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こんにちは。冬ですけれども温かい気分の天気になりました。この会場も、今の杉浦先生のお話によりまして、また明るくさわやかになりました。これから40分ほどお時間をいただきまして、皆さんとご一緒に福祉のことを考えてみようと思います。
今、一番先に申し上げようと思ったことを杉浦先生が言ってくださいましたが、百年に一回あるかないかの大転換期です。ちょうど私が学生時代に、アメリカの学者でデビット・リースマンという学者が、おもしろい本を書きました。それは、何百年間に一回起こるような現象を三つに分けているのです。
人類はずっとずっと長い間、伝統指向型の社会に生きてきた。伝統指向というのは、お年寄りの言うことに従っていれば大過なくいけるという社会です。それを読みながら、これは何に例えたらいいのかなと思って、ひょいと思いついたのが、湖で我々がボートを漕ぎます。漕いでいる人は、後ろの方を見て漕いでいますから、先の方はわかりません。だけど後ろをよく見ていれば進んでいく。スピードは出せないけれども確実だという、伝統に従って生きるというのはそれに近いです。
ところが、激動期を迎えて人口が増え出しますと、伝統では役に立たないというので、どうなるかというと、船が大型になります。船の揺れを少なくするためにジャイロコンパスという大きなコマのようなものが船の底で回っております。そのジャイロコンパスに匹敵するものが、次の時代に必要になって、これを内部指向型と呼んでいました。つまり、「われわれが落ちつかなきゃいけないぞ」ということでまず勝負をする、そういう社会になります。それは、広い知識を持ち、かつ落ちつかなければいけないものですから、みんながいろんな本を読み、いろんな人の発言に耳を傾けて、そのことによって落ちつく。
三つ目の社会が現代だというのですが、それは、レーダーの仕組みによく似ていて、他人指向型社会。『あの人は何やってるかな』と他人のことばかり気にしている社会です。入ってくる情報はたくさんあるけれども、どの人を信じていいのかわからないというのであわて出す。
こんなことがデビット・リースマンの本に書いてございまして、われわれは、これをヒントにして少し勉強を始めました。福祉の問題も、それによく似ています。
では、今の三つをバラバラにするのではなくてこれをくっつけちゃえという手があります。3世代交流というのがそれです。われわれがおじいさん、おばあさんの世代からもらう知識というのは、実は本に書いていない知識が多いです。
例えば東南海大地震というのが話題になったときに、おじいさんの世代、おばあさんの世代は、苦労していますから、じゃあ3日間ぐらいは自分で生きてみなさい。あとは公的な助けが来る。初日から公的な助けをやっても、道路は壊滅しているかもしれない。水は出ないかもしれない。これはだめだから、自分たちで助けよう。互いに助け合おうというので、互助という考えが出てまいります。自助・互助です。3日ぐらい経ったら公的な援助が来る。これがおじいさんの知恵でございます。
では、皆さんから見てお父さんの世代はどうかというと、たくさん本を読んでいます。ものすごく勉強した世代ですから、こちらの学者はこう言っている、こちらの学者はこう言っているということはたくさんおっしゃると思います。「困った世の中になったなあ」と一番おっしゃっているのが皆さんのお父さんの世代です。だけど、じーっと見てその話を聞いていると、困ってないのですね。「困ったもんだ」という話題を楽しんでいる人も中にはいます。これは、日本の社会がかつてのように貧困な社会ではありませんので、「大変だ、大変だ!」と言いながら、けっこう乗り越えてしまっている一つの証拠でございます。
それから皆さんの世代になると、もう情報化社会と言われて、たくさん情報があります。情報が入り過ぎると、われわれは浮足立ちます。入り過ぎると不安定になります。そこで、じゃあ情報を少なくしようかとやってしまうと、これはまた安定しても狭くなります。どういう突破口があるかというと、広くて伝統も理解し、かつ落ちついてという、この三つを一緒にやっていくような、そういう考えが必要になります。これが実は人材というものです。自分はパニックにならない。落ちついていて、いろんな目配りができて、しかもみんなをまとめていける。要するに、コーディネーターでございます。このコーディネーター役というのが、これから日本で一番必要な人材です。
もう少し言うと、「人のいやがることをあえてやってもいいよ」という、1日まるまる出せないから、「じゃあこの1時間だけお手伝いしましょう」とか、「じゃあこの30分だけちょっと」、こういう組み方があります。そうすると、規約をつくってかちっとできている団体よりも、やや任意の団体が軽くできてきて、それがいつもいろんなパイプでつながっている。こういうイメージで考えることができます。
そこでちょっと話を進めてまいりますが、歴史の上で人材が輩出した時代というのは、大体皆さんご想像のとおりでございます。NHKの大河ドラマで一番テーマに取り上げられたのが幕末です。それから戦国時代、三英傑が出てくる直前の時代です。一時、ずーっと古いところまでいって、将門を取り上げたのですが、どうも視聴率はよくなかった。現代の方へ来ると、やはり取り上げられるのは終戦直後の激動期というようなことで、こういう切れ目切れ目を見てみますと、やはり人間というのは不思議なものでありまして、激動期になると人材が生まれてくる。どういうふうに生まれてくるか。杉浦先生は坂本竜馬がお好きだそうでございますが、竜馬さんのやったことというのは、お金をつくったわけではない。知恵を自分でつくって「あっちの人とこっちの人と結び付けたら2倍、3倍の力が出るな」ということをやったわけです。これもやはりコーディネーターです。
そこで、福祉の問題を見てみましょう。私たちは、福祉ということを考える場合に、まず、『自分は何ができるかな』というところからスタートした方がおもしろうございます。普通ですと、身障者の方、お年寄り、子どもさんとこういくのですが、そうじゃない。身障者の方だって、元気を出してその力を出してもらわなければいけない。そうするとこれは自助です。自助という言葉の歴史を調べてみました。明治の初めにもう有名になっております。イギリスのサミュエル・スマイルズという人の書いた「Self
help」という本が日本に翻訳されました。明治4年でございます。中に出てくるのは、こういう事例がある、こういう事例があるという、自助のことを実現したような人たちの例ばかりです。今、読みますと、ちょっとくどいなと思うぐらいです。皆さん、驚くなかれ、愛知県というところは読書家がいっぱいいたのですね。明治4年です。明治5年に「学問のすすめ」が出ています。著作権のない時代ですから、これがどのくらい売れたか、愛知県で5万部売れたといいます。今、5万部本を売るというのは大変なことですが、5万部売れて、しかも文字の読めない方のところへは行って口で説明するわけです。「みんなこれから自分でやれるぞ。どこまでやってみるか、自分と自分との競走だとやっていくような、そういうほがらかさというのが自助の意味だ」と。かっこよく言いますと、自己実現です。これがあると、その人の周りにいろんな人が集まってくる。「助けましょう」と来るのではなくて、「教えてください」と来る。身体障害者の方で頑張っている人のところへは、「ちょっとあなたと友だちになりたいんですが、お願いします」とみんな集まってくる。そういうのを自助と考えよう。
それから互助というのは、お互いの助け合いですけれども、これも何が何でも全部助け合うということではなくて、「これはプライバシーに関するからそっとしておこう。これだけは助けよう」というような、ルールをどんどんつくっていく。これが互助です。
公助というのは、それこそ皆さんが頭で描かれる社会福祉法とか、ああいう法律で社会が全体で皆さんを補助していこうと、こういうのでございます。
私は、愛知県の「あいふる・プラン」というものの原案をつくる委員会の座長をさせられまして、そのときに、今まで申し上げたような考え方をもとにいたしまして、まず、チームをつくりました。審議会というのは大きな世帯ですから、常時集まるわけにはいきませんので、小さなチームをつくって、できるだけ現場へ行って話を聞いてこよう。ご当人に会って話を聞いてみよう。そういうことをやって、みんなで集まりまして議論を重ねていきました。
その結果、子どもさんを対象にしたグループ、身障者の方を対象にしたグループ、それからお年寄りを対象にしたグループ、全部取材を終わって帰ってきて、これを編集し直します。この中からどのような方法をつくり出すか。平べったい議論ではなくて、大見出し、小見出しのついた新聞の紙面のような答申の内容が出来上がってきます。忙しい場合は、ぱっと大見出しを見ると、『ああそうか、これでいくのか』、「声を掛け合う」、それから「手を差し伸べよう」、こんなことが大見出しにあります。大見出しの下の小見出しを見ますと、「手を差し伸べよう」というのは、「私は今日あいていますけれども、何かお手伝いできますか。もしあったら私のところに電話ください」というような、こういう時間表を地域で配っていると、四、五十人の仲間があればかなりのことができる。これは阪神大震災のときのボランティアの方々の活躍がこれに相当しました。ではお子さんの場合。これはいじめもありますし、元気のいい子どもと弱い子もありますし、それから勉強嫌いな子もいます。こういう人にどういう人が必要かというと、小さな子どもにはお父さん、お母さん役みたいな人が必要だ。中学生ぐらいになると、今度はお兄さん、お姉さん。高校生になったら、ちょっと恐いけれど信頼できるおじさん。こういうイメージでプランをつくりまして、暇なときにその委員の間で「あんたはお兄さん型だ、あんたはおばさん型よりはむしろ姉御だ」なんていうような冗談まで飛び交うような、そういう会で案をつくりました。
その中で、私たちが一番注意しましたのは、日本語で表現する場合に、皆さんにわかっていただかなければいけないのですが、お役人さんに原稿を書いていただきますと、ちょっとかたいのです。文章の語尾で「何々が必要である」、「何々が望ましい」とか、「何々することが大切である」とか、いろんな区別があるんです。庶民の目から見てよくわかりませんから、「これはどう違うんですか」と言ったんら、「必要である」というのは、予算をつけますという意味、「望ましい」というのは、一応書いておくけれども実現は中規模の未来の方へ送ってしまうという意味だと。それらが全部わかりましたので、これはそれこそおじいさん、おばあさんにも耳で聞いてわかるような文体にしようというので、文体まで変えまして、最後に愛称をつけました。それが「あいふる・プラン」です。愛が降ってくる、愛がいっぱいであるというような意味も掛けたのでございます。
国の方は「ゴールド・プラン」という形でつくられたのですが、愛知県の場合は、もう少しおもしろいことをいたしました。それは、皆さんもお気づきのように、今、私たちの周りで飛び交っている言葉の大半が、「〜化」という言葉です。「少子化」、「高齢化」、「国際化」、「情報化」。あの「〜化」という言葉はいつごろから流行ったかというのを調べますと、明治以降です。文明開化が発端でございます。以後、日本の「〜化」という言葉は、戦時中も含め、ずっと氾濫し続けます。このイメージは、「ぐんぐん変わっていくよ」というイメージです。その間に人も変わっていく、世の中も変わっていくよと。だから「高齢化」と言った場合に、「高齢者が増えていくよ」という意味の他に、「高齢者も変わっていくよ」という意味があるはずだというので、これを調べてみることにいたしました。
この10年間のことを簡単に申し上げますと、私たちがちょうど10年前、92年に「あいふる・プラン」というのをつくり始めたときに、当時の愛知県の人口は、高齢者の人口は、地域によってずいぶん違っておりました。一番若い町だと言われたのが豊田市でございまして、65歳以上の方が7%、8%と言われていました。今、ぐっと上がりました。今、私たちの愛知県は、65歳以上の方が18%ぐらいだと思います。
その65歳以上の方が、10年前はどんなことをなさっていたかといいますと、一番人気があったのがゲートボールです。どこへ行ってもゲートボールをやっていました。ゲートボールをやった後で、ちょっと缶ビールを飲んで、時々判定をめぐって喧嘩などをなさって、そのあげく、ここから先は大きな声では言えないのですが、あちらの町、こちらの町でトラブルが起きました。これは困ったことに、誰が仲裁していいかわからないというのです。村長さんや町長さんがいくわけにはいかない。またこじらせる。前の知事さんのアイデアで「先生、行ってくれないかなあ」と言うから、「じゃあ、行きましょう」と行きました。これは、喧嘩をやって、『そろそろ誰か仲裁に来てくれないかな』と待っているところですから、簡単でございます。行って、当事者同士握手してもらったところを写真に撮りまして、焼増しして皆さんに配って、「はい、今後やめましょうね」と。
しかし、「喧嘩ばかりしていちゃいけないから、ちょっと違ったことをやりませんか」というので、生涯学習でこういうことを勉強しましょうとやって、それでこの10年間にどうなったかといいますと、ゲートボール人口は全国では半分になりました。愛知県の場合は5分の1になりました。あとの5分の4は何をやったかというと、勉強に出かけた。勉強というのも、教室で勉強するだけではありません。例えば名古屋市の方が豊田市へ行って調べようかとか、豊田の方が北設楽郡の方へ行こうか。私も富山村の方まで行きました。そうすると、お年寄りの方がこの10年間で行動様式が変わっただけではなくて、ご自分の健康のことを全部知っている。血圧はどのくらい、塩分を少なくした方がいいとか、それから朝軽い体操をやった方がいいとか。若い人には「おはよう」と声を掛けても、もし相手が返さなくても、こちらは気分を悪くしないで「いや、もう1回やれば返事が返ってくるだろう」と、こういうふうにやっていこう。100%そうなったわけではありませんが、そういうふうに皆さんが変わってくださって、そのおかげでどうなったかといいますと、当初、92年の段階では、寝たきりの方がこれだけ増える、それからぼけてしまった方がこれだけ増えるという不安を持ってスタートしたのですが、数字で言いますと、高齢者の中の1割の方が病気で寝たりなさっていますけれども、9割は元気だというのがわかりました。では、その9割の方を、当初の予想のように皆さんがぼけたり寝込んだりしたというふうなところへ置き換えてみますと、皆さんお元気になって、そこに必要だったお金というのが浮いた勘定になるわけです。
そうしますと、さっきの自助、公助、互助の方へいきますと、自助で自己実現という考え方で、身近なところでそれをやってくださったお年寄りが張り切り出したのです。今、どこの町へ行ってもそうだと思いますけれども、65歳以上の方から75歳ぐらいの方が元気でお仕事をなさっています。「一番やりたいことは何ですか」と言ったら、「仕事だ」とおっしゃいます。だから「年寄りから仕事を取ってもらっちゃ困る」と。お元気です。
そこで、よく私も国際会議というのに出掛けるのですが、65歳以上の方を高齢者と呼ぼうというふうに決めたのは国連です。国連の統計をとる約束事で、それを高齢者と呼ぼうとなっています。今、話題になっていますのは、先ほど杉浦先生のお話に、世界の人口が大変な数になっていると、おととしが60億と言われていたのですが、ことし62億になりました。大変な数です。このうち、いろんな国を比較してみますと、アメリカとか日本とか、先進国の方は、もう平均寿命が80歳を超えるくらいになっています。片や、人口、平均寿命がどんどん下がっている国があります。四十何歳。というのは、アフリカですけれども、病気がはやる、それから貧困で教育が受けられない。こういうアンバランスが生じているのが今の地球でございます。
そうすると、日本の今のモデルは何かというと、お年寄りの方が勉強したら若返った。自分のことに自信を持って「私も捨てたもんじゃないよ、他の人に褒められた」、というようなことになっていったらどうなったかというと、お年寄り自身が自分たちを助けちゃった。福祉のお金もそれで安くなった。このノウハウを今度はわれわれは他の国に送ることができます。そこで、国連の方の会議などでよく議論になりますのが、「65歳以上を高齢者と呼ぶだけではいけないのではないか」と。どうするかというと、今、案が出ていますのは、65歳から75歳を「ヤング・オールド」と呼ぼう。75歳から85歳を「シニア」と呼ぼう。85歳以上は「オールド・オールド」と呼ぼう。こういう案が半ば冗談みたいに出るぐらい、国連は自信を持ち始めました。日本語でどういう訳をつけたらいいかというから、私は、手を挙げまして、日本ではちゃんと訳語ができている。多分、これは皆さんが喜んで受け入れてくださる訳語であるというふうに申し上げているのが、「ヤング・オールド」を「若年寄」というのはどうだろう。「シニア」は「老中」。それから「オールド・オールド」は「大老」。これだったら反対という方はいないと思います。「いよいよ自分も老中になったから」とか、「自分は大老になったんだから少しみんなの意見をまとめていってやろう」。となると、若年寄というのは第一線でばりばりで働く人たちです。老中は何をやるか、方針を決めます。それから大老は、大局的なところで「百年に一度の変化だよ」と言っている人が大老です。
こんなイメージで考えると、お年寄りというのが暗い感じではなくなります。現に、そういう方向で動いていらっしゃるのが今の日本だと思います。「困った困った」とか、「不況で大変だ大変だ」の他に、こんな形で目に見えないところで福祉の問題が身近になり始めた。
身障者の方もそうです。元気でどこへも出ていって、みんなと一緒に学んで、議論にも参加して、そういう方が増え始めますと、世の中明るくなります。だから「ちょっとお手伝いしましょうか」という気分になります。
そこで私は、もっと身近なところで提案しているのが、『自分自身は福祉を必要とする人たちにどんなまなざしを向けているかな』と自分に問い掛けることです。じろじろ見ているかな、冷たい目で見ているかな、温かい目で見ているかな。『きょうちょっと声を掛けりゃよかったけど、声を掛けなかった。ああいけなかったな』というふうなときに使うのですが、『どういうまなざしを向けているかな』、それが一つです。
それからもう一つが、手を差し伸べるということを少しでもやりましょう。汗を流すというのはそういうことです。この町に、あるいはこの学校に、この子どもたちに、ちょっとでもいいから手を差し伸べよう。それから、ちょっとしたことでもいいから声を掛けよう。「おはよう」、「こんにちは」でいいです。それから「きょうはいいお天気ですね」。そういう声を掛ける人が少しでも増えはじめれば、そのまちというのは雰囲気は変わり出します。「なんだ、そんな簡単なこと」ということですが、これがなかなかできない。ことに元大学の先生なんていうのは、こういうことをやりたがらないのですが、私はこういうことをやって、各地区に私的な、私たちの知恵を出し合ったサークルを幾つかつくっていきたい。お年寄りの方と一緒に勉強会というのをやっていまして、「古事記を読む会」というのをやっています。それからもう一つは、「自然科学を学ぼう」という会をつくっておりまして、今の遺伝子研究はどの辺までいっているかとかいう勉強もやっています。それからもう一つは、今度「肩書を全部取っちゃった会」というのをつくりまして、そこで例えば福祉の問題をやるときに、「ありがとね」、「きょうもおかげさまでここまできたよ」と、そういう日本の独特の挨拶というのを幾つか調べてみようじゃないかということでやっております。
きょうこういう会でこれを聞いていただくのは大変ありがたいです。こういうことをお話したのは初めてです。普段はそういうことは照れくさいものですから出していません。でも、今みたいなことをお話していくと、一番喜ぶのが中学生です。ご存じのように、中学生は知らない人と会ったときに挨拶もできず、へたくそです。ぎこちない。突っ張った形をします。だけど本当はいろんな人とまっとうな対話をしたい。が、照れくさいからできない。そんなときに、私は一番身近な福祉はこうだよと言って教えます。それは、例えば中学生に、「お家にお年寄りがいない方は、じゃあ今から老人ホームに行ってみようか。そのときに君たちが怖がることがある。それを今から言おう」と。皆さん、中学生ぐらいの人が一番怖がるのは、お年寄りの顔のシミなんです。ある年齢を超えますと顔にシミができます。若い人だって結構あるのですが、それは目立たない。お年寄りは目立ちます。あれは人生の勲章だと私は言っています。手の方にもシミができます。ところが、人間というのはおもしろいもので、手のひらの方を見せますと、お年寄りの方の手はとても透き通ってきれいです。だから両面見ようと。それが一つ。それから、近づいていって「名前は何て言うの?」とお年寄りから聞かれた場合に、「何々です」と言ったきり後が出てこない。そのときは必ずお天気の話をしなさい。「いいお天気ですね」。そしたら「どこの学校?」って聞いたら「こうです」とやっていく。話の接ぎ穂と言いますね。高校生が「接ぎ穂って何ですか」と言うから困ってしまったのですけれども、やりとりのときの合いの手を入れていくのですね。このサービスを心得ると、お年寄りに近づける。中学生でしたら、例えば年に2回ぐらい行って「私にもやれることが見つかった」と感動して帰ってきます。高校生もそうです。1回行っただけで、「職業選択を少し真剣に考えよう、うちの親と相談してみよう」なんていうことになるわけです。
といいますと、本当に単純なことのようですが、そこまでいくのに10年もかかっているわけでございます。そして、これを厚生労働省の担当の方にお話いたしますと、「何だそんな簡単なことか」とおっしゃるのですが、「こういうイメージで福祉のことを考えていただくと、何でも国がやらなきゃいけない、何でも県がやらなきゃいけないではなくて、そこに住んでいる住民の皆さんがすでにここら辺までやれる力を持ってきている。そうすると、こういうふうにやっているところもありますよ、こちらではこういうことをやっていますよというふうに、いろんな具体例を厚生労働省が情報として請求があった場合に与える方が大事ではないですか」、そんなことを申し上げているところでございます。
今、愛知県の方は、8か年福祉戦略であるところの「あいふる・プラン」というのが一応終わりまして、その次の新しい見直しに入っております。見直しの委員もまた座長をやらされているわけですが、現場へ行って耳を傾けようというのが依然として続いておりまして、お年寄りの方、身障者の方、それから子どもの意見を聞いて歩いています。ただ、聞くというのは、「意見を聞きにきました」と行くと、よそいきの意見しか出ないです。そこで、40分ぐらいみんながお喋りしているのを横で聞いておりまして、今のあのことがいいなというのを二、三引き出します。そして、「さっきこんなお話をなさってたけど、これについてどう思いますか」なんていうことで聞いていきますと、ぞろぞろ出てまいります。テープレコーダーなんか置きますとみんな固くなりますし、メモなんかとろうとすると、みんな固くなりますので、われわれは密かにそれを頭の中に整理するための言葉を幾つか持っています。例えばまなざしのことを言っているな、声を掛けてほしいということを言っているなとか、それからこちらの方は時々顔を見せてくれということを言っているな、こういうふうに整理して帰って「きょうのお話はここに重点がありました」と。そうすると、分厚い報告書を書かなくても、薄くても内容のあるものが書ける。そういう時代に入ったような気がします。
これから皆さんが福祉の問題をお考えになるときに、「そもそも福祉って何だったかな」というのも一つの勉強の仕方です。簡単に言いますと、これは、資本主義が展開していく中で、社会主義という考え方が出てきて、両方のいいところをとってきたものです。日本は今、その最先端を走っていると私は思っています。そして「ダメだ、ダメだ」というふうによく日本人は言いますが、では、他の国は「わが国はダメだ、ダメだ」とそんなに言わないのはなぜか。日本は、明治5年に新しい国づくりの基礎が決まりました。それ以降、「これじゃいけないこれじゃいけない」と、新しい制度をつくるとすぐそれについての見直しというのを始めています。3年ごとの見直し、1年ごとの見直し、1日ごとの見直しみたいな微調整をしょっちゅうやっています。大きな調整の方も5年に1回とか10年に1回と、こういうふうにやってきているのが日本でございます。そうすると、「〜化」と言ってきたのは、ただ流行で言っていたのではなくて、ある種の日本人の特性を秘めていた。つまり、一つの制度を完成させていくには、完璧なものをつくるのは難しい。しかし、手さぐりでつくっていこう。その間に、ちょっとでもいいからよりよくするために微調整を重ねていこう。この心遣いが、今の日本にも私は来ているんだと思います。
そして百年に一度の大転換というのは、微調整ではなくて大枠ですが、その大枠の中で一番見えてきているのが、国民一人一人がこの国の未来を考えるためには、自分たちでやれることをやらなきゃ。そして合言葉が「自分も捨てたもんじゃないぞ」と。「自分はえらいぞ」となると威張ってしますけれども、「捨てたもんじゃないぞ」というところで、最低限のところで一致した。それが今の文化だろう、こういうふうに思っています。だから「大変だ大変だ」と言うわりには、皆さん落ちついています。この落ちつきも、一番先に申しましたように、われわれの特性でございます。伝統文化をもう1回見直そうなんていうのがそこに出てきているのは、非常におもしろいことです。
それからさらに、これから世界全体をご覧いただきますとわかりますように、日本の置かれた立場は、困難な立場もありますけれども、同時に、期待されている面がうんとあるわけです。その中で、福祉の考え方を他の国にノウハウとして差し上げたり、場合によっては売れると思います。
最後に一つの具体例を上げておしまいにしたいと思いますが、愛知県、あるいは長野県、三重県、いろんな山村へ行きますと、小さな町で人口7,000とか5,000というようなところがあります。そこは大きな福祉会館なんか造るわけにはいかないというので、空き家になった家を改造して、みんなで持ち寄ってそこでささやかな二、三十人の老人の集いなどをやっているのですが、行ってみるといいですね。元大工さんだったという方が棚を造っていたり、こちらの方ではおじいさんが「きょうは私がお昼の番だから」とやっていて、1日過ごして帰っていきます。デイ・サービスなんていって車が迎えにくるよりは、こちらの方がはるかにいい。交わされている言葉は、小学校のときの思い出話から、「誰々ちゃんは乱暴者だった」というような面白い話まで出て、作品に書いたりしています。お年寄りが小学生みたいに謙虚になってきていて、小学唱歌を皆さんきれいな声で歌っております。そんなのが山村におけるイメージでございますから、人口が過疎になってつらいだろうではなくて、過疎になったところは過疎で頑張っています。そういう知恵をこれから整理していって後の人にお伝えする、そういうのが私たちの務めだと思っておるところでございます。
きょうは、お話を40分ぐらいで終わりにして、あと皆さんからご質問をいただく、そういう予定になっておりますので、できるだけご質問の出やすいような話の展開にさせていただきました。どうぞ皆さん、自分という存在は捨てたもんじゃないです。「自分なんかダメだ」ではない。「やれなかった。今まで力を出したことがない。これから自分で出していってみよう。1人で何倍もの可能性を自分で見つけられるかもしれない」。そういうおつもりで伸び伸びおやりいただきたいと思います。ご静聴ありがとうございました。
(拍手)
【司会】 堀内先生、ありがとうございました。
それでは、質疑応答に入ります。限られた時間の中で、より多くの方々に質問していただきたいと思います。ご質問はお1人1問、簡潔にお願いいたします。
それでは、ご質問のある方は挙手をお願いします。
では、鎌田さん。
【質問(鎌田)】 どうもお話ありがとうございました。鎌田公生といいますが、1ページ目の(1)福祉の範囲は広がる、「弱者救済→社会事業→社会福祉」とありますが、このことについていま一度わかりやすく講義していただければと思います。
【堀内氏】 福祉というと、最初
Welfare
という言葉が出てきたのは、弱い人を救済しようという教会の事業としてイギリスからスタートいたしました。それが社会事業というふうに変わりまして、もっとサービスする方の側を広げていこうというのが社会事業です。日本でも社会事業大学なんていうのがございました。それが社会福祉というふうに変わったときに、これは各地域が皆さんを支えないと、国だけでは無理だというふうになってきております。弱者救済は、善意の人々がやった。それから社会事業というのは、これは社会事業として一つの仕事、あるいはサービス業として成り立つという可能性を開いた。社会福祉というのは、今や相互扶助。助けたり助けられたり。こういう3段階を経てきたという意味でございます。話を省略した部分にそれが入っておりました。
【司会】 引き続いてご質問ある方。
では、大迫君、お願いします。
【質問(大迫)】 非常に興味深いご講義、どうもありがとうございました。
私は、大阪の大学で社会福祉とか国の方のそういう制度について勉強しています。その中で、(資料の)2ページ目に寝たきり高齢者が増えるのではないかということと、痴呆高齢者が増えるのではないかということが難点として挙げられてます。今、日本の高齢者の10分の9の方というのは非常に元気だと先生おっしゃられました。では10分の1の方はやはり寝たきりであったり痴呆であったりすると思うのですけれども、そこで、日本の福祉の現状として、その寝たきりの高齢者の方や痴呆である高齢者の方というものの残存能力というものを取ってしまうような状況にあると思います。私も実際にフィールドワークとして日本の老人ホームに行ったときに、あばれてしまうような痴呆の高齢者の方をベッドにくくりつけてしまったりとか、寝たきりの老人もそのままずっと寝といてくださいという感じで、実際、床擦れを起こしてしまっている老人の方がすごく問題になっています。それだったら、さっき先生がおっしゃったような「自分も捨てたもんじゃない」というよりも、「自分はダメなんだ」というようなマイナス思考の部分が非常に強くなっているのが現状だと思います。そこのところをやはり、その10分の1の痴呆を持つ高齢者の方や、障害を持ってしまっている高齢者の方とか、そういう方たちに対して、「自分も捨てたもんじゃない」と思わせるような対策を今後やっていかないと、いわゆる高齢化社会の活性化にも本当の意味でつながらないと思うのですけれども、その点について先生はどう考えていらっしゃるかお聞かせください。
【堀内氏】 良いご質問をいただきました。言おうと思っていてついうっかりして飛ばしてしまったところですが。
今の問題は、大変いいご質問でございます。つまり、われわれは、こちらの人が弱者でこちらの人が強者だと、こういうふうに思い込んでいますけれども、この境目はかなり曖昧です。例えば、「この方は痴呆である」というふうに判定された方も、朝から晩まで痴呆かというと、そうではないです。この段階でぱっと意識が目覚めるときがあります。あるいは、重度の障害を持った方だと言われていても、別のことをやるとちゃんとできる。したがって、決めつけることはやめようと。何をするかというと、この人を家の中に閉じ込めるよりは、外へお連れした方がいい。行くといろんな思い出が出ます。その中で、私たちが実際に試したのが、明治以降の流行歌です。流行歌を歌っていて、こっちがわざと間違えます。そうすると、「お前が違うんじゃないの」とお叱りを受けたりするのですが、そして『あっ、つながったな』というふうなこともございます。それからもう一つは、作業をやるときに、われわれの記憶というのは頭だけに蓄積されているのかと思いましたら、そうではなくて、われわれが下手なことをやっていますと、「それはこういうふうにやるんだよ」なんて教えてくれる方がいらっしゃいます。作業のこと、頭のこと、幼い頃の思い出というようなことをどんどん表の方に出していくと、100%痴呆状態が治るとは申しませんけれども、ある瞬間戻ってきて正確なことを言います。逆に言うと、今度は、人間の記憶というのが何からどういう形で落ちていくかということも推定できます。一番顕著なのが、お金の桁です。例えば、今、私たちは給料が何十万円とか何万円というふうな単位ではかる時代に入っていますけれども、痴呆症になった方は、何万円ではなくて何円です。だから、「あんた給料幾らもらってる? 6円ぐらいか?」とかね、こちらの方はおかしいじゃないかと思うのですが、『あっ、桁が違っているんだ』とやると、あとは正確になる。こんなようなこともございます。
したがいまして、われわれが一番重視しているのが、その方の少年時代、あるいは幼い頃に聞いた子守歌だとか、当時の流行歌などをこちらが覚えていまして、ゆっくりと歌ってやる。そうすると、ある段階で一緒に歌うようになります。オペラ歌手みたいにきれいに歌ってはいけません。鼻唄ですから誰でも歌えます。ある瞬間はつながっていきます。ある瞬間、また戻ってしまうというのがあります。それに堪えて行くためには、これは実におもしろいのですが、われわれは不器用な世代ですから、竹ひごを使ったり、それから何か作業をするときに、わざと失敗するのです。すると、「どれどれこうやりなさい」とやる人は元職人さんだったり。それから外へ歩いていって、「ああ、あそこにお花が咲いていますね。あれは何の花ですね」とわざと間違えたふりをすると、「違うよ、あれは〜だ」と、記憶の潜在部分のところが出てきます。ここに一つの可能性というのを見ているのですけれども。
だから、まだまだ未開拓な分野はいっぱいあります。「命短し恋せよ乙女」なんていう唄を鼻唄で歌っていたら、痴呆症だと言われた方も一緒に歌い始めたことがありまして、どきっとしたのですけれども。つまり、こういうものだと決めつけられない分野というのはいっぱいあります。その辺を、ことにあなたのようにお若い方なら、これからどんどんやっていってください。
【司会】 引き続きまして、ご質問のある方、挙手をお願いします。
では、森さん、お願いします。
【質問(森)】 森と申します。
先生のお話の中で、過疎部のお年寄りの話が出てきたのですけれども、ヒヤリングとか今までいろいろと委員会とかでご検討されてきた中で、都市部の高齢者の方のいろいろな問題とか、それに対しての対策というものは何かお話がなかったかなというのを承りたいのですが。
というのは、私今、町内でいろいろと役員をやっております中で、都市部はどんどん高齢者が増えていまして、私、中村区ですが、すでに老人会があって、新しいメンバーが高齢者に達しても、なかなかそこへは入れない。どうしてかといいますと、すでに決まっている予算があるものですから、今までやってきた旅行とかいろんな行事が、加入される方が増えてくると今までと同じ質を保てないということで、加入を拒まれるケースもあったり。また、一人暮らしで、にぎやかなはずの都市部の中で孤独に過ごしてみえる方というのも沢山おみえになるのですが、何かそのあたりのお話が承れればと思います。
【堀内氏】 また良いご質問をいただきました。
大変新しい傾向ですけれども、お年寄りは田舎に住みたがらないのです。山村の静かなところで自然と一緒にというのは、都市に住んでいる人間の幻想でございまして、行ってみれば、寂しくて。『風の音はするし、鳥は鳴いているし、いいな』なんていうのは、都市に住んでいる人の発想です。現地へ行ったら、あの人も亡くなった、この人も亡くなった、あの家も人が住まなくなった。こういうところで人間、暮らせない。そこで、どうしても都市部へ来て住むというふうになります。したがって、都市のど真ん中でお住まいになっていて、孤独で1人でいるという方は、孤独を楽しんでいる方です。無理に引き出さなくても結構です。その代わり、団体ができて、一たん出来上がってしまった団体が、新人を入れてくれないという傾向が出てきます。では、旧人だけというのは、中を調べますと、かなりボスみたいな方が出てきて、采配はしてくれるけれども自分は動かないという人があります。だけど、こちらの方でこれから入れてもらえないなとたまっている人は、ウジウジしているかというと、そうではなくて、こんな生き方もある、こんな生き方もあると必ず動くようになる。向こうが集まっているだけだったら、こっちは別のところに見学に行こうというようなプランがつくれる人がいるはずでございます。
中村区とおっしゃいましたね。中村区って優秀な人材が多いのですよ。ただ、「あの人が声を掛けたら自分はやるんだけどな」と、皆さんそう思っています。自分から掛けると仕事がわっと来るからやめておいて、「あの人がトップに立って声を掛けてくれたら、じゃあお手伝いしようかと待っているんだけれども、声を掛けてもらえない」。ですから、いかがでしょうか。皆さんでそういう会をつくって一回一緒にやってみませんか。そしたら、中村区は愛知県、あるいは名古屋市のトップを切る形になるから、ぜひ。
お年寄りの方が絵を描いて持っていたとする。「これを誰かに見せませんか」と言うと、ご近所の小さな公民館なんかで見ると、みんな知り合いが来て褒めてくれるだけです。それで満足してないです。『誰か偉い人が来て褒めてくれないかな』とみんな思っていますから、ちょっとこれを広い場所をお借りしていって、もうちょっと上のクラスのところでやる。そこのところも一つ仕掛けをおつくりになってみてください。必ず成果が上がると思います。ここまで出かかっているんだけれども言えないというのがありますので。
【司会】 引き続きましてご質問のある方はございますか。
せっかくの機会ですので、ここでたくさんのご質問をいただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
【小嶋】 きょうのお話の中で、お年寄りとの関わりということで、先生にご質問させていただきたいと思います。
以前は、私、高校に勤めておりまして、生徒はお年寄りと関わりを持つという機会がなかったのですけれども、昨年、中学校にお年寄りと生徒との関わりという機会が、総合学習という時間の中にございまして、いい機会だなということを思いました。というのは、ほんとに今、核家族が進んでいますので、子どもたちがお年寄りとの接触というのはほんとに少ないです。都市部は特にそうだと思うのですけれども。ですから、そういう関わりを持つということを継続的に、学校だけではなくてこの地域社会の中で子どもとお年寄りとの接触という機会を、私としては継続的に持っていく方向にあるといいなと思っているのですけれども、先生はその点、どのようにお考えでしょうか。よろしくお願いいたします。
【堀内氏】 皆さん良い質問をしてくだってありがとうございます。今、4人目の方。4人の方の質問が出れば、その講演はかなりよかったというのがアメリカ的な評価でございますので、4人の方のご質問、ありがとうございます。
今、教育の話が何で出なかったというお話ですが、実は、そもそもスタートしたのは英文学でございます。教育の方に切り替わったのが、名古屋大学に来てからで、その前に東京都立大学にいたときは、都市問題でごみ処理をやっておりました。それで、7年ごとにやってきて、名古屋大学を定年でやめるときは、数学の教師だったです。社会構造数理という、社会現象を数学的に解くという。
そんなのでございますので、幾つかやってまいりまして、そのあげく感じていますのは、一番有効に働くのは、お年寄りグループ対子どもグループという対比を一番うまく受けるのは、小学生と中学生です。小学生の場合は、うちにいるおじいさん、あるいはうちにおじいさんやおばあさんがいないという方でも、おじいさんグループと向かい合って何かをやるというときに、新発見をします。
足助町で私が実際にやりましたのは、こういうことでした。一番先に、おばあちゃんやおじいちゃんにひとつ縄をなうという作業をやってみてください。わらをトントンたたいて縄をなうのですが、おじいちゃんたちはピッとつばを吐きながら、時々お尻の下からしょっとやりながらやっていく。実に手際がいい。シャリシャリと音もしますし、見ていても楽しゅうございます。子どもたちの方には、「おじいさんは何回ぐらいいったらつばをペッとやるか、つばの量というのはどの辺に当てているかを見なさい。どこまでいったらこれをシュッと後ろへ引っ張るか、そういうリズムがあるはずだから、ちゃんと測ろうね」と。おばあさんには、昔の針仕事をやってみてください。玉のついた針の山みたいなのがあって、引っ張って縫っていきます。その運針の仕方もコツがあって、縫っていったら今度はピーッと布を張る。時々髪の毛でヒョッとやる。そういう場面をぜひやってください。そこでどういうことが起こったかというと、おじいさんがおやりになった縄をなう作業は、子どもが後でやってみてもうまくいかない。つばを吐けないです。汚いとか、「パッとやるんだ」と言ったら今度は量が多過ぎたとか。こっけいな場面ですが、そういう失敗を繰り返しながら、「やっぱりおじいちゃんすごいなあ」と。おじいちゃん最後に見せ場をつくっていただいて、一番最後にいってぱっと手を離してもピーンと立っています。子どもは幾らやってもできません。おじいちゃんのあれだけの技術はどこでいつ学んだんだろう。学校で教わったんじゃない。昔の生活の中で教わったからああいうことをどなたもできる。そういうふうに教えまして、今度はおばあさんの方では、これをやるのはこういういわれだと後で説明してもらいました。じゃあ子どもがやってみようとしてもできない。
次の手が、子どもとそのお年寄りを近づけるのに、こよりというのがありますね。これはお年寄りの方に「これできる人」と言ったら「はい」と全部手が挙がります。じゃあやってみてください。ティッシュペーパーを細く切ってやると、できない人がいっぱいいます。もう豊かな社会になっちゃったから、やったことあるんだけど忘れちゃった。子どももできないという人が圧倒的多数でした。だけどやってみると2割ぐらいはできます。そこで近づけました。
今度は、おじいちゃん、おばあちゃんの知っている小学唱歌と、子どもの知っている小学唱歌をスライドで写して、これ知っていますか、そうすると3割は歌えます。大正生まれ、あるいは昭和の1桁生まれのおじいちゃん、おばあちゃんと、それから今の小中学生も一緒に歌えます。歌うと、若干音程が狂うようですけれども、そこはご愛嬌です。唄の中で人気のあるのが「夕焼けこやけの赤とんぼ」です。「負われてみたのはいつの日か」ですが、おんぶした方ですから「負」という字を書くのですが、走って追いかけてられているというふうに考えていた生徒がいてもおかしくないです。だからそういう生徒がいるかなと言ったらいる。というようなことで近づけます。
技術、器用さから歌の方へいって、終わるときに「こういう会をまたやりたいと思う人」と言うと、「ワー」です。おじいさん、おばあさんは謙虚になっていますし、小中学生は、おじいさん、おばあさんにこんな知恵があったのか。家じゃ全然見せてくれない。そこで公民館の持っている意味というのがぐっと出てきますので、そこら辺、われわれ仕掛け人になってうまく応用してまいりましょう。
【司会】 続きましてご質問のある方、挙手をお願いします。
【質問(梅村)】 梅村と申します。ご講演ありがとうございます。
私からは、先ほど先生がお話をされた、高齢者を三つに分ける。ヤング・オールド、シニア、オールド・オールド。私の考えるには、60歳から75歳ぐらいの方はほんとに元気で、何をしたらいいのかなということで、畑仕事をしたり、またボランティアに参加したりという活動をしておられます。75歳から85歳以上の方々というのは、体の調子がだんだん悪くなってきたから、少しずつ家の手伝いをしながら暮らしている。その中で、先ほど先生のお話のあったように、介護制度を含めたデイ・サービスとしてそういう施設に行って皆さんと交流を図ることも大切ですが、できれば地域に密着した公民館とかコミュニティセンターで一緒に過ごすということも、とても大切なことだと思います。60歳から75歳、75歳以上の方々、これから高齢者が増える中で、その人たちの生きがいというものをどんなふうに与えてあげたらいいのか。また、行政としてどういう働く場所だとか、そういう生きがい活動というものを考えていったらいいのかなというふうに感じております。その点についてお伺いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
【堀内氏】 梅村さんは、前にお目にかかりましたね。ありがとうございます。
良いご質問をいただきました。きょうの方は、どなたも良い質問で、皆さんが知識を共有したいなというご質問ですから、とても嬉しいです。
今、梅村さんのご質問にありましたようなこれは、条件がかなりよくなってきていると私思うのですが、小中学校、高校まで含めて週休二日制になりました。これをどう生かしていくかというのは学校側の課題でもあり、地域の課題でもあるわけです。それからもう一つは、学校の先生方がその2日を休んでしまうか、それとも、いや、ここから先は肩書を取って地域サービスの方にいこうかというのだし、子どもたちも、朝から晩まで勉強するよりも、先祖からの伝統的な知恵というのを今もらっておかないと、自分たちは傲慢になりはしないかとか、それからもっと厳しい世の中にいくときに、他の人への同情のまなざしというのが出てこないというようなことを知っていただくにはいい機会だと思って私も考えています。
それは、大工仕事というのを例にとりますと、子どものときにいつも不思議に思って大工さんの仕事を見てきたのは、大工さんは口の中にクギをいっぱい入れておいてポンとやってポンポンとやっていくのですが、曲がらないですね。素人がやると指をたたいたりします。今は、口の中にクギを入れるとガンになるといってあまりやらなくて、機械が全部そういう機械になってしまいました。かんなをかけてだんだん仕上げていくときに、薄いかんな屑がきれいに出てくる。あれなんかは、言葉では説明できないけれど「どうだ」という見せ場というのは、お年寄りにはつくって差し上げたいと思います。言葉にならないくらいの高度な技術というのがそこに入っています。これは言葉にならないから、言葉で説明しようとするとぎくしゃくする。しかし、そのたぐいのことが、人間が生きていく中ではうんとあるよということになりますと、それはお年寄りだって馬鹿にしないです。謙虚になります。
詩を書いたり、短歌をつくったりしているお年寄りは、愛知県も多いですが日本中多いですね、3,000万人ぐらいいます。人口の3分の1が詩人だと言っていいくらいです。それは上手下手はありますけれども、ずいぶん多いです。私もそういう短歌の雑誌をいただいていますけれども、表彰したくなるほど素晴らしいものがあります。そんなような仕事の技を人さまに伝えていくには、現場でなければ教えられないというのがある。それはやはりその人たちとグループをつくってやっていくということがどうしても必要になる。それが一つです。
いま一つは、愛知県もそうですし、他の県でもそうですが、歴史の本に書いてないようなことがいっぱいあります。この街道は今は細い道だ。しかし昔は本街道だったというようなところがいっぱいあります。やはり現場へ行ってみなければわかりませんので、お年寄りをチューター、あるいは先生役にして、いっしょにぞろぞろ歩いて見て、自分のふるさとというのは、先祖たちがこんなに苦労してつくってきたのかということを発見していくようなこと。これはお年寄りの先生が一番いいです。学校の先生は今、忙しいですからだめですから、学校の先生をそこに引っ張り出すのはお気の毒ですから、お年寄りの方々がいいですね。
私が今やっていますのは、知立と岡崎と豊田の接点みたいなところの人たちと、お年寄りを含めて勉強会をやっています。それはなぜかといいますと、みんな外から来られた方がそこに定住された。そして会社に勤めていてやめた途端、何か気がついたら自分が今住んでいる地域のことを全然知らなかった。勉強しなからやろうというので、身障者の方も入っているのですが、じゃあ、この範囲を歩いてみて気がついたことの記録から始めよう。もう2年ぐらい経っています。2年ぐらい経ったらそれを劇にしよう、絵に描いてみようとか、次々とその要求が高くなってきていますけれども、やってみるとおもしろいですね。自動車で走っているときは全然気がつかなかったけれども、歩いてみたらこんな新発見があった。あそこの道路は危ないからここのところをこう直した方がいいなんていうようなことを、みんなで文章に書いていく。そんなこともやっております。まちづくりの一環でございます。
それから、汗を流しながら歩いてみると、いろんな年齢の方が入ってらっしゃいますので、各々いろんな配慮が働いて、例えば身障者の方の車椅子をこういうふうに押したらこの階段はうまく登れるとかいうふうなことを現場で教わるわけです。「こうやったらもっとうまくいくな」と新発見して。その新発見というのは、いろんな年齢の方がいらっしゃいますけれども、かなりうれしいらしくて、後で文集をつくろうというと、「自分は今までこんなこと気がつかないぐらい傲慢だった。謙虚になったらこれが見えてきた」なんて。それから「いろんな方のご苦労もわかってきた」なんていうのがたくさん出てくる。それだけ円熟してきます。
最後に、「じゃあこれ自分史という形で、自分の歴史で書いてみたいんだけど」という話になる。そうすると大体、60代のころというのは誰も書かないです。「まだ時間がある」と。70を過ぎると、「そろそろ書いておかなきゃ」。書くと、いいことばかり書いています。「あのとき私がリーダーでやったおかげでこれができた」とか。ところが70代の後半に入ると、同じ現象を「私がやった」ではなくて、「あのときに声を掛けてくれたのは、よく考えたらあの人だった。あの人の名前をここに特記しておかなきゃ」とかいうスタイルになります。これを比べると、同じ出来事に対して、人がいかに見方を変えて深くなっていくか、みんな哲学者になっていくのではないかぐらいな気がして、非常に気分いいです。今、三河の方の人たちというのはすごいなと思って見ているのですけれども。それは地域によって違ってしかるべきですが、春日井の方の自分史は、大体、春日井にお住まいの方も外から来た方が一生懸命この地域を調べてというふうに書いていくのが多いですね。いろんな生き方がこれから出てくると思いますので、ひとつ期待してください。
また何かありましたら梅村さん、声を掛けてくだればいつでもお手伝いにあがりますから。
【司会】 まだお時間がございますので、せっかくですので、あと二つぐらいご質問をお願いします。
はい、どうぞ。
【質問(坂井田)】 坂井田淳というものです。名古屋大学附属高校の3年です。
先ほど、総合学習についてお話がありましたけれども、僕も附属中学に入学以来、6年間総合学習にお世話になっているのですけれども、その中で、福祉施設の方にフィールドワークという形で行かせていただいたことがあります。その中で、やはり他に行った女の子たちともよく話すのですけれども、「おじいちゃん、おばあちゃんっていやし系だよね」という話がよく出てきます。やはり僕らはほんとに今、受験があったり、いろんなことがあったりしてギスギスしていて、いかに隣の席にいるやつを蹴落とすかというような社会になってきてしまっている部分もあるので、お年寄りのいやし効果というのは非常に大きいものがあると思うのですが、そのことについてお話をしていただけたらと思います。よろしくお願いします。
【堀内氏】 附属高校にいらっしゃる?附属高校も私、ちょこちょこ遊びに行ったのですが。なぜかといいますと、6年間一つの学校にいるというのはいいんですよ。文学作品を書くこともできるし、勉強の手を抜いてこの1年間は成績が悪くても次で取り戻すということもできますし、いいと思いました。そこで、附属の高校生でいらっしゃるあなたがそういう質問されたのは立派だと思います。
というのは、自分のうんと身近なところにいるお年寄りは、細かいところが見え過ぎてしまうのですね、だから「嫌いだ」ということになってしまう。ところが、お年寄りグループ対若者グループとして向かい合うと、甘ったれたのではなくて、よそゆきの議論ができます。そうしたときに、『見掛けは朗らかでいながら、心の中は寂しそうだな』というのが表情でわかりますね。それから、『ゆっくりお話になるけれどいいことを言っているな』とか、それに対して若者は早口言葉で言っているけれども、中身は空っぽだったということが、照らし合わせるとわかりますよね。こういうのを、異文化とぶつかったときにはじめて感じるカルチャーショックと言います。カルチャーショックというのは、いやな方だけではなくて、『ああ、これは自分が足りなかったな』というふうに自覚するきっかけにもなるのですよね。
今のあなたのおっしゃっているお年寄りの方々というのは、多分、人生経験を何世代も一度に経験してきたような世代です。幼いころ、まだ日本は貧しかった。それから戦争中もあった、戦後もあった。そして経済の高度成長があって今のような社会になってきている。5世代分ぐらい経験してきています。そうすると、中学生、高校生の人と話をするときに、まず『この人とどういう話をしようか』という前に、その人の表情とか、使っている日本語のテンポとか、そういうことを敏感にキャッチして、じゃあこれぐらいの話ならいいだろうなとやる。で、ちょっと試す。その試していく時間が大体15分ぐらいです。で、『この人となら話せるな』となると、急に姿勢まで変わって、くだけた形になって、「じゃああなた何年生? 何ていう先生?」なんていうようなことで質問が行ったり来たりします。そのときに皆さんの方で、日常会話というのがこんなに内容があるというのを初めて発見するわけです。その発見は、自分の肉親からは教われなかったものです。
そこで私は、名大の教育学部にいたときに、新入生の学生さんにいつも最初の時間に作文を書かせていました。「自分が生まれたころの自分の親たち」というテーマです。大学生ですから、お父さん、お母さんともまっとうに自分の生まれたころの話なんかまとまって聞いたことないです。そこで、できるだけ長く書いてもらうように、原稿用紙10枚以上という条件をつけて、2通つくりなさい。1通は記念用に製本してとっておくようなつもりで丁寧に書け。お父さん、お母さんの読んだというはんこをもらってらっしゃい。こういう条件でやったら、一番喜んだのはお父さん、お母さんでした。「息子や娘に初めてこういうまとまった話をしました」と。
だから、いろんな生き方がありますけれども、私たちは、聞き上手になった方が勝ちです。聞き上手になった方が、はるかに話し上手になりますから。話し上手だけだと、お喋りになってしまいますから、あなたぐらいの年齢で今のような質問をなさるのは、これはもう立派です。うんと自信を持ってください。
【司会】 あと1問をもって質疑応答を終了させていただきますが、最後にご質問のある方はみえますか。
なければ、正健先生から。
【杉浦学長】 先生、ありがとうございました。
先生のレジュメの中のトップに「日本の近未来は、ここにいるような次代に託されているというのに、その若手がテクノクラートと化してしまい、リーダーとしてのスケールや風格が小粒になり、会ってみても面白くない。人間的魅力にも欠ける。他人のせいにする。主体性が衰えた」。この点、私は中央の官僚諸君とつきあう機会が多いのですが、最近、非常にそれを感じるわけです。どうしたらいいだろうかと悩んでしまうのですが、私は先生の分類ですと若年寄の立場ですが、この道を歩んでいて、どの時期に若い世代にバトンタッチするかということをいつも考えながら仕事をしているのですけれども、こういう連中を見ていると、もっとしっかりしろと、やはりわれわれの存在意義もあるなという気も一方で最近強くしてきまして、大老までやろうとは思いませんが、老人になっても存在意義があるのかなと。先生のお言葉を借りれば、「自分もそう捨てたもんじゃないらしいな」という気にもなっておるのですが、その後に、「歴史は証明する」というお言葉がありますが、このあたり、われわれといいますか、年寄りの世代の者として、どうしたらいいと思ってらっしゃいますか。
【堀内氏】 杉浦先生に最後のご質問をいただきましたが、杉浦先生は弁護士さんでいらっしゃいますから、お若い頃ずいぶんいろんな事件も扱ってこられて、副外務大臣という形で大変だった時期に中近東へいらしたりした。そんなことを考えながら杉浦先生のご質問をいただきました。
これは皆さん、ここだけの話というのがありますよね。ここだけの話というのでひそひそ話ではつまらないのですが、オープンにしたここだけの話に近いのを杉浦先生はご質問くださいました。それは、私、ここのところへ、「テクノクラートの人たち」と書いてありますけれども、大正時代の官僚、昭和の先の官僚、明治の官僚とこういうふうにやりますと、おもしろいのは、官僚が政策を立てるときに、何を基準にしてつくったかというと、『この政策をやったらうちの田舎に住んでいるお袋が何て言うかな』というのが大正の真ん中辺までです。『これをやるとお袋は怒るだろうな』とか、お袋さんが基準になっています。お袋というのは、ふるさとであり、田舎の人であり、自分の出身地の人たちの評価です。それを気にしながらつくりました。ところが今度、都市化が進むのが大正の真ん中以降です。関東大震災以降ですから、もう昭和の初期の方にきてしまいますと、都会の人と田舎の人は全然意志疎通ができない時代が来ます。そこでラジオが出てくるという仕組みです。その時代に、お役人は、自分の小さな領域の中に閉じこもる傾向です。そうすると、他の方へ回された場合はだめだというので、その辺から今度はお役人を固定させないために7年ぐらいで異動させましたから、ゼネラリストは出たのですが、専門家は減ってしまいました。その傾向の延長が今の時代だと思います。そうすると、これからやはり専門家でありゼネラリストでありという、両方の要素が必要になりますから、環境の方も、部屋の中で仕事をなさるよりは、この数字は現場へ行ってみたらどういう数字になるかということですね。例えば65歳以上の方が自分の血圧を知っていて、自分の栄養はこうやって管理しなきゃなんてやっていたりするのは、厚生労働省にいてはわからないと思います。厚生労働関係の代議士さんの方には、時々そんなことを申し上げたりしていますけれども、「やはり生きた現実というのは、時間は掛かるけれども、こういうところへ来て皆さんとお話した方がいいな」というふうになります。通訳みたいな人がそこにいて、「今、お年寄りの方がおっしゃったのはこういう意味ですよ」ということを言う人がいなければいけないというから、それはもう皆さんみたいな方が「あれはこういう意味なんですよ」というふうに言ってくださるとありがたいと思います。
例えば今、町村合併のことでいろいろお手伝いしているのですが、私はどこへ行っても、町村合併以前に地域のコミュニティをしっかりつくりましょう。あそこのコミュニティへ行けばこんな人がこんな中心になってこんなことをやっててくださるよと、そういうグループの名前を三つ四つ言えるような人をたくさんつくれば、合併してもいい。合併しなくてもいい。しかし、もしその合併がうまくいけば、県を飛び越して国と対話ができるような市町村ができてくる。そしたら、その市長さんは、その地域の市長さんであり、同時に他の日本全体でも通用する市長さんになる。学校の校長先生でもそういう人が出てきてもおもしろい。というようなことを考えるのですが。
そうしますと先生、国会議員の方はまさにその通訳です。「あれはこういう意味だぞ」と。ご活躍いただくような方々が、皆さんのお若い方々の中からどんどん出てくださるとありがたいと思いますが、その通訳というのは、名古屋弁で言ったらこうで、三河弁で言ったらこうでと、そういう意味ではありません。「ここに書いてあるこの文章は、一般の方にはわかりにくいから、一般の方にわかるように書き直したらどうなるかな」というようことでございます。だから、「不景気で不景気で困った困った」というふうになっていますけれども、でも、「困った困った」と言いながら、取りつけは起きていない。さらに失業者の方が5%、6%、新聞の方ではもっとこんなにいるんじゃないかというのですが、ただ、ドイツや他の国と比べた場合に、日本では右翼政党というのが出てきていないというのが救いです。理不尽な形で武力でもって民衆を痛めつけるというようなのが出てきたら、それを歓迎するようなムードが出てきたら困るのですが、日本は、ありがたいことに、戦後50年の歴史の中でそういうものが出てくる力を阻止するだけの民意はできてきたような気がします。それは、私たちの誇っていいことだと思います。
そんなつもりで、杉浦先生にはまだまだお若いんだし、発想が大体お若いです。だからまだ先生に伸び伸びおやりいただきたいと思います。
【司会】 ありがとうございました。
最後に、堀内先生より参加者の皆さんへ一言お願いできますでしょうか。
【堀内氏】 皆さん、日本は捨てたもんじゃありません、皆さんも捨てたもんじゃありません。愛知県も捨てたもんじゃありません。そういうときに、ひとつ「自分はじろじろ見てなかったかな」ということを反省してみてください。いいところだけ拾い上げようというふうにやったら、こんなおもしろいとこないですよね。
私もとうとう愛知県に居付いてしまいまして、数年前に「本当に居付いたか証拠を見せろ」と言われましたから、「お墓を買いました」と言ったら、「ああそうか。それじゃああんたも名古屋人になり、愛知県人になったと認めてやろう」というので大笑いしましたけれども、それくらいのつもりで、とうとうここが一番自分の具体的なふるさとになりました。そんなつもりでこれからもやっていきたいと思います。皆さんもどこのご出身でも構いません。第2のふるさとというのをしっかりつくってください。ありがとうございました。(拍手)
【司会】 ありがとうございました。
本日は、堀内先生により愛知政治大学院生に活力ある高齢社会へのアプローチを提供していただいたかというふうに思います。皆さんも、それぞれに高齢社会を創造し、活気ある日本について今後とも考えていただきたいと思います。「日本の未来をもう他人任せにしない」、これを強く再認識できたかと思います。
そして、堀内先生のますますのご活躍をお祈り申し上げます。本日は、誠にありがとうございました。(拍手)
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