学長よりのごあいさつ
愛知政治大学院 10月講座
石田芳弘 犬山市長 講演
平成13年10月20日

プロフィール
 皆さんこんにちは、今日のテーマは私の考える教育論です。私は、教育者ではなく自治体の首長ですから、行政改革の一環として教育を捉えています。その流れの中からお話したいと思います。大体50分くらいお話しして、質問の時間を設けてあります。

 質問の時間に「何かありませんか」と何べん言っても質問がない会があります。今日は自治体の長としての一種の情報公開ですから、それに対して反論してくる、そういう聴講生になってください。まず前提です。

 レジュメがありますが、僕は、資料が多いの嫌いです。ほとんど読まないですよね。資料ばっかりで、資料に重点を置く人がありますが、ほとんど読まずにごみ箱にほかります。だから、僕はこの4点だけ。僕が言ったことを考えることが大事なんです。僕のこれから申し上げることを一つのきっかけにして、皆さん自身が考える会にしてください。

 最初、まずベルガーマイスター、これはドイツ語です。木曽川はドイツのライン川に似ていることから日本ラインと名前をつけたんですが、ドイツに友好都市があります。ちょうどライン川の真ん中ぐらいに、ザンクト・ゴアルスハウゼンという3,000 人ぐらいの小さな街がありまして、そこと姉妹都市です。そこへ行きました時に、市長のことをベルガーマイスターと言うんですね。これは市民の先生という意味なんです。これは私、気に入りましたね。市長というのは市民の先生である。やっぱり市長は街全体の先生になるべきだと思ったのが、私の市長論の原点です。

 ここの中には、政治家になりたいという人も一部おみえになるということですが、私は学生時代、政治家になろうと思っていませんでした。私の父親は政治家でも何でもありませんでしたが、いろいろな人に出会って、政治家に接するうちに、政治家になろうという志を立てて、今日を迎えました。今、言えることは、政治家というのは、一言で言うと、社会のリーダーです。リーダーにはリーダーの心掛けが必要です。政治家になろうとする人は、リーダーというのはどういう役割をするのか、どういう心掛けで日々送らなければならないかということをまず意識しなきゃいけません。リーダー論はいろんな人が書いています。中曽根康弘さんは私の好きな政治家の一人ですが、あの方のリーダー論も明確ですね。それから、哲学者の梅原猛さん、この人は愛知県の出身です。この人も「将たる所以」という名著を書いています。

 私のリーダー論は、いつも私は自分の書斎に張ってありますが、トゥインビーという歴史学者がいます。これが指導者の条件を四つ書いてます。一つは健康であること。これはずば抜けた健康でなければいけない。それから2番目が、強い意志と勇気を持たねばならない。意志が強くないと、これはくじけますね。世の中あっちこっちで意見がありますから、そこの中で自分の意志を強く持てませんと、これは付和雷同の典型になりますので、リーダーは強い意志と勇気を持たねばなりません。これは2番目です。それから3番目は、私欲なしです。子孫に美田を残すなと西郷隆盛が言ってますけれども、自分の地位を利用して私欲を心掛けるような人はリーダーとして欠陥ですね。4番目、目標を限定することです。これも重要ですね。これは皆さんの世代にはなかなか分からないが、私は56歳ですが、私ぐらいの年になりますと、つくづくこの目標を限定するという見方が大切ですね。人間はいろんな欲望がありますから、能力のある人ほど色々なことがやりたい。例えばの話、いろいろ会社の社長になれとか、こういう事業もやれ、こういう団体の長になれ、とか色々と言われる。だけど、今やっている仕事を限定すればするほど、その仕事の純度は上がり、いい仕事ができる。目標を限定することです。私はそう思っています。リーダーの条件ですね。この四つをトゥインビーが言ってまして、トゥインビーといったら日本をすごく評価した未来学者、歴史学者です。やっぱり政治家は歴史を知らなきゃいけません。歴史に関心を持たないといけませんね。自分なりの歴史観を持たなきゃいけません。この四つを私は、自分の書斎に張りまして、拳々服膺、毎日自分の心に言い聞かせております。

 私は、機会があったら若い人にいろんなチャンスを設けて近づこうとしていまして、この間、暴走族の人たち10人ぐらいと話したんです。茶髪でピアスをしている人たち。ほとんど政治家とか行政が何をやっているか分からないです。「何をやっとる人ですか」と私の前で言うんですね。分からないんですね。説明するんですが、ちょうどビジュアルに言うと、オーケストラのコンダクターの役割だと説明します。コンダクターというのは音を何も出さない。ピアノをひくわけでもない、バイオリンをひくわけでもない、チェロをひくわけでもないですが、音楽を出す人の方向を指揮するわけです。野球の監督と言ってもいいです。オーケストラというのは、どんなに個々の名手がいても、コンダクターがなければ成り立ちません。コンダクターの役割というのは、三つあります。まず一つは、明瞭なテンポを皆に与える。リズムを指揮する。タクトを振ってるでしょう、あれはリズムを与えているんですね。政治とか指導者の機能もそうです。やっぱり世間の人に一定のリズムを指揮するんですね。それから2番目が、音楽に対する自分の解釈を示すのが指揮者の機能です。政治という機能は、今の時代背景はどういうものだということを皆に解説していかなきゃいけない。時代は変遷する。今の時代はどういうことが必要だということを、解釈を与えていかなければなりません。それから3番目が、これは一番大事なことですけれども、演奏家の士気を高揚させる、鼓舞させる、そして能力を引き出すんです。これが指揮者の役割です。政治家もそうなんです。世の中は、一つのリーダーがいなければ、どんなに優秀な人がいても、ノーベル賞受賞者がいたって、それは烏合の衆です。その烏合の集団に一定の規律を与え、方向づけをするのが政治家の機能です。そして、元気を出しなさいとみんなに士気を鼓舞させる。不況、不況ばかり言っとってはあかんのです。リーダーがそういうことを言っておると、世の中が全部沈んでしまう。やはり鼓舞させなきゃいけない。自信を持たせなきゃいけない。高揚させなきゃいけない。そしてそれぞれの持っておる能力を引き出させる。そういうことをするのが指揮者の役割です。野球の監督です。僕は正直言ってドラゴンズのファンですが、ヤクルトの若松監督、あそこはチーム全部で巨人の1人の選手ぐらいの年俸ですよ。あの金満巨人を若松監督がやっつけたんです。あれがリーダーシップなんです。監督というのは、選手をうまく起用してコーディネートして、チームとしての力を出すでしょう。その力がやっぱり政治の力なんです。うまく引き出させ、勇気づける。勝負どころには勝負に出る。これが政治の基本です。これがリーダー像だというふうに思います。

 政治をやろうとする人、そしてまた政治家を応援しようとする人、何らかの機能でリーダーシップを目指す人は、「リーダーとは何か」、リーダー学を常に心にとどめる必要があります。人からやらされたり、プレッシャーがかかることを、これはたまらん、しんどいと思ったらもうやめないかん。人一倍プレッシャーがかかる、頭から何をやっても反対をされる、非難にさらされるということは覚悟しなけりゃいけない立場です。まずそのことを申し上げたいと思います。

 それから次に、自治体の市町村長です。まず結論から言いますけれども、国政を担当しておる国会議員、あるいは議員ですね、県会議員、市町村議会議員と首長とは、同じ政治をやるといっても、そのよって立つところの論理が全く違うということをまず頭に入れておいてください。特に私の場合、市長です。市長というのは、行政の長であり、選挙というデモクラシーの制度を通して選ばれた市民代表なんです。ですから、政治家でもあらねばなりません。行政と政治の両方やらねばなりません。行政と政治は公職です。公の仕事ですから、そういう点では表裏一体を成すものですが、まさしくそれは表裏なんです。虚業と実業なんです。政治は虚業で行政は実業です。私はよく言うんですが、ゴルフでいうと政治はドライバーみたいなものです。バカーンと飛ばせばいい。少々曲がってもいい。ところが行政はパターです。これは曲がったらだめです。1センチ入らんでもワンストロークです。あるいは、行政はクラシック、政治はジャズです。政治は即興しなきゃいけない。行政の決めたマニュアルを外して即興する、その場によってそのときの興奮状態によって即興することが政治の命なんです。その外し方にその人の人間性が出ます。話しとって雑談に品のない人がいますね、これはだめです。その外すところに品格が問われる。これが政治なんです。行政はリアリティ、政治はロマンです。市町村長というのは、その両方をやらなければならないし、両方ができるところが妙味なんです。私は江崎真澄先生の秘書を10年やって、県会議員を12年やりました。政党人として自民党で育ってきて、議員をやりまして、今、市長になっていますが、この両方をやるというところですね。

 そして、後からちょっと市町村長の妙味を申しますが、これは自分の政治家としてのパーソナリティーを出すのに行政の組織が使えるということです。結論から申しますけれど、行政改革はトップダウンでなきゃ変わりません。積み上げ方式では行政は変わりません。トップの意志によって行政を変えるしかありません。そこに行政のトップのパーソナリティーが出るんです。また、出さなきゃなりません。

 その話は後に置いて、私は、今、地方行政を取り巻く、自治体を取り巻く時代的な変化について三つだけ特徴的なものを申します。

 今、地方行政は激変しています。ドラスチックな変化を遂げています。介護保険だとか、ごみの問題、リサイクル法だとか、今までになかった手法が法律の中に盛り込まれて、劇的に変化していますが、特に三つだけ皆さん覚えておいてください。一つは、地方分権法です、それから二つ目は情報公開法です。3番目はNPO法です。この三つについて私なりに見解を述べたいと思います。

 地方分権については、今さら申し上げるまでもありませんが、 130年前に日本は近代国家をつくりましたが、その骨格は中央集権です。中央集権でずーっとやってきた。やってきましたが、6年前に地方分権法ができて、この地方分権法の精神は、全く今までかつてなかった思想なんです。それは、今までは中央集権で中央対地方の関係は上下主従関係、縦の関係です。ところが地方分権というのは、中央と地方の関係は対等の関係、横の関係なんです。この図式は、日本が近代国家になって以来、初めての歴史的な背景のある考え方だということをまず頭に入れておいてください。ですから、具体的に言うと、市町村合併をやっているでしょう。あの思想は中央集権ですよ。横並びの思想。差があっていいんです。そんな1万人以下の村の村長が黒塗りの公用車なんか乗っていかなくてもいいんです。軽4を自分で運転していけばいいんです。どこでも一緒のことをやらなくてもいいんです。職員も20人か30人でいいんです。こんなに市町村合併を言う先進国なんて日本だけですよ。まさしく中央集権のなごり、横並びです。私がさっき言ったドイツの姉妹都市、ザンクト・ゴアルスハウゼン市は、市長が自分でアウディの車に乗って僕を迎えに来てくれました。運転手さんもいないですよ。それから市の職員も10人ぐらいしかいないですよ。どこのまちにも同じものを造ろうとするからいかんのです。体育館、それ美術館、そんなもの造らんでもいいんです。向こうへ行ってください、うちはうちの良さがありますと、この違いこそ地方分権なんです。違いは少しもいけないことじゃないですよ。個別化していく、これが地方分権です。どんな小さい町にもいいところがあるんです。市町村合併は20世紀型です。それよりも、ネットワークとボーダレスですからね、自治体同士がネットワークすればいいんです。これが私の地方分権論です。

 国だって、アメリカは世界の秩序を守る国ですから別格としても、いい国というのは小さい小国ですよ。シンガポールだとかオランダだとか、ノルウェーだとかスウェーデンだとか、小さい国がいいですよ。それは、自分のところの国だけでやろうとしてないからです。よそから資本や人材を入れている。だから、どれだけその国が小さくても、世界中の富が集まってくるんです。よその人材を入れればいいんですよ。そういうのがネットワークです。ネットワーク社会なんです。

 そういう意味では、新聞も皆さん中日新聞を読んでください。これは地方分権の新聞ですから。読売、朝日は、これは全国紙です。アメリカに行ったらワシントンポストとかニューヨークタイムズとか、サンフランシスコ何とか、その都市の新聞しかありませんよ。大リーガーだって、僕はイチローの活躍で大リーグがだんだん分かってきたんですけれど、球場はみんな市で造っています。しかも市が特別の期限を決めて、球場ができるまで消費税を上げる。その球場を造ったらもうやめるんです。それからごみの焼却場なんかは、受益者負担で、ごみ袋を高くして、ごみの焼却場ができたらやめますと、こういうことを一ぺん挑戦してみようと思ってますけれど、幾らでも考え方はあるんです。地方分権というのはその町で独自のことを考えればいんです。真似しなくてもいい。そういう風潮をみんなでつくっていくのが地方分権なんです。大きくするのは戦艦ヤマト型で、大きくしたら上から攻撃されて沈没してしまう。要するにアイデンティティーが大事です。

 それから2番目の情報公開。情報公開というのはどういうことかというと、行政というのは、実に情報を持っています。縦横、行政ほど情報の入るところはありません。ただ、持っているだけなんです。これを公開して、住民の皆さんと情報量を一緒にするということが情報公開なんです。ですから、住民の皆さんが一緒の立場に立つ。今までガバナビリティーという言葉を使ってましたけれど、ガバナビリティーは、要するに上意下達の組織のつくり方です。ガバナンスというのは、情報を共有することです。住民の皆さんと行政が情報を共有することです。デジタル・デバイドという言葉をご存じでしょう。これは、情報格差という意味です。情報というのは、かつての土地や金銭みたいな力を持つのです。ですから、情報を提供することが、従来のお金を提供することと一緒になるのです。この団体に補助金をくださいという、この従来の補助金をつけるかわりに情報をあげますと言える時代なんです。情報を使えば今までのように金をもらう以上に、同等のメリットが出ますよということが言えます。もう補助金の時代ではないです。情報公開の時代です。情報をうまく使わないところにデジタル・デバイド、情報格差が生まれ、自治体の格差が生まれてくるんです。

 現実に、私が市長になってすぐ、食糧費全面公開、1円たりともどこへ払うか公開すると言ったんです。そしたら、1週間経って総務部長が私のところに来まして、「市長、そんなことをやったら県がカンカンに怒りますよ。国から予算がもらえんから、絶対できません」と言ってきました。僕は「やってみろ、責任を全部俺がとってやる。いじめが出たら全部俺が責任とったる」と言ったらやりました。そんなことで、もし情報公開することによって後々の行政が差別をつけられたら、それも情報公開してやりゃあいいですからね。そしたら、1年で食糧費が1桁減りました。1桁ですよ。そういうものなんです。情報公開するということは、行政が自らで自浄作用してくるんです。情報公開というのは、実に威力があります。皆さんは、どんどん行政に情報公開を求めていくべきです。「これを公開せよ、どうなっとる」と、それがやっぱり行政に透明感を出していく何よりの力になっていきます。一方において個人の情報もありますから、それは、それできっちりしておいて、真のデモクラシーを進めるためには、情報公開が必要です。

 それから3番目、NPO。NPOは、ノン・プロフィット(プロフィットというのは利益ですね)、利益を求めない。これは皆さん覚えておいてくださいね、公益法人というのは、つい数年前までは、何らかの監督官庁の支配を受けていたのです。例えば学校法人ならば、文部省の方を向いとらんとヤバいです。私のまちには明治村だとかリトルワールドがあります。あれも財団法人で公益法人です。あれは文化庁の方を向いとらないかんです。文化庁の方を向いとらんと、修理するときに金をもらえんのです。ですから、日本中のどんな公益法人でも、監督官庁のご機嫌伺いをしていた。それが1998年、3年前、NPO法というのができました。NPO法の精神が時代を画する精神だというのは、監督官庁がありません。ですから、行政の方を向かなくてもいいんです。NPOの法人格をとったところは。法人格の取得も格段にたやすくなりました。いろいろ必要手続きさえとれば、NPO法人はとれるようになりました。そして、とったならば、従来は行政の方を向いていたのが、住民の方を向くのがNPOの精神なんです。

 これによって私は、NPOをどんどん使おうと考えています。教育問題でも塾の教師たちにNPOをつくってもらって、塾の教師が学校で教えりゃいいわけですから。学校の先生よりも塾の先生の方がはるかにうまいですからね。NPOをどんどん入れることによって、いわゆるチープガバメントです。行政改革になるんです。コストが安くなるんです。ボランティアとNPOの違いは、NPOもNGOも一緒ですが、ご承知かと思いますが、ボランティアというのは、会社で言うと社員のことです。NPOというのは会社のことです。個人と組織との違いです。アメリカでは、税金を払うかNPOに寄附するか、この二者択一ですからね、税金を払いたくない人はNPOに寄附すればいいんです、これが免税になってくるんですね。NPOというのは、いろいろ物品販売をしてもいいんですよ。公益のためならば、専従の職員に給料を払ってもいいんです。だから皆さん、NPOも研究してください。NPOが発達することによって、行政をチープガバメントに持っていくことができます。ぐっと小さくなって、余分なことをやらなくても済むようになる。これがNPOのこれからの効力です。

 それから、もうとにかく今の日本は何でもかんでも他力本願です。今、僕は本当に腹が立つのは、この間も共産党の議員が議会でこういう質問をするんです。「保育園に預けて働いている母親の子どもが風邪をひいた。そうすると、親が会社を休まないかんから、行政がそれは代わって、風邪をひいている子どもを預かって面倒みてくれ」と、こういう質問なんです。僕は言ってやったですよ。「子どもが病気したときぐらい会社を休んだらどうですか。一生涯子どもを育てるわけじゃない。二、三年なんです。それが自己責任です。生んだ人の責任ですよ」、こう言って反論してやりました。それが一つの例ですが、世の中、みんな役所依存ですよ。子どもを育てることから、自分の親の面倒をみることから、無制限に役所は面倒をみるんですよ。皆さん若いからわかりませんが、老人クラブは、慰安旅行に行くのに行政の補助金をもらって行っておるんですよ。病院に行くのにタクシー代を行政が出しておる。全員じゃありませんが、特定の人にはタクシーチケットを払って老人は病院へ行ってます。今、日本中そういう状態ですよ。これは皆さん、若い人がやっぱり言わなきゃいけない。多少ブレーキをかけていかなきゃいけない。それが福祉国家の今の現状なんです。

 それから、私は、この頃自分が時々読む本を皆さんに朗読しておるんですけれども、明治4年ころ、中村正直という人(これは幕臣です)がイギリスのサミュエル・スマイルズという人の書いた(当時は英国が一番力があったんです)「Self Help 」を訳した本が、明治時代の若い人のベストセラーになっているのです。その「自助論」と福沢諭吉の「学問のすすめ」を、若い人たちが読んで、明治国家をつくっていったんです。「自助論」の最初をちょっと読みます。これは竹内 均さんという科学雑誌を編集している人の翻訳ですけれども、「『天は自ら助くるものを助く』、この格言は幾多の試練を経て現在にまで語り継がれてきた。その短い章句には、人間の数限りない経験から導き出された一つの真理がはっきりと示されている。自助の精神は、(自助というのは自分を助けるということですね)人間が真の成長を遂げるための礎である」。「人のためによかれと思って援助の手を差し伸べても、相手はかえって自立の気持ちを失い、その必要性を忘れるだろう。保護や徳政も度が過ぎると役に立たない無力な人間を生み出すのがおちである」、こう書いてあるんです。あまり行政が手を差し伸べると、自分でやれることも助けると、その人は全く自助の精神がなくなって他力本願の、それはその人にとってもよくない社会ができてくるんです。ですから、やっぱりもうちょっと行政のやる仕事を縮めなきゃなりません。もう少し縮めて住民の皆さんの自助に委ねるべきです。その方がいい世の中ができます。

 NPO法というのは、そういう可能性を含んだものだというふうに思っていまして、大いにこれは皆さんに研究してもらいたい。

 今言いました地方分権、情報公開、NPOというのは、この三つが典型的な例で、今までの日本は、与えられた「お任せします、お任せします」のお任せデモクラシー、ここからだんだん地方自治、まさしく真の地方自治です。地方が自ら考える力を持つことによって、お任せデモクラシーから真のデモクラシーをつくっていく大事な時だなというふうに思っています。

 そこの中で、さっき言いました一つの自治体をつくるガバナンスというのは、みんなでやっていくことです。行政ひとりではやれません。そして最後に、ガバナンスとリーダーシップは、やっぱり首長です。市町村長がとらなければならないと私は思っています。

 皆さんまだちょっと若いから、僕の言うことがぴたりとは分からないかもしれませんが、仕事というのは、最終的には自分を濃く出さないと仕事になりません。私は、子どものころ絵を習ってまして、絵の先生が言った言葉、忘れませんが、美術の“術”というのは、理論を学べばできます。色の配列だとか。しかしそこの上の芸術というものは個の分野、パーソナリティーの分野なんです。ゴッホとか熊谷守一というのは、あれは下手な絵の典型なんですよ。ところが、パーソナリティーが出ることによって、人に感動を与えるんですね。だから、仕事はパーソナリティーを出さないといけません。パーソナリティーってどういうことかというと、違いです。ところが行政は、違いを出したらいかんというふうに教えられておるんです。僕はうちの職員には、「差を出せ、違いを出せ、差別化せよ」と言っておるんですが、とても今現状ではできませんが、しかし、特に政治をやる者は、違いを出さなきゃ意味がありません。差別化すること、オンリーワンを出すことです。それで人を引きつけることだと僕は思っています。

 いよいよ教育論ですが、僕はこの間もある高校で話してくれということで行きましたが、高校生で一番多い質問は、「何のために高校に来るんですか」、「何のために勉強するんですか」と、こう言うんです。先生も明快に教えない。答えは簡単なんですよ。何のためか、生きるためです。生きるということは学ぶことなんです。学ぶということは生きるということなんです。それがどういうふうに学ぶかということは、これは自分で考えることなんです。今、教育の世界では、来年からカリキュラムを変更して3割授業がなくなりまして自由学習が増えますので、これは考える力を養成する。今までの文部科学省の教育方針が、世間に受験教育、詰め込み教育だという批判を浴びたから、文部科学省も考え、3割減らしてそこの中で余裕を持たせると。今度はまた、「そんなこと学力が落ちる」とか、「受験できん」とか、そういう議論が出てきまして、僕は、文部科学省には同情的です。この考える力、学力というものが今、教育の世界では一番のポイントになっています。考えることは、答えを与えたらいかんのです。答えを与えたら考えることにならない。考えさせなきゃだめなんです。迷って混乱させなきゃだめなんです。

 僕はこの間も、ある私学の学校へ行って言ったのですが、親と教師と子どもたちと話してきた。「石田さん、学力とはどういうことですか」。その人の思っている学力は、多分、受験の学力の意味だと思って僕に質問したんです。僕は「学力というのは、決定的にみずから求めなきゃ学力はつきません。人から与えられたり、初めから解答がわかっておるのは学力ではありません」と言いました。
 私は教育のところでいろいろな仕掛けをしています。われわれ政治家や行政が、他の学者や評論家と違うことは、実行できることです。評論家はどんなに立派な評論家でも言うだけです。われわれは、少なくとも自分の守備範囲の自治体で、言ったことは実行できるのです。学ぶということについて、いろいろ仕掛けはありますが、教科書が一番大事です。

 僕の一番印象に残っている高校の先生は、漢文の先生でした。教科書を持ってくるでしょう。ポンと机の上に置いて、1ページも開かない。自分のことを話するんです。いかに中国の詩が素晴らしいか、ロマンにあふれておるか、希有壮大だということを。脱線の中におもしろさがあるんです。教科書を教えとっても面白くない。脱線するところにその人の魅力が出て、人間性が出て、教育があるんです。

 だから、高校、小学校、中学校、私の知る範囲ですが、先生になると、これは税金で教科書が与えられます。その教科書の教え方が書いてあるマニュアル、指導書、虎の巻、それに教え方が克明に書いてある。この図表はどう解説する、この写真はどう解説すると、全部書いてある。それで、教科書は 1,000円足らずですが、指導書は 8,000円もするんです。税金ですよ。僕は、行政改革でその指導書をやめないかと。教師自体に考える力が生まれますね。ですから、一気にそれはできませんが、来年度から指導書をなくしてほしいと教育委員会に申し出ましたら、教育委員会は「来年度はちょっとできません。再来年度の課題にさせてください」と、こういう結論です。

 カリキュラムが3割少なくなって、最も心配なのは数学、理科です。数学、理科で皆つまづくんです。数学、理科で落ちこぼれができる。そこのところをどうやって教えるかという副教本づくりで、数学の教師たちが集まって喧々諤々議論をやりました。これは私もその研究会に出ましたが、教師たちの目が違ってくる。要するに、教えるマニュアルがないわけですから、自分たちで教え方をつくりますから、だから教師が考えるようになるんです。教師が考えるようにならなきゃ、子どもたちも考えるようになりませんよ。

 教師の悪口ではありませんが、教師というのは、「ザ・公務員」です。もう公務員のうちの公務員。ですから、みんなマニュアル。司会をするのでも「こんにちは」、「皆さんどうもありがとう」から書いてあるんですよ。そんなことは書かんでも言えますよ。それが典型的な例で、そういう思考経路なんです。ここのところをメスを入れる。メスを入れるのは政治です。学校教育を変えるのは、外部の血を入れる、交配です。メンデルの法則ってやつがあったでしょう、掛け合わせていけば自然によくなるんです。教育大学を出てきて、何年経ったら校長になるという、このがちがちの社会が、学校の先生なんです。そこの中へ一人異分子を入れれば、入れただけでいいんです。ハイブリッドです。私は公用車はトヨタのプリウスに乗っていますが、ハイブリッドをすれば、自然に変わるんです。そこのところは教育者ではできません。それはリーダーが、先生の先生であるベルガーマイスターがやらなきゃいけないんです。

 だから皆さん、皆さんの関係の自治体でも言ってください。やっぱり市町村長が教育の先頭に立たなければ教育は変わらない。これは断言できます。教育も行政ですから、行政改革はトップダウンです。世の中を変えるのはボトムアップ、デモクラシーですが、行政を変えるのはトップダウンです。これは私の経験から見た真理にも近い持論です。

 それから、これ以上言うと愛知県の批判になりますからやめますけれども、日本もペリーが来てようやく江戸時代が終わった。終戦後、マッカーサーが来て改革をやった。サッカーでもトルシエが改革をやったんですよ。日産でもゴーンが来て、やっぱりしがらみがない人が来なきゃだめなんです。改革というのは、しがらみをどう絶てるかだけなんです。同じ世界の人ではだめなんです。僕も自民党で育ちましたけれども、自民党らしくない人が、小泉さんは自民党らしくはありませんから、これはいいなと思ってますけれど、異質の人ですからね。そういう人が改革やりますね。

 例えば、ある人が言ってて、これはおもしろいなと思ったのは、アメリカの当時の副大統領のゴア、あの人は暇らしいから、あの人を日本に連れてきて自民党の総裁にするとか、それは変わりますよ。絶対と言っていいほど変わりますよ。異質の人が来て異質のことを言えば変わるんです。私はそれが政治の力だと思います。
 ・・・恐喝事件があったでしょう。あれは軽々に考える問題じゃないですよ。学校の先生ばかりじゃないです。親も悪い、家庭も悪い、近所も悪い。みんな無関心。

 皆さん時間があって本を読むことが好きな人は、村上 龍の書いた「希望の国のエクソダス」を読んでください。 500ページぐらいあるからちょっと骨が折れますよ。それはフィクションですから、ちょっと「こんなこと起こるか?」というようなことですが、村上 龍が3年間ずうっと日本中を取材して、今の日本の最大の問題点は教育にあり、そしてそれを変えるのはIT革命だということを洞察して書いた小説です。これは非常にサジェスチョンにとんでいます。皆さん一ぺんだまされたと思って読んでください。

 これは、まさしく今の時代を書いておるのです。全く日本が疲弊していく。全く落ち込んじゃうんですね。その日本に一筋の光をあて、世界の中で一つの生き方を与えていくのが中学生なんです。それは、村上 龍は1年ぐらい前に書いているのですが、2001年の秋だというから、まさしく今ごろですね、80万人の中学生が集団登校拒否をする。全国の中学生がパタッと学校に行かなくなるんです。学校は情報公開しない最たるものですけれども、校長も本当のことを言いませんが、実は、深く静かに確実に登校拒否児が増えています。学級崩壊というのが増えていますし、登校拒否が増えています。中学生の80万人が登校拒否をする。しかもその子たちは皆まともな子なんですが、親が大学へ行け、いい会社へ就職しろと言うでしょう。子どもたちは、いい大学へ行ったって、いい所へ就職したって、何にもならないということを見抜いておるんです。親は嘘を言っておるとしか思ってないんです。その虚構の中で日本が動いておるものですから、集団登校拒否をする。彼らがインターネットでネットワークをつくって、最後は北海道へ行って独立したエコマネーをつくっていくんです。僕はNPOでエコマネーをやろうと思っておりますけれども。そのときに、その中学生が、国会で証人喚問に立たされて言う言葉が、これが衝撃的なんです。その国会議員が「なぜ学校に行かん」とこう言うわけです。そのときに中学生が「この国には何でもある。日本には何でもあるが、一つだけないものがある。それは何かと言ったら『希望』がない」というわけです。このセリフが、このドラマの決定打でして、これは深く考えさせられます。何でもあるが希望がない。この希望を見つけるのは、やっぱり若い人たちなんです。高校生や中学生なんです。だからやっぱり教育が大事なんです。今は、むしろ高校生や中学生や小学生に学ばなきゃならないところがある時代なんです。だから私は、市長として自分の土地の学校に心血を注ぎたいというふうに思っています。

 以上で話は終わりますが、最後に、結論として、政党についてと、ちょっと私見を述べます。後で反論のある人は反論をください。

 私は、地方の政治をやっていますが、冒頭申し上げましたが、地方の政治と国の政治は異質です。必ずしも政党の論理を優先していい街ができるとは限りません。政党の論理以外のところにまちづくりの論理がありますから、私はそういうものに立っていますが、ただし、私は自民党の党員です。今でも誇りを持って自民党の党員です。それはどういうことかというと、やっぱり政治的なスタンスが要るんです。バッターでも、打席に立つときにガーっと穴を掘って、スタンスが一番大事みたいですね。何であんなに土を削るのかと思うぐらいスパイクで削るでしょう。あれはスタンスが一番大事なんですね。私もやっぱり地方の政治家として、自分の思想、イデオロギー、そういうよって立つスタンスが大事です。それはやっぱり私は自民党に求めたいと思いますし、日本の政治のスタンスは自民党です。絶対自民党です。日本人のアイデンティティーですね。日本人というのはどういうものかということを、自民党が一番これは知っておる、知っておって表現する党なんです。そこの中で私はぜひ皆さんに考えてもらいたいことがあります。

 実は、靖国神社の秋季例大祭というのがあるんです。例大祭というのは神社の一番大事なときなんです。私は昨日、秋季例大祭に行ってあそこでお参りしてきました。皆さんに配付しましたが、名越二荒之助という人が的確に書いてありますけれども、戦争で死んだ人は、自分で好んで死んだわけじゃないんです。自殺じゃないです。公のために私というものを捨てた人です。そういう人たちの霊を奉らないで、日本人と言えるかということなんです。そこのところを端的に書いてあります。自民党の党是は、憲法改正、これは今でも消してませんよ。自主憲法の制定。占領のときにアメリカ軍が1週間でつくった憲法を、自分たちの手でつくること。それから、今言いました靖国神社に参拝すること。この二つです。私はぜひ日本人として靖国神社へ参拝する国になってほしいですね。以上です。