スタッフブログ

2018.11.09

題   改憲議論をいかになすべきか

 杉浦正健名誉学長を交えてのディスカッションは、名誉学長と受講生という同志の改憲への考え方を理解する上で大変貴重な機会であり、改憲を目指す上では広く国民の理解を得ていく過程が重要であると改めて痛感した。一方、特に国民の関心の高い第9条改正を議論する上では、受講生間でもその前提としての事実関係の認識に隔たりがあり、心ある我が党関係者がその事実関係を正確に把握し改憲議論を法理的に適切に推進することにより、広く国民の理解を促進していくことが重要であると考えた。そこで本レポートでは、第9条改正議論の前提としての事実関係について受講生と共有する目的で整理しておき、結びに自身の改憲論について記載する。
 まず大前提として、第9条を改正せずとも我が国防衛は可能であるということである。これは、現憲法施行後、戦後国際情勢の変化の中で我が国が随時解釈改憲を行っており、政府解釈の下で特に1990年代以降に個別法(周辺事態法、有事法制関連法、限定的な集団的自衛権の行使を認めた平和安全法制等)を整備してきたから、そして、政府解釈の下で着実に防衛力整備を推進してきたからである。では何故それでも第9条改正が必要かということである。ここで、政府解釈がいわゆる芦田修正を採用していないことから、我が国は自衛のためでも戦力を保持せず、「必要最小限度の実力」を保持するという立場であることを指摘せねばならない。この「必要最小限度の実力」については、他国領域で武力行使はできないという政府解釈に照らすと、自衛隊が公海及びその上空で敵を排除し得る能力ということに他ならないが、憲法上は明記されていない。だからこそ、第9条加憲は、実力組織である自衛隊を国の最高法規に規定することにより自衛隊の法的安定性を高めて違憲議論の余地を排除するとともに、既定の個別法との関係性を明示すること、今一つは、自衛隊の実力組織という位置付けの変化はないものの、憲法に明記することにより自衛隊に名誉を与えることを意味するから理に適っており、私は我が党の第9条加憲案(たたき台)に賛成している。
 安全保障を巡る世界の構図は劇的な勢いで変化している。我が国には悠長に議論している時間はない。改憲できずにほくそ笑むのは一部の近隣国である。私の改憲案の理想は概ね平成24年の我が党憲法改正草案のとおりであるが、改憲の難度が高い。そうであれば心ある我が党関係者が一枚岩となり、たたき台4項目に集中して、例えば第9条加憲については先の事実関係を確実に周囲と共有する努力を行い、国民の理解を促進していくことが最重要課題である。必要なことは議論を拡散することではなく、法理に基づいて論点を絞り、国民の理解を得て確実に改憲の成果を得ることである。この過程自体が国民の国家意識向上、ひいては我が国の抑止力向上に繋がると考える。

【参照】
防衛省HP:http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html
「「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書」(平成26年5月15日 安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)


2018.11.05

題 靖國神社について

 私が、靖國神社に初めて訪れたのは昨年のことです。靖國神社は、春に約500本のソメイヨシノが咲き誇る桜の名所としても知られており、夏であれば桜の葉が生い茂り、それらの香りと涼しさが楽しめるであろうと思いながら、境内をくぐりました。しかしその瞬間、私の目に最初に飛び込んできたのは、巡回する警察官の数の多さでした。伊勢神宮など他の社では決して見られない緊迫した光景であり、いかに靖國神社という場所が「政治的争いの場」になっているのかを、つくづくと痛感したのを今なお鮮明に記憶しています。
 「政治的な争いの場」になってしまう背景には、中国・韓国からの猛烈な批判がある。日本には、超党派の「みんなで靖國神社に参拝する国会議員の会」という議員連盟があるが、通常の国会議員時代には参拝をするが、ひとたび国務大臣となれば参拝を行わなくなるというケースの方方が圧倒的に多い。「責任ある立場になった途端に、靖國参拝は控える」、このことからいかに靖國参拝が中韓に配慮が必要な外交問題であるかということはよくわかる。
 しかし靖國神社に祀られているのは、先の大戦をはじめとして、国のために死した人々である。国のために死した人々を国家が責任を持って、永遠に弔い続けるというのは、世界的にはごく当たり前のことである。日本だけがそれを行わない、行えていないという現状は問題であり、解決策を探らなければならない。
 では、具体的にどうすればいいのか。杉浦先生とのディスカッションを通しても具体的な解決策というのは明示されなかった様に思えた。それだけに解決が難しい問題ということでしょうが、私自身はやはり総理が一貫して参拝をし続ければよいと考えます。中韓は靖國神社にA級戦犯が合祀されていることを現在は特に問題視していますが、仮に日本がA級戦犯を分祀したところで、次はB・C級と批判の矛先を変えてくることも十分に考えられ、切りが無いのです。最近で言えば、従軍慰安婦問題に関する日韓合意が顕著な例ですが、いくら外交交渉を行ったとして一度は政治的には決着をつけても、歴史認識問題は新たな一手を打たれやすいのです。靖國参拝もその例外ではなく、同じ末路をたどらないようにするためには、政権が連続性を持って、総理が参拝をし続けることだと必要だと考えます。そうすることで、中韓の日本に対する論難も徐々に弱まっていくものと考えます。
 杉浦先生は、先の大戦について「元寇くらい人々の記憶から浄化されるまで反省と謝罪を繰り返すしかない」という趣旨の発言をよくされますが、私もそれは一理あると思いますし、それも国家が果たすべき責任の一つです。しかしそれと同時に、日本のために死した人々を永遠に弔い続け、感謝と畏敬の念を示し続ける形を追及していくのも国家の責任であると私は考えます。それを体現化できる方法の一つが、まさしく靖國参拝なのです。


2018.11.05

題  死刑制度は何の為に存在するのか

 平成30年7月、オウム真理教の一連の事件で死刑が確定していた13人の刑が執行されました。教団に対する強制捜査から23年余りが経ち、ようやく刑事事件としては一区切りつきましたが、被害に遭われたご遺族の気持ちは言葉では言い尽くせません。当時、私は小学生でしたが、連日テレビで報道される地下鉄サリン事件のインパクトは今でも記憶しています。
 今回、杉浦正健名誉学長を交えたディスカッションを行い、死刑廃止問題とは何かと深く考える1日になりました。現在、国際社会の大きな流れは死刑廃止であり、国際NGOアムネスティによれば、2017年末の時点で、全犯罪に対して死刑を廃止した国は106ヶ国、執行を停止した事実上の死刑撤廃国も含めれば142ヶ国にのぼります。これは国連加盟国の3分の2を優に超えるものとなっています。先進国ではこの傾向は顕著であり、OECD参加の35ヶ国の中で、死刑制度をもつ国は、アメリカ合衆国、大韓民国、そして我が国日本のみです。
 死刑制度を支持する人たちは、「死刑があればそれを恐れて凶悪犯が減少する」という抑止力を述べていますが、死刑を廃止したフランスの統計を見ても廃止前後で殺人発生率は変わっていません。今後、死刑制度廃止を考えるにあたり、日本の未来を考え制度設計をしなければなりません。
 2020年、東京オリンピック・パラリンピックが開催され、我が国日本は今後加速度的にグローバル化が進むと考えられます。多くの外国人が日本に訪れ、様々な文化を持つ方々と共に仕事をする日が訪れます。死刑制度廃止の流れが国際社会の主流となっており、国際社会から、日本との付き合い方を改めさせられる日が来るかもしれません。
 例えば「犯罪人引渡し条約」があります。これは国外に逃亡した容疑者の引き渡しに関する国際条約ですが、日本はアメリカ合衆国と大韓民国の2ヶ国のみ条約を結んでいます。他国は自国民が死刑に処されるリスクがあるため、死刑制度を持つ日本と条約を結びません。フランスは96ヶ国と条約を結んでおり、日本が国際社会から孤立していると言っても過言ではありません。今後、来日外国人が増える中で、日本で罪を犯した外国人が母国へ帰国し、逮捕することが出来ないなど弊害も生じるでしょう。死刑制度は何の為に存在するのか。我々日本人が未来を見据え、しっかりと考えなくてはなりません。杉浦正健名誉学長のお話を聴き、死刑制度維持を考えていた私は、まさに井の中の蛙であったと改めて気付かされました。

<参考文献>
杉浦正健 『あの戦争は何だったのか』東京:文藝春秋、2014、p191-p194

<参考URL>
公益社団法人アムネスティ・インターナショナル日本
「人権について学ぶ.世界の人権問題(トピック).死刑廃止」
http://www.amnesty.or.jp/human-rights/topic/death_penalty/ (参照2018-9-6)


2018.11.05

題   「我が国における死刑制度の在り方について」

 杉浦名誉学長のディスカッション授業における今回のテーマが「死刑制度」で、それについて議論が行われた。私にとって死刑に関しては身近なものではないため、これまでにあまり深く考えたことはなかった。しかし最近、オウム真理教事件で死刑が確定していた13人全員の死刑が執行された。ニュースで知った時は大きな衝撃を受けたが、同時にオウム真理教による報復があるのではないかと心配をしている。
 さて、私は死刑制度に関しては存続すべきでも廃止すべきでもどちらでもないという立場にある。
 まずは、世界の死刑制度の現状を見てみよう。アムネスティ・インターナショナルによれば、すべての犯罪に対して廃止となっているのは106ヵ国、通常犯罪のみ廃止となっているのは7ヵ国、事実上廃止となっているのは29ヵ国、死刑制度を存置しているのは日本を含めて56ヵ国である。(2017年12月31日現在)法律上・事実上廃止国が合計142ヵ国となっている。それは国連加盟国の3分の2を超えるものだ。国家として死刑を積極的に執行している先進国は日本だけなのである。
 では、日本国内の現状はどうなのか調べてみた。内閣府の世論調査によれば、死刑制度に関して、「死刑は廃止すべきである」と答えた者の割合が9.7%、「死刑もやむを得ない」と答えた者の割合が80.3%となっている。死刑制度を廃止すべき理由に「裁判に誤りがあったとき、死刑にしてしまうと取り返しがつかない」を挙げた者の割合が最も多く、その次に多かったのは「生かしておいて罪の償いをさせた方がよい」であった。逆に死刑制度を存置する理由に「死刑を廃止すれば、被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」を挙げた者の割合が最も多かった。2番目に多かったのは「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」となっていた。
 最後に、日本国憲法第36条「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」という条文がある。残虐な刑罰とは、死刑にあたるのではないかと個人的に捉える。未だに日本では、死刑制度を存置すべきであるのが圧倒的に多いのは事実である。だからといって存続していいわけではないが、世界の情勢を見ると廃止すべきという流れになってくると思う。しかし、簡単に廃止するとは思えないので、死刑制度について改めて振り返ってみて、今後我が国においてどうあるべきか、慎重に議論すべき時期が来たのではないか。

(参考資料)
・アムネスティ日本 「死刑廃止国・存置国詳細リスト」 2017年12月31日
http://www.amnesty.or.jp/human-rights/topic/death_penalty/
・内閣府 世論調査「死刑制度に対する意識」 2015年1月26日
https://survey.gov-online.go.jp/h26/h26-houseido/2-2.html


2018.11.05

題  テーマ① 9月講座2限目死刑制度廃止について


 「死刑廃止」について、私は杉浦先生にお会いして初めて考える機会を得た。考えるようになってからは、国民にとっても自分にとっても大変重要な問題であることがより鮮明になってきた。
 杉浦先生から、ご自身が死刑執行の署名をするかしないかについて、法務大臣に就任する際の記者会見まで考えたことがなかった(謙遜されているに違いないが)というお話を聞き、僭越ながら、日本の社会での死刑廃止についての議論がまだ未熟であることを、杉浦先生と共有できた気がした。
 2013年末時点では、死刑を廃止または停止している国は140カ国、他方2013年に死刑を執行した国は22カ国、OECD加盟国(34カ国)では、日本と韓国、アメリカの3カ国が死刑制度を残置しており、韓国とアメリカの18州は、死刑を廃止または停止している。また国連は2012年までに4度、死刑存置国に対し死刑執行停止を求める決議を行なっており、日本に対し死刑廃止について繰り返し勧告している。
 この事実を認識した上で、改めて考えると、私は、死刑制度を廃止すべきという結論に至った。
 人間は1人では生きていけない動物であり、家族をはじめとした社会を形成し、衣食住を含め依存しあって生きている。個人が社会に対し責任を追うのと同様に、社会もまた個人に責任を持たなくてはならない。つまり、軽犯罪から重犯罪まで、罪を犯すまでに至った過程に、社会が関わっていないということはない。
 その前提に立つと、その罪を犯すに至った過程や理由には、個人と社会がかかわっている。それにもかかわらず、罪とその過程や理由を個人1人にのみに負わせてしまって、社会から排除した場合、その社会問題を見落とすことになり、また同じような罪が繰り返されることになる。その社会問題は、貧困、児童虐待、家庭内ネグレクト、社会的ネグレクトなど、社会が気付けば防げる可能性もある。
 また、死刑にして欲しいといった理由での大罪もある。その犯罪者にとって死刑は厳罰と言えるのだろうか。またいつか同じ条件が重なった環境で育ち同じような犯罪者が生まれ、犯罪が繰り返されるとしたら、その犯罪に社会の責任はなかったことにして、犯罪者の命を社会から排除することが、その後の国民にとって一つの解決策になるということは、一概に言えないのではないか。
 それよりも、その犯罪者の育った環境を、親や祖父母まで遡って分析研究し、異常行動に立った心理も脳科学なども使いながら分析し、罪を犯すまでに至った過程を、社会全体で共有し、更生プログラムにより一般社会にその反省を還元し繰り返さないというのが理想だと考える。この徹底した分析処理から、犯罪者は終身刑の間、絶対に逃れられない。
 人類は進化してきた。数々の殺し合いを繰り返し、間違いを改め、平和を手に入れてきた。そして現在も人類は進化している。その過程で命を合法的に奪うということについて、疑問を持ち、過ちを繰り返さない社会に徹底して取り組むべきではないだろうか。
日本弁護士連合会 死刑問題に関する海外調査
https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/deathpenalty.html#shikeihaishi_07


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