スタッフブログ

2019.08.16

8月講座2限目では、

杉浦正健名誉学長との

第2回目のディスカッションを行いました。

今回は参議院選挙の結果、

そして皇室を取り巻く課題について

意見を交わしました。

次回以降も

見解が分かれるテーマが続きますが、

この機会を通じて、

受講生の皆さんには、

さらに見識を深めていただきたいと思います。


2019.08.16

8月10日開講の

8月講座1限目では、

民主党政権下において

外務大臣を務められ、

2017年から

自民党でご活躍の

松本剛明衆議院議員より

”外交を通して見る政治の責任”と題して

ご講演いただきました。

ご講演を通じて

信念を持って先を見据えて政治に取り組むこと、

そのためにも歴史から学ぶことが大切であることを

強く実感した時間となりました。

ありがとうございました!



2019.07.07

「青山議員の講演を受けて ~拉致と与党と自民党~」
 
 ブルーリボンバッジを最近買った。人差し指の先ほどの小さなバッジだ。それを左胸のフラワーホールに着け、名古屋でマイクを握った。6月2日の、自民党全国一斉街頭演説での出来事だった。
 テーマは拉致問題。私が生まれる前に起きた問題だ。でも、いまだに解決していない。我々は、これを風化させてはならないし、この問題の記憶は、必ず後世に引き継がねばならない。なにより、日本の同胞が苦しんでいるなら、救済しなければならないだろう。
 1955年以来の結党以来、自民党は長きにわたって政権を担い続けてきた。拉致問題は発生して、はや30年以上たっている。時は常に無慈悲に過ぎるものだ。そんな中この問題の解決を最重要課題と位置づけ、常に最前線に立ってきたのは、まごうことなく自民党だろう。日本人拉致事件の存在を政府が認めた時も、日本人拉致疑惑の早期解決を求める決議が採択された時も、北朝鮮が拉致問題を認めた時も、拉致被害者が日本に帰国した時も、ストックホルムでの日朝協議が行われた時も、トランプ大統領が国連総会で拉致問題を非難した時も、政権にいたのは自民党なのだ。自民党以外が政権を取っていた期間は、わずか5年たらずだ。1994年の非自民・非共産連立政権と2009年の民主党政権の2回。何か問題が解決にむかっただろうか。安定して政策に取り組める党でないと、問題は解決どころか、取り組むことすらできないのだ。
 私たちは、負けてはならない。選挙の為に連立を組む人達や、選挙の為のアジェンダを作るような人達に、私たちは、負けてはならないのだ。
 この問題を、どこに託せようか。日本新党か?日本社会党か?新生党か?もう存在すらしていない。では国民民主党か?立憲民主党か?社会民主党か?それとも共に民主党にでも頼めというのでしょうか。否、この問題の解決を推し進めるのは、自由民主党を置いて他にはいない。なぜなら、拉致問題対応の唯一の経験者で、問題解決に前進した時は、常に自民党がいたからだ。
 ある時国会で、麻生副総理は、命の次に大切なものは?と聞かれてこう答えられた。「朝は希望を持って目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る。この気持ち」だと。拉致被害者の方にも、日本で暮らす我々にも、同じ太陽が昇る。同じ空を見上げる。人の声に耳を傾け、食事をして、毎日を過ごすのだ。ただ一点違うのは、そこは日本ではないということ。愛する家族も、笑い合う友人も、思い出を作る恋人も、誰もいない。彼の地で、希望を持って目覚められますか?何のために懸命に働くんですか?何に感謝をできるんですか?
 残念ながら、現行憲法下では自衛隊が来るのは難しいだろう。だからこそ、外交で救済しなければならない。だから少なくとも我々は、国民を見捨ててはならないし、訴え続けなければならない。拉致問題は、決して自己責任ではないのだ。私たちにできることは多くはない。だから、この問題を負託できる党を選んで、解決の舵取りを任せていくことが、主権者たる我々の責務なのではないだろうか。


2019.07.07

「石原議員の講演を受講して ~ODAに次ぐ持続的な力~」

 外交を円滑に行うには、その交渉者の背後に何かしらの力が無ければならない。主たる力は経済力と軍事力だ。軍事力は砲艦外交や棍棒外交に代表されるように、軍事的影響力を相手国に見せつけて、自国の要求をのませるといった力、そして外交手段である。当然、我が日本では用いることの憚られる手段だ。 
 一方、経済力は、外貨や国際経済における影響力などの間接的・広域的なものだけではなく、迎賓や支援など直接的かつ個別的なアプローチに使えるなど幅が広い。軍事力も根幹は資金力であることを考えれば、経済力が強いということは、さまざまなパワーに変換できる「底力」がある、ということだ。
 だが、今回の講演では、石原議員ははっきりと「ODAは縮小化している」と仰った。日本では当然軍事力を背景にした外交手段を用いることはできない。日本は国際機関での会議(=多数決)による平和的かつ法治的な外交を実現するために、つまり味方を増やすために、ODAを国際外交の重要な力として運用していた。だが、そのODAがいま、縮小化しているというのだ。
 日本がODA大国となった理由は、「インフラを整備し、日本企業の海外進出を促し、海外市場を開拓するため」「軍事力に替わる国際貢献手段。特に対日赤字が続くアメリカに対して、日本も血を流しているとアピールする」「軍事力を発揮できない日本が国際影響力を発揮する手段」の3つだ。ODAはいわば、日本の経済力の支えであり、宣伝力の根幹であり、軍事力の代わりなのだ。
 実は日本のODAは贈与比率が低く、いつかは日本に帰ってくる資金だ。そしてODA拠出に際してはタイド援助方式をとり、さらにはハードインフラストラクチャーが整備されているので、すでに日本企業や日本人技術者が進出するための地盤が整っている。いままでは、ODAで現物=基礎を作っていた。次は維持・発展させる技術者を送るというのは、非常に理に適っている。
「質と人で勝負する」。そこで重要なのは、どうやって質と人を維持するか、という点だ。某国のように人は畑から生えてくるわけではない。ODAの資金力の源泉が経済力ならば、そういった技術を持っている人間も当然、潤沢な経済力下において成長した人財だ。昨今の企業にも言えるが、新卒&即戦力というのは矛盾する言葉だ。若い人間は当然にして無垢なのだ。質を維持するために経済力を維持する必要があり、技能者を生み出すには「教習」が重要だ。生簀に入っている魚を釣り上げるだけでは、間もなく空となるだろう。日本という生簀で魚を釣るには、釣り人自身が魚を育てないといけない。いままでの「貯金」に甘えることなく、職業訓練や若年技術者の育成、OJT促進、またそうした企業を支援・創生していくなど、持続性のある力を付けていくことが、国際社会の中で日本がイニシアチブを発揮するのに重要なことではないのだろうか。


2019.07.05

題:政治が拠り所とする正統性について

 今回の青山先生のお話の中で「ご自身が如何に議員になられたか」そして「選挙戦にほとんどお金がかかっていない」というお話がありました。これはとても驚きでした。
 まず、言わずもがな、選挙こそが現代の民主主義の根幹をなすシステムです。政治には必ず正統性が求められます。人々が政府の言うことを聞くのは、政府の統治に正統性があるからこそです。近代民主主義の正統性をめぐる理論はルソー以来、国民の委託、つまり社会契約に基づくものだとされています。
 社会契約の最たるものは「選挙」です。議会・政府は選挙を通して国民の信任を得たからこそ、統治への正当性があります。民意に沿わない統治を行った場合、主権者たる国民が政府・議会を変えること、つまり政権交代させる「制度的保証」=「選挙」があること、こそが民主主義の基盤であり正統性の根拠になります。逆に言うと選挙を経ない政府は統治への正統性がありません。(ただしあくまで「民主主義的な正統性」がないのであって、他の理論に基づく正統性はあります。例:王権神授説)
 一般的に選挙では、それぞれの選挙区の有権者から信任を得るつまり、正統性を得るわけですから、当選した議員がまず意識せねばならないのは自分の選挙区・支持組織の思い・利益を国政に伝え、彼らへ還元することになります。
 翻って国民の身として考えるに、自分たちの利益を代表する議員を送り出すためには、自分たちの利益をまとめる必要=組織化する必要があります。だからこそ、選挙には金がかかる、というのが定式でした。(いかに組織が重要かは、杉浦先生のお話の中でとても感じました。)
 今回、青山先生はSMSで選挙を戦ったとおっしゃられていました。また、全国を駆け回られたわけでもないと。青山先生の当選のされ方は、これまで組織力のなさが故に「埋もれてきた声」が発掘されてきた、ということかもしれません。つまり、今回の青山先生の当選は、既存の組織により届けられてきた利益に漏れている個人が50万人いるということなのかもしれません。これは個々人の意思がより直接的に=組織による利益集約を経ずに国政へ届いているという意味で、元来、理論的に最も正統な民主主義である直接民主主義に似た形態であるともいえるかと思います。
 ただ、課題点として、彼らは組織力がないがゆえに、それぞれのニーズ、求めるものがはっきりしません。つまり、逆を言えば、その基盤から選ばれた議員は、何に対して利益還元することが、つまり立脚する正当性は何かがはっきりとしないこと、が問題点になるでしょう。組織なきがゆえに、議員自身が意見集約を行う=組織化する力が必要になります。
 現在、旧来の組織選挙は既に相当崩れつつあります。
 これからの選挙の在り方、ひいては政府の国民に対する立脚の仕方(正統性)について、考える時かもしれません。


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