頭文字かと申しますと、Communications、Excellence、Dentsu。卓越したコミュニケーターである電通人でありたいという意味でCEDという頭文字で出来ています。私にとって、この選択は大変良かったと思います。政治家にとってまず大事なのは、コミュニケーションの能力。どうやって伝えるか、何を伝えるかは別と致しまして、どうやって伝えていくか。選挙戦もほとんど、どうやって伝えていくかの方法を色々考えていくし、様々な手段、方法を考えて伝えていくわけです。結果として、私は電通の時は物を売りましたが、選挙戦は私の名前を書いていただくという作業でございました。ちょうど、私の選挙は、今、申し上げましたとおり、知多市に縁もゆかりもない私が落下傘候補者として、4月11日の投票日に対して、前年の9月1日に知多市に入りました。知多市に行かれたことのある方は大体お分かりになるかと思いますが、あそこは浜辺に工業地帯、内陸には大変古い地域が点在しております。非常にコミュニケーションの難しい古い体質のある所で、さあどうやって入り込んでいいのやらという中で、私にとって中学、高校、大学で先輩でありました、今、引退されました久野統一郎先生が私をその選挙区に招きまして、久野先生が手を引っ張ってくれながら、ポイントを重ねて、ご紹介いただき、あとは私自身が一軒ずつ歩いていく作業でございました。そして、電通に六年間勤めたあと、私が今、師匠として慕っております、90歳になろうとしているご老人がおられるんですが、その方が丁度、電通五年目の時に「細川護煕さんの秘書になったらどうだ」と言われました。私は、細川さんという方はあまり詳しく知らなくて、僕は「一度会ってみたい」と細川さんに二度会わせていただきました。私の直感で「この人と一緒にいくとダメになりそうだ。だから、この人の秘書になるのは止めます」と。その後、一年間、じっと電通で仕事をしておりました。で、その後、「武村正義さんの秘書になったらどうだ」と。当時、新党さきがけの代表であり、細川護煕さんの内閣官房長官をされておられた武村さんのところへ行ったらどうだと言われた時に、お会いもしないで、一もなく二もなく、「私はその人の所に行きます」と申し上げて、きっぱり会社を辞めまして、そして雪の降る中、総理官邸に行って「私を秘書にしてください」と言って、官房長官の私設の秘書にさせて頂きました。それから、さきがけと共に約二年少々、活動をいたしました。その間、参議院、衆議院の比例区にそれぞれ出馬させて頂きました。その後、県連会長でいらっしゃいます杉浦先生ともお目にかからせて頂いて、色々お話をお聞かせいただいたり、ご指導いただくご縁も頂いたわけでございますが、その後、ご案内のとおり新党さきがけ、魂は素晴らしかったんですが、やはり脆弱な組織体ということで、衰退の一途をたどり、私自身の政治信条から、もう一度自由民主党へ入り直してみたい希望を持っておりましたので、色々な方とご相談申し上げ、小渕恵三先生の門を叩かせていただきまして、小渕先生の所で色々勉強させていただきながら、選挙区を選んで、そして選挙をやってみなさいと言われていたんですが、何の選挙をどうやってやるのかとオロオロしていました時に、久野統一郎先生から声をかけて頂きまして、機会を頂いて、今まで考えてきたこと、習熟してきたことを全て出し切って、一度選挙をやってみようということで、頑張ってまいりました。

 実は、私は、物心ついた頃から、政治に興味を持っていたらしくて、それらしい番組は分かっているのか、分かっていないのか分かりませんけど、親が言うには、じっと観てたそうであります。忘れもしれませんが、小学校4、5年の時に、田中角栄さんが逮捕されました。政治というと、汚職と逮捕を繰り返して、今日まで至ってるんじゃないかなと思いまして、あまり良い場面がありませんけれども、なぜか、次第に内閣総理大臣になってみたい、内閣総理大臣になってこの国を素晴らしい未来に導いていきたい、それを自分の仕事としてやってみたいと考えるようになりまして、丁度、高校入学で東京へ出た15の時に、自分自身、政治家になろう。政治家として、これからの人生をしっかり歩んでいこう。そのために、すべてをかけて準備をしていこう。と考えていたんですけど、丁度、堅い職業に就いていた私の父親はそれを絶対に許しませんでした。それが、大学卒業後、電通に入ることにもなるんですが・・・。

 私の父親は銀行家でありまして、非常に堅い仕事なんですけれども、その父親が「絶対、政治家だけはダメだ。そこに、おどろおどろしい現実が控えている。それをお前は受け入れられるのか」ということだったと思います。私は理想を持ちますけれども、おどろおどろしい現実を前にしてひるむか、ひるまないかってことが大問題でありまして、私はこの19年間、父親と話をしてきましたことによって、絶対にひるむことなく自分の考えで理想に向けて歩いていこう。その意志だけは、人一倍、コンクリートやダイヤモンドよりも固いものをつくることができました。

 私は、この愛知政治大学院で、皆さん方に身につけて頂きたいのは、たった一つであります。何をやるにしても自分のダイヤモンドより固い意志をどう造っていくか。先ほど、伝えるということが選挙において大事だと申しましたけれど、伝えるということが全てでありますが、一番大事なのは、誰に伝えるかというよりも何を伝えるか、自分の中から搾り出して何を伝えるかということを、ご自身が持っていれば、必ず、必ず、あとのことは、浮かんでましりますし、出てくる訳でございます。一人でやらなければならない作業は、たった一つ。何を自分が伝えるのか。そのことを真剣に考えていけば、きっと皆さんも自分自身の仕事、あるいは政治家になろうと思われる方も含めて、道は開かれていくと思います。今、まさに日本も問われているのは、何を伝えるかということに尽きると思います。私は、 これからも、ここにおられる皆さん方と一緒に色々なことを考えながら、そのことを頑張ってまいりたい、そう思っています。

 終わりに、一つだけエピソードをご紹介しますと、実は連休、世界中をぐるっと周ってきました。アムステルダムにおりました時に、川下りの舟に乗っておりましたら、アメリカ人のビジネスマンの夫妻が二組、ドイツからの初老の夫婦が一組、ロンドンからの子供を連れたビジネスマンが一組、で私と10人くらいが舟に乗りあわせました。「そうか、君は日本から来ているのか」と言われたその後に、彼らは異口同音に何と言ったか。「小泉はどうだ日本は変わるのか。」そのことを私は聞かれました。そんなに世界中は注目してくれております。私たちは何を伝えれるか。それを沢山の人たちと一緒に一つの方向性を見出していく、そのことに向けて皆で汗をかいて参りたいな、そういう自由民主党であってほしいし、そういう自由民主党にしたいと私は思っております。どうかこの政治大学院で学んでいただき、感じていただき、ご批判をいただき、一緒に最前線に立っていただけるように心からお願い申し上げまして、私のプロフィールかたがた、ご挨拶に代えさせていただきます。ありがとうございました。