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皆さん、こんにちは。ご紹介いただきました藤川と申します。 皆さんの前でお話する機会を与えて頂いたことに心から感謝申し上げます。「藤川の話、聞いてよかったなぁ」と思って頂けるか、大変不安でありますが、今、可児先生が言われましたように、政治家になるには政治家の秘書をやるのが一番、近道だと思います。又、親がやっていたり、親戚がやってたり。私も親戚の方にそういった方が見えたんですが、実際、付き合ったこともありません。
私は、プロフィールにも書いてありますように公務員をやっておりました。(私の地元の)扶桑というのは江南市と犬山市との間にある縦横3Km、4Kmくらいしかない小さな町です。人口は、3万2千くらいです。選挙区は、(扶桑町と)大口町という、東海理化とかヤマザキマザックとか、オークマとかの本社がある工業の町なんですが、両方足しても25平方Km、そこに5万4千くらいの人が住んでます。その地元で、親が小さな商売をしておりまして、まぁ地元に戻ったほうがいいだろうということで…。やはり都会でね、サラリーマン生活がしたかった。でも、今まで親孝行の一つもしたことがないしと、地元に戻ったのですが。
公務員というのは、休まず、遅れず、働かず、これがずーっと定着してしまったような感じで、世間ではリストラをして、公務員も減らさなくちゃいけないとか言われてますが、市町村そして県もそうです。身分は、地方自治法で、ずいぶん守られてます。だから公務員というのは、リストラということが外から言われても、中では、あまり分かりません。でも、時代がこれだけ変わってきて、公務員も変わらなければいけない。減らさなくちゃならない。「行政改革」。私自身、そういう必要性をどんどん身に染みて感じるということが多かったです。でも、私の地域というのは、一回、共産党候補が出ただけで、過去36年間、県会議員の選挙は、いっぺん(一回)もない。全部、無投票!全部、町長がやってた。だから私みたいな立場で、またこの年で、古い体質の地域から出るということ自体、正直言って、全く信じられなかったことじゃないか、て今でも思います。さっき、可児さんが、ずっと時代は若い者が切り開いてきたということを言われたんですが、私は、選挙に出る前の1月31日で退職いたしましたので、4月11日が投票日ということを考えると、本当に運動期間は3ヶ月しかなかったんですね。小さなマンションの一室を仲間と借りました。退職願を出すまで、それを出してから、そして受理されるまで、なかなか上手くいきませんでした。相手は、現職の町長ですから。出ることは仲間には相談せず、自分で決めました。ただ、女房だけには相談しましたけど。1月25日に私の上司から言われたんです。「藤川君、まだ辞めんのか」と。その日、女房に電話したら、「まだ(辞表を)出してなかったの?」と言われました。それが、踏ん切りをつけるきっかけでした。それで1月31日に辞めました。辞表を出した25日に「31日付で辞めるから」と仲間に言ったら、2月1日に「俺たちが会議をやる」ということで、商工会の二階に80人集めてもらいました。そして、その一人のマンションを経営している友達が一室を貸してくれた。そしたらレンタル屋をやっている友達が、電灯からぜーんぶ付けてくれ、机も椅子も用意してくれました。それが2Bという部屋で、今でも「2Bを忘れるな」と皆に言われます。
しかし、いざ県議選に出るといっても、毎日毎日、昼間から集まれる若者なんてのはいません。いつも近くにいてもらいたい人が一人もいない。とにかく寂しかったです。何人かのご長老の人達に「まぁ〜藤川君みたいに若い人に、わしら助けてもらわんとあかんで」と言われた。それが、踏ん切りをつけたもう一つの理由なんですけど、その人達が昼間からちょこちょこ集まってくれて、その人達とお願いに周りましたね。昼間、若手は誰もいません。若者は私一人です。本当に辛かった。そうすると、夜7時、8時、9時になると皆、集まってくるんですよ。皆が帰るのは、朝3時ですよ。朝の5時くらいに不安のせいか目が覚めちゃうし、もう本当にね、どうなるかな?と思ってましたよ。
先ほどのお話で、若い者が時代を切り開いて来たってね。でもね、苦労というのは、どの時代でも存在してたんだなぁと思うことが多かったです。時が明治維新だったら、我々は、辻斬りにされて、八つ裂きにされて、木曽川に放り込まれたかもしれないと、いつも思いましたね。だって、現職の県会議員、現職の町長、現職の国会議員、みーんな向こう行っちゃいましたもん。町長が、私が意思表明した後に出てきた。「あんな若者に何が出来る」と。36年間続いてきた、しきたりを守ろうとしたわけです。でも、それはね、正直言って否定しません。当然だろうなと思います。しかし、そういう戦いの中で、古い地域で、又、たった3ヶ月弱という期間で、結果としては5千票の差がつきまして、当選することが出来ました。
私のきっかけというのは、やはり公務員としての立場でした。何を変えるかでした。今、財政も厳しいですよね。国を県も市町村も全部、厳しい。債務残高が全部あわせて666兆円。どうやって返そうか。増税をしましょうか。恒久減税ですよね。直接税は、もう上げられないと思う。法人税を見直そうか。これも下がりました。そしたら、消費税を他の先進諸国なみに10パーセント以上にしようか。そんなことしたら、あんなに評判のいい小泉首相もどっか行っちゃうと思います。それも難しいと思う。じゃあ、アメリカのやっているように、IT関連とかでインフラ整備が日本で出来るかというとなかなかそれも難しい。難しいことばっかりですよ。アメリカが平和の配分と言われたように国防費をいっきにGDP比2、3パーセントに減らすことができた。それで大きな財源をつくることができた。日本は、それもできません。それでは、どうしたらこれからの日本は、厳しい時代を乗り越えていけるか?やはり無駄を省く、行政改革というのが私は絶対必要だと思う。職員をやっている時、最後7年間ずーっと行革担当やっていました。県の広域行政の研究会にも2年間出席させて頂きました。いろいろなことを学ばせてもらいました。まず、市民に近い、住民に近い、県民に近い、役所の人間を変えること、それをやってみたい。私の目標はそれです。ただ、こういう世界に入ると、可能性より障害、障壁とかのほうが沢山あることに気付きます。クリアしなきゃいかんもんばっかりです。前例であり、慣習であります。若い人は、自分の情熱を行動の第一とすればいいと思います。しかし、年をとるとね、自己保身が絶対出ると思うんです。でも、我々の世代は、前例踏襲という易きに流されるのではなく、常に変えようという情熱を持ちつづけ、過去の良いものは引継ぎ、次代を担う子供達に教えていくことが大切だと思います。
だけど正直言って、疲れる時もあります。先週も夜だけで10の会合に出させて頂いて、出て行くと言われるのが「藤川君、若いで飲めるだろ」と、どれだけでも飲まされます。で帰る時、絶対言われるのが「若い若いといっても、飲みすぎるなよ」です。(一同笑)絶対言われます。でも、ありがたいですね。私の両親は、私が30代の時、二人とも亡くなりました。そのかわり、親にできなかった分、恩返し、親孝行できる人は、山ほどいますからね。それは、すごく楽しみだと思います。自分の力で少しでも変える。何を変えるか、国を変える、県を変える、自分を変える。私は、一番身近な自治体に住んでいる一人一人の顔を見ながら、政治を身近なものにして、その地域を変えていきたいと思います。杉浦先生ともこうした形でお知りあいになることができて、新聞を読むと「杉浦副大臣が…」て載っていますよね。遠いと思っていた国政が、すごく身近に感じるんです。杉浦先生も国に出たら、しょっちゅう愛知県に帰ってくることはできません。でも、私たちが皆で国政の現状を県民に伝える。政治というものを身近にしていく。私たちは、まだまだ若いと思いますし、どんなことも出来ると思います。前例踏襲ではない、新しい身近な政治を作っていかなければいけないと思います。皆さんのきっかけ、目的というものを、どんどん時代に合わせて順応させていけばいいと思います。皆さんの可能性に私は賭けていきたいと思います。また、一緒にこの地域を変えていきたいと思います。どうもありがとうござ.00.いました。
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