学長よりのごあいさつ

第2期愛知政治大学院 1月講座
講師:有村治子氏

プロフィール

 愛知政治大学院の皆様こんにちは。あけましておめでとうございます。ご紹介いた だきました参議院議員の有村治子でございます。ことしの1年が皆様にとって本当に 幸が一つでも多くなっていくような1年になっていただきたい、そしてなっていくよ うに努力していかなければいけないなというふうに私自身も思っております。
 きょうは、愛知政治大学院で皆様とともに勉強する機会をいただきまして、ありが とうございます。
 私は、比例区で当選させていただいているのですけれども、杉浦先生からこのお話 をいただきまして、非常にびっくりしました。皆様が出された地方分権、市町村合併 のレポート、7月ぐらいだったと思いますけれども、そのレポートのサンプルを勉強の参考にということで渡していただいたので、拝読させていただきました。非常にレベルが高くて、「こういうことがある限り、日本はまだまだ捨てたもんじゃないぞ」と私自身非常に勇気づけられてこの場に立たせていただいております。
 きょうは、『教育の主体性を取り戻して』というテーマで1時間あまり私がご報告をさせていただこうと思います。
「マラソンの有森裕子さんなら聞いたことがあるけれども、自民党の有村治子なんて聞いたことがない」という方々がほとんどだと思います。「きょう有村治子という名前を初めて見たよ」という人、どのくらいいらっしゃいますか。手を挙げてくださいませ。もう遠慮なさらなくていいですから、本当に率直に手を挙げてくださいませ。
 ありがとうございます。会場の中の78.2%ぐらいが手を挙げていただいたかなというふうに思っております。(笑)
 これが現状なんです。何で私がわざと、あえて今、手を挙げていただいたかと申しますと、普通の人が選挙に出たら、自民党のビルに入っていくことをいやがらない方々の間でも知名度がなくて、選挙が終わってもこんな知名度のない中で悪戦苦闘しているというのが現状だということをまずご報告させていただきたくて手を挙げていただきました。きょうは、まず自分のプロフィールから始めまして、教育について私が考えていること、それから杉浦先生がおっしゃっていただきました教育基本法の改正について、今、どんな動きがあるのかということもお伝えさせていただきたいと思います。 そして、皆様お気づきかどうか、先ほどステージからこちらの方に下りてまいりました。そして何やらわからないですが、手品をするのか、小物もいっぱい揃えてまいりました。どうして私がマイクをコードレスにしたかというと、私が一方的にお話をさせていただくのではなくて、皆様にどんどんお話を伺っていきたいという思いで、同じフロアーにさせていただきました。そうすると、視線が合いまして、「やっべえ、俺、前に座っちゃったよ」という視線を感じるのですが、コードレスマイクですから、縦横無尽に前だけではなくて後ろも、縦も横もマイクを向けていきますので、ぜひ皆様ご自身の思ってくださることを率直におっしゃっていただけるようなセッションにしていきたいなというふうに思います。
 私がお伺いする質問、あるいは問題提起というのは、正しい答えというものがないものばかり質問させていただきますので、当然ながら、皆様のコメントしていただくことは間違った答えというのは一切ないような質問をさせていただきます。ぜひ自信を持って「有村、それは違うんじゃないの」とか、あるいは「有村さんはそう思うけど、私はこう思う」というようなこともおっしゃっていただけたら、そこで学びの機会が生まれるのかなというふうに思っております。
 こんな感じで進めさせていただいてよろしいでしょうか。(拍手)
 はい、ありがとうございます。
 では、先ほど過半数の方が「有村治子なんて聞いたことがない」というふうにおっしゃったのですが、私、選挙に出させていただいたのは1年半前、2001年の夏の参議院選挙でございました。参議院の比例区、いわゆる全国区です、比例区で自民党の公認候補として立候補いたしました。この中には、自民党員ではなくて無党派層の方々がたくさんおいでだと理解しております。そんな中で、今まで自民党の比例区、いわゆる全国区ではどんな人が選挙に出てきたか。それは、特定の業界団体の幹部の人か官僚の方々か、テレビによく出てくる知名度を誇る有名人ばかりでした。どうしてか。勝てるからです。ですが、小泉政権になる前、自民党の内閣支持率が8%だったときに、長島監督の名前なども出ていましたが、皆さん落ちる選挙には出たくないということで、有名人の方々がことごとく参議院の選挙に出るのをやめました。自民党からは出たくない。そんな中で、当時の古賀 誠先生が、「有村さん、落ちる選挙だけども頑張れよ」というふうにお声を掛けていただいたのが一昨年の夏の参議院選挙でした。
 どうしてかというと、私が国民の一人として尊敬していた野田聖子元郵政大臣に個人的に、「今の自民党は、選挙に出たい志があるけれども、若い、そして組織力、資金力がないという人が、率直なところ、今は民主党さんだったり自由党さんからしか選挙に出ていけない。自民党にはなかなか選挙に二世・三世ではないと出ていけないという現状になっている。国家観を考えれば自民党しかないと思っていますが、今の自民党では制度疲労を起こしかねないような状況もあるし、実際にほつれも出てきています。こういう状況を変えるために頑張っていきたいと思います。」という手紙を出しました。こういう手紙は恐らく100通も200通も来ているでしょうから、「ごみ箱に捨てられるんじゃないかな」というふうに思っていたところ、国民の一人として私が手紙を出してから2日後に、「じゃあ会いましょう」ということで野田聖子事務所からご連絡がありまして、初めてお目にかかって3週間後に、当時の古賀 誠幹事長から、「次の選挙、受かる選挙ではないですけれども、どうだ」というような話をいただきました。
 内閣支持率が8%のときです。私の親友も、自民党と言っただけで、「自民党じゃなくて無所属だったら応援してあげるのに、民主党だったら受かるのに」というふうに言われました。街頭遊説で「自由民主党の新人の有村です」と言ったときに、いきなりつばをかけられました。それぐらい『自民党』と言っただけで「引っ込め」と言われるような状況でした。 どうして私がその選挙に出たか。それは、自民党が一般生活者を比例区、全国区に公認するというのは今までなかったことでした。ですから、逆風のときだからこそ、とりあえず「自民党にも一般の生活者がいますよ、若い世代がいますよ。普通の女性がいますよ」ということで、はっきり言ってしまえばお品書きの一つだったのです。だけれども、こんなことは今までにはなかったことだということで、「私の結果がどうであれ、そういうキャリアをつくっていくと、次の人がまた出られるようになるだろう。それで変わっていくのかもしれないな」、そんな思いで、最後まで志を高く掲げて歯を食いしばってにこやかに戦い抜こうということを心に決めました。
 しかし、そんなかっこいいことを言っていても、現状はさんざんなものでした。比例区、全国区の候補というのは、各県で500人、1,000人集会をばんばん開かれます。しかし、私はどこに行っても、「有森裕子さんなら知ってるけど、有村なんて聞いたことがない」、当然です。政治はやはり、力と力のぶつかり合いですから、比例(全国)区の選挙に、官僚の方が出るのも大事、タレントが出るのも大事、そして業界代表が出るのも大事だと思っています。だけれども、国民の9割9分は私たちのように髪をふり乱しながら毎日の生活を何とか切り盛りしている一般の生活者だと思います。だとすると、『その声こそ政権政党に届けなければいけない』、そんな思いでビラを配り始めました。誰にも取ってもらえませんでした。そして、夜中には怪文書が出たり、あるいはお叱り、いやがらせの電話が来る。朝6時には新幹線や飛行機に乗って一日中「有村です」とビラを配る。ただ一人、夫が有村治子ののぼり旗を立てて、ただひたすら、もうどこでも駅前のチラシのように、「有村です」と言いながら元気にやるしかありませんでした。そして、夜の11時、12時に選挙事務所に戻ってくる。それから朝の2時、3時にホームページを更新して、そしてあと3、4時間したらまた朝6時、7時に新幹線に乗って行くというような生活を6か月続けました。
 この中にもこれから政治家になりたい、政治家を志そうという方がたくさんいらっしゃると思います。しかし、実際に選挙をやってみて、選挙というのは、「現代に残された唯一の合法的な戦争だな」ということを痛感しました。精神的にも肉体的にも極限までおい込まれるし、本当にプレッシャーを感じ、実は毎朝吐いていました。そんな中で、日曜日の夕方、5時ぐらいでしたか、夫と2人、誰もいなくなった選挙事務所でトイレを掃除していました。それぐらいスタッフがいなかった、仲間がいない一般生活者候補でした。そんなときに、夫が「散歩に行こう」と言ってくれました。喧嘩しそうになって、「こんな忙しいのに散歩に行くってどういうこと?」、「まあいいから付いてこい」と言うので付いて行きました。夫が連れていってくれたのは、靖国神社でございました。『何でこんなとこに連れて来るんだろう』というふうに思ったのですが、夫が申しました。「僕たちは、この選挙、例え負けたとしても、路頭に迷うのはあんたと俺と2人だけじゃないか。だけど、ここにいらっしゃる僕たちの先輩方は、『真剣』、本物の剣でのるか反るか、生きるか死ぬかの戦いをやって、もし自分がやられてしまったら、自分だけじゃなくて自分の愛する両親や恋人や奥さんや、奥さんのお腹の中にいるまだ顔も見たことのない赤ちゃんの命をも危険にさらさなきゃいけない。そんなプレッシャーの中で第一線に赴かれたんだぞ。それを考えると、僕たちはたとえこの選挙で結果が出せなかったとしても、『世間のお騒がせ者』ということでさらし首になることもない、打ち首になることもない、はりつけになることもない。民主主義ってありがたいじゃないか」ということを夫が言ってくれ
ました。そのときにはっとしました。私は、戦争が終わってから四半世紀、25年後に生を受けた典型的な戦後派世代です。皆さんも靖国神社に関してはいろいろなお考えの方がいらっしゃると思います。その皆様それぞれのお考えというのを尊重した上で、私が初めて修羅場の極限状態に置かれる選挙というのを経験してみて、『ああ、民主主義ってありがたいな。敗者をも生き長らえさせてもらえるのが民主主義なんだな』ということを初めて実体験として感じることができました。
 皆様が靖国神社に関していろいろ思われることがあると思います。私も思っていました。一昨年の夏、総理の参拝をめぐって、強い賛成派、反対派、皆さんプラカードを掲げましたが、初めてこの選挙という経験を通して、私は「靖国神社参拝に関して、右翼も左翼もないな。これは政治問題にしちゃいけないな」ということを痛感しました。戊辰戦争以後の戦争を美化するわけでもなく、決して卑下するわけでもなく、過去に私たちのたった1世代前、2世代前の普通の国民の大多数の人が、自分の愛する家族のため、ここ愛知県のため、あるいは日本のために、純粋な思いで戦争の第一線に立たれた方々がいらっしゃる、こういう過去をしっかりと直視しなければ、私たちの未来は切り開けないのではないかと思うに至りました。
 この話をすると非常に長くなるのですけれども、そういう意味では、私は、靖国神社に対して今、小泉総理がどういう意味で参拝されるのかが、戦後派世代として理解できるなというふうに感じています。過去の貢献ということをしっかりと直視できなければ、未来は築けないというふうに思うからです。
 実は、皆様ご存じでしょうか、靖国神社には、中に白無垢を着たお人形さんがガラスケースの中に入っているのがたくさん奉納されています。平成になってから奉納されたのですが、これは、10代、20代で第一線に立たれて戦没された方の妹さんや弟さん、あるいは年老いたご両親が、恋一つできなかった、あるいは結婚したかったんだけど、「お前は出兵するから彼女に迷惑をかけるから」ということでわが息子の結婚を許さなかったご両親たちが、「この世で結ばれなかったけれども、せめてあの世で結婚してくれ、好きな人と結ばれてくれ」ということで、白無垢のお人形さんがたくさん平成の時代になってから奉納されています。これを見ると、「ああ、本当に普通の人たちだったんだな」ということを感じます。いろんな思いの方がいらっしゃると思いますけれども、それも尊重した上で、もしよかったら、またそういう現場に行って現状を知っていただけると、私も戦後派世代の一人としてありがたいなというふうに思います。
 今、平和な時代の中で頭で考える現状と、実際に自分がやられるかどうか、のるか反るかという中で考える論理というのは、私たちが平和なぬくぬくとした時代の中で同じ論理では語れないな、これはしっかりと歴史ということを現場で考えなければいけないなということを、政治家1年生として感じるようになりました。
 
だんだんこれからカジュアルな話になっていきますけれども、ここで皆さんに伺いたいと思います。 過去・現在・未来という歴史の中で、現在に住む私たちが直接影響力を及ぼし得るのはどこだと思われますか。私たちが直接影響力を及ぼし得るのは過去でしょうか、現在でしょうか、未来でしょうか。これも正解答はありませんので、ぜひ手を挙げてみてください。

 私たちが直接影響を及ぼせるのは過去だという方。
 1人、おもしろい意見ですね。ありがとうございます。
 では、現在だという方。
 はい、ありがとうございます。半分ぐらいですかね。
 では、未来だという方。
 これも半分ぐらいいらっしゃいますね。
 お1人だけ過去・現在・未来、全部に手を挙げてらしたんですけれども。

【参加者】お気づきでしたか(笑)。

【有村氏】 はい、しっかりとチェックしておりました(笑)。
 じゃあ、過去は1人だけだったので、ご意見を聞いてみたいのですけど。どうして過去なんですか。

【参加者】今、生きている私たちの行いによっては、過去も、その過去の先輩の方々の成してきたことも、更によくなるかもしれない、あるいは悪くなるかもしれない。そういった意味で、過去に対してわれわれは影響力があると。

【有村氏】 なるほど、哲学者ですね。ありがとうございます。貴重なご意見を賜りました。唯一過去ということに手を挙げられた方ですが。
 実は私も、この熱い愛知政治大学院に集われている皆様、私のホームページに載せていただこう、演説会もPRさせていただこうと思って写真を撮りましたけれど、皆さんの姿勢、大好きです。「現在・未来、今頑張るから将来があるんだ。私たちが集中しなきゃいけないのは現在なんだ」、私もそう思っております。今でもそう思っておりますが、国会で1年半議席を預からせていただいて、「実は、私たちが影響を及ぼし得るのは、現在・未来だけではなくて、過去にも遡及するのかもしれない」と強く感じ始めています。というのは、1980年代、90年代、日本が輝かしい高度成長、そしてその後のうまみを享受していたとき、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なんていうことを西洋からも東洋からも言われました。「さすが日本のQCサークルはいい。品質改善はいい。日本の組織、日本のジャパニーズ・カンパニーはナンバーワンだ。さすが日本は算数・数学が出来る。教育はピカイチだ」ということで、東洋からも西洋からもいっぱい研究者がやって来きました。そして日本が経済的にアドバンテージを味わった。それが終わった後、バブルがはじけて今、現状がよくなかったら、「やっぱり日本の教育はよくない。集団生活はよくない。日本のカンパニーというのは全然競争力がない」なんていうことで、完全に今の状況ではなくて私たちの過去までも否定されるような論調が西洋からも東洋からも少なくありません。
 そんな中で、やはり思うのは、私たちの現状いかんで、私たちや私たちの先輩が頑張って体を張って仕事をしてきたその貢献によって、歴史を輝かせることもできるし、それを鈍らせる、輝きを失わせることもできるということを考えると、実は、現在に住む私たちの過去への遡及力というのも、「これまた捨てたもんじゃないな、恐いな。だからこそ今、踏ん張らなきゃいけないんだな」ということも感じ始めています。
 そんな中で、やっと教育の話に続けていきたいと思うのですが、政治の世界に入らせていただいて感じたことは、今まで日本の政治というのは、『分配する政治』だったと思っています。つまり、中央集権で、お上が税金をばんばん取って、そして「君たちのことは俺たちが決めてやる」ということで、中央の賢い人たち、あるいは名誉ある人たちがそれを決めて地方に分配する。あるいはここ愛知県から各地域に分配する。そんな分配をすることで政治家がそのポジションパワーを誇ってきたというのが、今までの大きな役割だったと思います。政治というのは、限られた予算を皆さんがある意味では取り合いをするわけですから、政治家が分配する、予算をぶん取ってくる、あるいはちゃんと予算配分をするという機能は、これからもなくならないと思います。そういうことでいわゆる長老の人たちが踏ん張ることができたというのが、過去の大きな流れだったと思います。
 今、私が痛感するのは、その役割はこれからもなくならないですが、そのウエートというのは著しく低くなると思います。そうではなくて、各自がそれぞれ付加価値を付けるための土壌を整えていくという役割が、地域のリーダーや政治家、あるいは学校の先生方、あるいは教育者、ご両親たちに期待される一つの大事な機能になってくると思っています。英語ではスプーン・フィーディングと言うのですが、お父さん、お母さん、先生が何でも知っている。それを小さい子どもに、次の世代にかみ砕いてそのスプーンであげる、というような、資源を分配する政治・教育ではなくて、農業の方、自営業をやっている方、公務員、あるいはスポーツ選手、いろんな人がいらっしゃいますが、各自がそれぞれの業界、分野で、付加価値をつけていくための教育をどうするか、そのための規制をどう撤廃していくか、そのための参入障壁をどう低くしていくか、そのための資源を、機会を、どう地域がつくっていくか、こういうことに地域のリーダーというものの機能が求められてくると思っています。これがまさに地方分権というか、地方主権の考えの根幹になると思います。
 付加価値、バリューですね。マクドナルドにもバリューセットというのがありますけれども、日本語で言うと『お買い得感』です。つまり、自分が投資したものよりもお買い得感があるかどうか、その価値を付け加える。英語でアド・バリューと言います。バリューをアドする、付け加えるということです。そういうふうにしていくことが必要だと感じています。
 ちょっと復習、会場にいらっしゃる17歳の方には予習になるかもしれませんが、経済学の第一日目に教えられる需要と供給線、ちょっと1分間だけお付き合いいただきたいと思います。
 バブルの時代というのは、需要、買いたい人はいっぱいいた。だけれども供給、土地にしても物にしてもそうですけれども、実際に市場に出回る資源というのは少なかった。だけれども今は、物を持っていて売らなければいけない、店に物はいっぱいあるけれども、買いたい人が少ない。つまり、物余りの状態になる。市場に物が余っているからこそ、どうしても買ってほしい人は値段を下げざるを得ない。下げていかないと自分もつくった分の原価がとれないというのが、経済学の第一歩というふうに理解しています。
 今は、物余りの状態ですから、生産しても売れない。ここに何が必要になってくるかというと、戦略の時代になってきます。物が余っている状態の中で何とかして買ってもらわなければいけない、何とかして自分も自活していかなければいけないということを考えたときに、戦略というのが必要になってきます。大量生産のときには、日本のお家芸、世界から「さすが」と言われたQCサークルもそうですが、同じ条件だとしたら、人よりも早くやる、人よりも安く仕上げる、人よりも高品質でやるということで、他の人よりもよくやるというのがこの時代でした。だけれども、物をつくっても必ずしも売れないという時代に必要になってくるのが、「人がみんなやっていることをあえてやらない、人がやらないことをあえてやる」ということです。そうしないと付加価値がつかないという時代に完全に突入しているのが現在だと私は理解しています。
 付加価値、「そんなことを言ってもよおわからん」という方、多いと思います。
ちょっとここで、売れない手品師の地方巡業のように持ってきましたこのマグカップをご覧になっていただきたいと思います。先ほど素晴らしい演説をしていただいた高橋さん、これをちょっとご覧になってください。種も仕掛けもないですね。中からハトも出てこないですね。ちょっと持っていただけますか。
 種も仕掛けもないマグカップなんですが、持ってきました。ご覧になっていただきたいと思います。何が特殊なのか皆様当ててくださいませ。何が特殊なのでしょうか。
【高橋】水滴が落ちてこない…。

【有村氏】 水が滴り落ちない。そうですね。つまり、どういうことなんでしょうか。
 もう1回やりますので、皆さん、落ちる角度を見てくださいね。
 杉浦先生、何でしょう。わからないですよね。私もわからなかったのですけど、実は、この角度で(あまり傾けなくても)すべての水がなくなっているのです。どうなっているのかということをご紹介します。
 実は、中身はいわゆる上げ底で、底が空洞になっています。中が鋭くなっていまして、この状態で(あまり傾けなくても)水がすべて飲み干せます。
 このマグカップ、皆さん幾らぐらいでなら買っていただけますか。

【参加者】 500円。

【有村氏】 500円。名古屋の方々はもう生活感がありますね。(笑)
 はい、幾らぐらいで。

【参加者】 300円。


【有村氏】 300円。またずいぶん冷たいなあ。

【参加者】 200円。


【有村氏】 200円。もうほんとに困りますねえ。(笑)
 さあ、生活感のおありになる女性の方に聞いてみましょう。幾らぐらいで?
 
【参加者】 1,000円ぐらいで。


【有村氏】 1,000円。さすが! 「嘘つけ」という声も出ましたけれども(笑)。 どうして1,000円なんですか?

【参加者】持ってらっしゃる方にもよると思うんですけれども。

【有村氏】 新人の、台所事情の厳しい、自民党らしからぬ経済事情の有村を支援するために、1,000円ぐらいで、マージン500円にして支援してやろうと。

【参加者】あまり素敵じゃない方が持ってらしたら、ただでも要らないとか思うんですが。

【有村氏】 じゃあ、1,000円ぐらいの価値はあると認めていただけたんですね。後で携帯番号を教えて下さいね。(笑)よろしくお願いします。
 どうでしょうか。

【参加者】 あのー、今、話を聞いてだったら、1,000円だけど、聞かない前にさっと見たら100円。

【有村氏】 100円ショップで同じの売ってるじゃない。おっしゃるとおりですよね。
 そうなんです。はっきり言って、100円も出さない人、この会場には必ずいらっしゃると思います。
 というのは、皆様のご自宅に「湯飲み」なんて腐るほどあると思うんですよ。つまり、供給が過剰になっている中で、そんな今ごろ湯飲みを買おうなんていう人はほとんどいないわけですよね。
 そんな中で、これ、実は、2,500円するんです。どうしてか。先ほどちょっとヒントを申し上げましたが、この段階で(あまり傾けないで)すべてを飲み干すことができるのです。皆様の大事なご家族にリュウマチの方、五十肩の方、手の震えがある方、いらっしゃるとします。そうすると、その方は今まで介護によってお水を飲ませてあげなければいけなかった。その方が、手を使わなくても、指を使わなくても飲める。そして私も選挙中、何百人、何千人の方とお叱りを受けながら握手をさせていただきました。肩が上がらなくなりました。そのときに、この角度でも自分で飲み干すことができるのが、このマグカップです。そして、今まで介護グッズというと、ずいぶんと暗い、かわいそう、ダサイというイメージがありました。そのイメージを払拭したいということで、「レイジースーザン」というブランドと提携して、明るい色使い、デザインで、生活の中で普通に、ふだん着でということを可能にしたのが、このマグカップです。
 「嘘つけ」という皆さんからのコメントがありましたけれども、1,000円以上出す人というのは、本当にいらっしゃらなかったと思います。しかし、発想を変えてください。皆様のご家族の中で、常に誰かに介護されないといけない愛する家族、お父さん、お母さん、義理のご両親がいらした。だけれども、このマグカップを買うことによって、皆さんはこうやって自民党の研修会や同窓会や、あるいは勉強会、買物に安心して行くことができるようになった。そしてその方は、飲みたいときに、人に気兼ねすることなく自分でマグカップで自分の好きな飲物を飲み干すことができるようになった。ご家族の安心と、それから皆様の自由な時間を買うための2,500円、これは高過ぎるという方、何人いらっしゃいますでしょうか。手を挙げていただきたいと思います。(挙手者ゼロ)
 つまり、格安だとは思わなくても、2,500円は、これは大事な投資、お買い得だなというような、新たなバリューが付け加えられているわけですね。これが『付加価値』です。

 [中略]

 こういうことを考えると、これから数年後に日本の人口のピークというのがやってきます。そんな中で、人口は減る、高齢者は増える、税金を払える能力のある、あるいはそういう時期を迎えている現役世代は、ますます税の負担感が大きくなる。そして子どもは少なくなる。こんな日本の将来が現実に来る中で、それでも私たちが先進国として生き続けて、気持ちが淋しくなるのではなくて豊かな心を持っている社会で生きられるためには、やはり私は、教育にそれぞれの方々の使命感、私たちの使命感ということを考えるとともに、尊厳ということを大事なテーマにしている社会であらねばいけないと思っています。
 ですから、教育の中では、やはりそれぞれに、あなたのタレントは何ですか、あなたが一番輝く分野は何ですか、そしてあなたはそれをどう社会のために還元しますか、そして他の方々の命の尊厳、生きる尊厳、あるいは輝かしく生きていくような生き方、あなたの尊厳、回りの方の尊厳をどう守っていきますかということを常に問い掛けていくような教育になっていかなければいけないと思っています。その中で付加価値をどう生んでいくか。付加価値がなければ日本の製造業はアウトです。どれだけ精神論で言っても、中国からの安い労働力に物を言わせたいい製品が全世界を席巻するような時代というのは、嘘の話ではありません。現実に可能性があるという脅威を感じながら、どう付加価値が生めるような人材をつくっていくのかというのが、日本の教育の中で一番大事な課題だと思っています。
 そこで、あと30分ぐらいですが、幾つか「日本の教育の中で本当に問題になっている、その価値判断、価値前提でいいのかどうか」と私自身が強く感じていることをここで何点か整理してご報告させていただきたいと思います。
 一つは、価値前提を一つ一つ検討していきたいのですけれども、日本の教育の中で私が最も恐いな、あるいは変えていかなければいけないなと思っているところの数点を報告していきます。
 まず最初は、正解答は一つしかないというような価値前提があまりにも強過ぎる教育ではないかということを考えています。特に、学校の先生が正しい答えを持っていて、いいこちゃんをしている優等生が手を挙げて「はい先生、それは何とかです」、
「ああ、よくできましたね」と言うと、他のクラスの大多数の子どもたちというのは、発言の機会が奪われている。あるいは先生のマニュアルに答えはこれだということが書いてあって、正解答を誰かが当てたら「はい、よくできましたね。次にいきましょう」というようなことにあまりにもなり過ぎていないか。あるいは、先生が喜ぶコメントしか受け付けていないような、そんな土壌が強過ぎるのではないかというふうに思っています。
 今、戦略、つまり「誰もやらないことをあえてやる、あるいはみんながやっていることをあえてやらない」ということが求められる中で、多様性をどう生かしていくか、いろんな考えを持っている人たち、いろんな業界の経験、視点、経済力、地域のお国がらということをどうアドバンテージに持っていけるかということを考えたときに、やはり“こうあるべき”というものがただ一つ、正解答がただ一つだと感じている国民と、「いや、まだ他にも解答、アプローチはあるよ」というような教育を受けた国民性とは、全く違った解決方法を生み出します。そういう意味では、私たちは、マニュアルが通じない世代、モデルのない時代、みずからが生き残るためのモデルというのを構築していかなければいけない時代にあって、やはり安全にリスクがとれる、安全に新しいことに挑戦しようというふうに思えるような、そういう状況というのがつくれる教育、再チャレンジができる教育の環境を整えていかなければいけないと思います。
 私は、この後も帰らないで廣瀬先生の授業もぜひ聞かせていただきたいと思っているのですが、恐らく廣瀬先生は、皆様が意見をおっしゃったとき、「それは違うよ」とおっしゃいますか? どうおっしゃいますか?

【参加者】 「それはそれなりに自分の意見で、また他の人の意見も聞いて」と。

【有村氏】 そうですね、「それは違うよ、それはだめだよ」ということを言っていたら、子どもたち、あるいは学ぶ社会人学生の方、誰も意見を言ってくれなくなります。ですから、やはり私たち大人、私たち教育に関係のある人間たちというのは、やはり「こういう意見もありますよね、その他にもあるよね、他の意見も聞いてみよう」というような雰囲気を醸成するような土壌というのを整えていかなければいけない。伝統的な従来型の学校の先生にとっては、これは脅威になります。しかし、この調整役というか、水先案内人、必ずしもその分野のプロではなくても、権威ではなくてもいいです。ただ、皆さんの状況、英知を一つの組織の知識として変換できるだけの土壌をつくっていくようなリーダーが、学校の先生になっていかなければいけないというふうに思っています。
 特に、こんな、あるべき姿というのが定型化してない時代では、「正解答は一つ」という教育の前提というのは恐いなというふうに思っています。しかし、誤解を恐れずに今こういうことを言いましたが、それは、「好き勝手にやってもいい」とか、あるいは「基礎力を教えなくてもいい」というわけでは全くないということを付け加えておきたいと思います。正解答は一つという前提には、私は疑問を持っています。
 2点目にいきます。教育の主体は誰でしょうか。これも皆さんのご意見を聞いてみたいと思います。教育ということを考えたときに、主体は誰でしょうか。
 このラインはまだ来てないから「ここに座ってよかったな」と思ってたでしょう。マイクを向けて行きましょう。「教育の主体は誰ですか? どこが教育に責任を持つべきでしょうか。誰が教育の一番のアクションを起こしていかなきゃいけない人なんでしょうか、場所なんでしょうか。高校生の前田さんの教育に対して一番責任があるのは、誰ですか?」

【前田】 教育をする側にあると思います。

【有村氏】 教育をする側とは誰ですか?

【前田】教師。


【有村氏】 教師、学校の先生。なるほどなるほど、他に関係する当事者は誰ですか?

【前田】 教師を教える教師。


【有村氏】 教育学部の先生とか。なるほど。変な先生に当たったら、その先生を教育した教育学部の先生が悪いということですね。それも1つのご意見ですね。他には?

【前田】 最後に言えば、教育の受け手。


【有村氏】 最後に言えば教育の受け手。なるほどなるほど。ありがとうございました。
 大久保さんにも聞いてみたいと思います。教育の主体は?

【大久保】主体はやっぱり自分とか、受け手になるんじゃないでしょうか。


【有村氏】 主体はやっぱり受け手とか自分になるのではないか。貴重なご意見をいただきました。
 赤城さんは?

【赤城】大人。


【有村氏】 大人。どうして?
【赤城】 やっぱり、自分にとって最初に接するのは親ですし。


【有村氏】 なるほどなるほど。そうですね、今、三人三様の答え、どの方も大事な点を問題提起してくださったと思います。
 その中で、実は、先ほど杉浦先生がおっしゃっていただいた教育基本法の改正、これは自民党も今、問題意識を持っている人が多いのですが、自民党の中でも意見がひょっとしたらまとならないかもしれない。与党内では、公明党が教育基本法の改正に対しては慎重になっています。そして、日教組は、中央の委員長から大反対ということを言っています。私自身は、日教組の考え方もあるということはわかるのですけれども、教育基本法はそろそろ戦後日本の私たちの教育の・・ということは私たちの主体性を持ってつくっていかなければいけない、そんな時期だというふうに思っています。そして、教育基本法の改正ということを言うと、「軍国主義の再来じゃないか」とか、おっしゃる意見もあるのですが、私自身は「もう少し教育に直接携わる方々だけではなくて、賛成派、反対派、両方が国民的な議論を戦わせる、そんな機運を高めていかないといけないな」というふうに思っています。そして、今の議論をしっかりとフォローしていただければおわかりになっていただける、賛同していただけると思うのですが、私自身も実際に自由民主党の『教育基本法検討特命委員会』の幹事になっています。その中で感じるのは、決して軍国主義に走ってしまった戦前、戦中の愛国心をどうというのではなくて、現在の日本にはあまりにも自信がなさ過ぎる。自分の生き方を肯定する人が少ない。自尊心がない。自分の命をあまりにも大事に思っていない。だからこそ、相手の命ということに関しても、相手の人権ということに関しても、なかなか敬意が払えない。この状況、『そしてキレる17歳』ということを考えたときに、それぞれを肯定する、そして自分の生き方というのにもう少し自信を持てるような教育のメッセージを出していかなければいけない。それが私たち自
由民主党の若手が考えているスタンスです。
 その中で私は、実はこの「自由民主」の特集号(当日、参加者に配布した物)にも書いてあるのですが、教職員団体の方々とも積極的に交流をするようにしています。
教職員の団体というと、もちろん賃上げをしろとかそういうこともありますが、「もう少し教師としての尊厳ということを大事にしていこう」、「教師という専門職のプライドを大事にしていこう、そして、子どもたちの生き方を左右しかねないような強いパワーを持っている教師のプライドと責任というのをみずから感じながら、社会での敬意ということをかち取っていこう」というようにしている、そんな教職員の団体も出てきています。そういうことを考えると、右翼とか左翼、イデオロギーとかではなくて、本当に私たち大人が次の世代に、あるいは今の私たちの教育にどう責任を持つのか、もう少し主体性を持って第一歩を踏み出してもいい時期なのではないかというふうに強く感じます。

 [会場内での体験学習のため、中略]

 つまり、本当の教育の主体というのは、自分が確固たるものを持っていなければアウトになってしまうということを私は痛感しています。だからこそ、ぜひ皆様の周囲の情報が本当に自分に合っているのか、厳しく確かな目を持ってくださいませ。つまり、自分で考える、自分に主権があるということをもう一度ちゃんと主張していけるようなメッセージを教育基本法では出していかなければいけないと思っています。
 義務教育という言い方があります。小学校6年生から中学校3年生、この義務教育9年間は、誰にとっての義務でしょうか。教えてくださいませ。梅村さん、どうですか?

【梅村】本人。

【有村氏】 本人にとって義務なのですね?自信を持っておっしゃっていただきました。
 まだ聞いてない方はこちらでしょうか。義務教育、誰にとっての義務でしょうか。

【参加者】 本人と親。

【有村氏】 ありがとうございます。
 どうですか。誰にとっての義務?
【参加者】 育てる環境というか、親とか。


【有村氏】 ありがとうございます。親ときました。
 誰にとっての義務?
【参加者】 子ども。


【有村氏】 子どもは学校に行かなければいけない。
 いろんな意見が出てきました。今、日本の教育基本法で書かれているのは、保護者はその子弟に普通教育を受けさせる義務を負うというのが、現在の理念です。この理念のままでいくと、親御さんは子どもたちに普通教育を受けさせる義務を負っているのですね。つまり、この額面どおりにとると、子どもたちは、例え経済的な状況が許さなくても、例え親が離婚中でも、非常に虐待をするような親であっても、子どもはしっかりと普通教育を受ける権利を持つというのが、本来のスピリットなんです。しかし、今、小学校の子どもたちに義務教育ということを言うと、小学校の大多数の生徒さん、中学生が、「僕たちは勉強をやらされている」というようにコメントが返ってくるのが安易に想像できます。去年、アフガニスタンの子どもたち、お父さんがいなくなって、ベールの中にいるお母さんと乳飲み子、妹・弟を食わせるために、小学校にも行ってない子どもたちが道でストリート・チルドレンをやって、「いつか僕も学校に行きたい」というアフガニスタンの子どもたちを日本の小学生が見て、「あんな人たちもいるんだ」ということで新鮮な驚きを覚えたという報道がかなり多かったですけれども、やはり理念というのは、親御さんは教育を受けさせる義務を負うのであって、子どもたちは教育を受けさせてもらえる権利、特権であるということをまず子どもたちに教える義務があると思っています。
 つまり、私たち教育の主体は、もちろんその環境を整える地域、親御さんもありますけれども、「あなたは教育を受ける権利が与えられているのよ」。義務でやらされているというのと、自らの主体性でやる、この二つの心構えが全く違う結果を出すというのは、皆様がご存じのとおりだと思います。
 それから、時間も限られてきますので、後半の方になってきますけれども、教育イコール読み書きという前提があります。本当にそうでしょうか。教育イコール読み書きという前提。「あいつは読み書きができるから」というのは、「あいつは勉強ができるから」というような言い方と語感的には同じような感じで使われています。しかし、日本の教育の中で、これからどんどん力を入れていかなければいけないのは、『読み書き』とともに、『聞き話す』だと思います。この読み書きと聞き話すというのは、どこが違うのでしょうか、教えてくださいませ。
 じゃあ、林さん、よろしいですか。読み書きと聞き話すの基本的に違うところ、どんなところが違うのでしょうか。今、にこっと笑ってくださった後ろの方も、その後でぜひコメントください。

【林】 読み書きは受け身で、話したりするのは自分から自発的な感じがします。

【有村氏】 なるほどなるほど。じゃあ、後ろの方もぜひ聞かせてください。

【参加者】 読み書きは、自分一人でも勉強はできるけれど、聞いたり話したりするのは、コミュニケーションが要るので、相手と一緒になってやらなければいけない。

【有村氏】 なるほどなるほど。わかりました。ありがとうございます。
 後ろの方はいかがですか? そんな感じですか?

【参加者】 同じです。


【有村氏】 そんな感じですか。はい、わかりました。ありがとうございます。
 お二方が指摘されるように、基本的に『読み書き』というのは、1人でも完結します。しかし、『聞き話す』というのは、まず相手がいなければ始まらない。聞くというのは、相手の主張を聞く。そして相手に対して自分の思っていることを話すということで、相手の存在というのをまず認めています。
 それとともに、私が感じているのは、読み書きというのは、後でというのができます。だから私たちが100年前、200年前の文献を読むことができるのですが、聞き話すというのは、リアルタイムなのですね。相手が前にいるから、「くやしい」と思ったら、そのときに「くやしい」ということをメッセージしなければいけない。リアルタイムで相手と渡り合わなければいけないというところに、この二つの大きな違いがあります。そして日本は、読み書きイコール勉強というふうに思ってきた時代があまりにも長過ぎた。日本人が幾ら駅前英会話スクールに通っても英語がなかなかできないというのは、単なる語学の問題ではないと私は思っています。私たちの母語である日本語で聞き話す、論理的に文章構成をする。そしてそれを「どう相手に通じるようにコミュニケーションを戦略的に考えていくか」ということを訓練される状況があまりにも少なかった。これは国際社会の中で日本が対等に渡り合っていく中で、今までの日本にはなかった部分だと思っています。単なる語学教育ではないということを確認したいと思います。
 それから、最後の方になりました。もう一つは、教育は孤独な勉強であるという思い込みがないでしょうか。「勉強とは孤独でいやな作業だけれどやらなければいけなない訓練の場なのか」ということを考えると、必ずしもそうではなくていい。必ずしもつらいものではないはずだというのが、私の主張していきたいことです。勉強、あるいは学びというのは、もっと『わくわく』してもいいんじゃないか。皆様は、この愛知政治大学院の受講費として、大事なお金、10万円を投資して、5万円を投資してこの場にいらっしゃいます。そして1日部屋着を着ていてもいいのに、わざわざ背広を着てこの場にいらしています。強制されていません。この場こそ、私は教育の在るべき姿の一つだと思っています。この『わくわるする仕組み』をどう私たちがつくっていくかということが大事だと思っています。
 その中で、例えば一つのアナロジーですけれども、コップの中に水が半分ぐらいあります。この半分の水を『もう半分水がなくなった』、『もう半分しかない』、『まだ半分水がある』、『やっと半分溜まった』。同じような状況をどう解釈していくか、この現実をどう見て表現していくか、『もう半分なくなった』、『まだ半分ある』、『やっと半分溜まった』、それから想起される結果というのは、全く違ったものになってきます。だからこそ、ノーベル賞を先日受賞された田中さんがおっしゃったように、「減点主義ではなく加点主義を」、今の日本もそうですが、私たちが見失ったもの、あるいはなくしてしまったものに、あまりにも強くそれを嘆いて注視するよりも、今持っている私たちのリソース(資源)、あるいは人間関係というのを、どう将来私たちがサバイバルしていくために使っていくのかということが大事だなというふうに思います。失ったものにあまりにも固執しないで、「今持っているものをどう活かすか」という前向きのことを考えられる能力と意欲というのを鍛えていかけなればいけないと思います。
 その中で、やはり教育というのは、孤独な勉強ではなくて、『わくわく』と組織化していくものでなければならないと思っています。この「まだ半分あるじゃないか」というふうなメッセージで皆様が受けるこれからの意欲というのは、ネガティブなものと比べて全然違います。

[中略]

 教育は単に自分だけの学びではなくて、それをどう他に対して影響力を高めていくかということを考えていくものでなければならないというふうに思っています。
 こんな感じで話を進めてきました。時間も来ました。質疑応答の時間も私が食べてしまったので、私は休憩の時間もおりますから、もし質疑応答がありましたら、個別におっしゃってくださいませ。一緒に悩んで考えていきたいと思います。
 きょう申し上げたことというのは、自民党の中で若手としての意見です。しかし、自民党の幹部の人たちの中には、「ちょっと今の若手は・・・」というふうに、かなり睨まれるのではないかなというふうに心配して下さる方もありますが、それは、格段に減っています。本当にそういう意味では、私は思ったよりも自民党は『伏魔殿』(!?)ではなかったというふうに思っています。むしろ勇気づけられています。(笑)やはりしっかりとした国家観とともに、しっかりとした生活感というのを併せ持った人間が、特に若い世代、現役世代が自民党の名前で選挙に出ていけるということが、自民党だけではなくて日本にとって必要なことだと思っています。政権政党が元気ではない国というのは、やはり不穏だなというふうに思います。ですから、私は「自民党がナンバーワンになってほしい」というよりも、「日本がこれからも踏ん張って輝き続ける国になるためには、政権政党に現役世代の声が入るような仕組みというのを、私たちでつくっていかなければいけない」と思っております。
 そして最後に、冗談になりますが、今はまだまだ「マラソンの有森裕子さんなら知ってるけど、有村治子は聞いたことがない」というのが現状ですが、皆さんこうやってお仲間になっていたたいて、将来的には、「マラソンの有森裕子さんも頑張ってるけど、自民党の有村治子も捨てたもんじゃないな」と言ってもらえるような信頼を、奇をてらうパフォーマンスではなくて、地道な日頃の行動で実績、信頼をかち取っていきたいなというふうに思っております。
 長時間ご静聴いただきましてありがとうございました。