スタッフブログ

2019.07.07

「石原議員の講演を受講して ~ODAに次ぐ持続的な力~」

 外交を円滑に行うには、その交渉者の背後に何かしらの力が無ければならない。主たる力は経済力と軍事力だ。軍事力は砲艦外交や棍棒外交に代表されるように、軍事的影響力を相手国に見せつけて、自国の要求をのませるといった力、そして外交手段である。当然、我が日本では用いることの憚られる手段だ。 
 一方、経済力は、外貨や国際経済における影響力などの間接的・広域的なものだけではなく、迎賓や支援など直接的かつ個別的なアプローチに使えるなど幅が広い。軍事力も根幹は資金力であることを考えれば、経済力が強いということは、さまざまなパワーに変換できる「底力」がある、ということだ。
 だが、今回の講演では、石原議員ははっきりと「ODAは縮小化している」と仰った。日本では当然軍事力を背景にした外交手段を用いることはできない。日本は国際機関での会議(=多数決)による平和的かつ法治的な外交を実現するために、つまり味方を増やすために、ODAを国際外交の重要な力として運用していた。だが、そのODAがいま、縮小化しているというのだ。
 日本がODA大国となった理由は、「インフラを整備し、日本企業の海外進出を促し、海外市場を開拓するため」「軍事力に替わる国際貢献手段。特に対日赤字が続くアメリカに対して、日本も血を流しているとアピールする」「軍事力を発揮できない日本が国際影響力を発揮する手段」の3つだ。ODAはいわば、日本の経済力の支えであり、宣伝力の根幹であり、軍事力の代わりなのだ。
 実は日本のODAは贈与比率が低く、いつかは日本に帰ってくる資金だ。そしてODA拠出に際してはタイド援助方式をとり、さらにはハードインフラストラクチャーが整備されているので、すでに日本企業や日本人技術者が進出するための地盤が整っている。いままでは、ODAで現物=基礎を作っていた。次は維持・発展させる技術者を送るというのは、非常に理に適っている。
「質と人で勝負する」。そこで重要なのは、どうやって質と人を維持するか、という点だ。某国のように人は畑から生えてくるわけではない。ODAの資金力の源泉が経済力ならば、そういった技術を持っている人間も当然、潤沢な経済力下において成長した人財だ。昨今の企業にも言えるが、新卒&即戦力というのは矛盾する言葉だ。若い人間は当然にして無垢なのだ。質を維持するために経済力を維持する必要があり、技能者を生み出すには「教習」が重要だ。生簀に入っている魚を釣り上げるだけでは、間もなく空となるだろう。日本という生簀で魚を釣るには、釣り人自身が魚を育てないといけない。いままでの「貯金」に甘えることなく、職業訓練や若年技術者の育成、OJT促進、またそうした企業を支援・創生していくなど、持続性のある力を付けていくことが、国際社会の中で日本がイニシアチブを発揮するのに重要なことではないのだろうか。


2019.07.05

題:政治が拠り所とする正統性について

 今回の青山先生のお話の中で「ご自身が如何に議員になられたか」そして「選挙戦にほとんどお金がかかっていない」というお話がありました。これはとても驚きでした。
 まず、言わずもがな、選挙こそが現代の民主主義の根幹をなすシステムです。政治には必ず正統性が求められます。人々が政府の言うことを聞くのは、政府の統治に正統性があるからこそです。近代民主主義の正統性をめぐる理論はルソー以来、国民の委託、つまり社会契約に基づくものだとされています。
 社会契約の最たるものは「選挙」です。議会・政府は選挙を通して国民の信任を得たからこそ、統治への正当性があります。民意に沿わない統治を行った場合、主権者たる国民が政府・議会を変えること、つまり政権交代させる「制度的保証」=「選挙」があること、こそが民主主義の基盤であり正統性の根拠になります。逆に言うと選挙を経ない政府は統治への正統性がありません。(ただしあくまで「民主主義的な正統性」がないのであって、他の理論に基づく正統性はあります。例:王権神授説)
 一般的に選挙では、それぞれの選挙区の有権者から信任を得るつまり、正統性を得るわけですから、当選した議員がまず意識せねばならないのは自分の選挙区・支持組織の思い・利益を国政に伝え、彼らへ還元することになります。
 翻って国民の身として考えるに、自分たちの利益を代表する議員を送り出すためには、自分たちの利益をまとめる必要=組織化する必要があります。だからこそ、選挙には金がかかる、というのが定式でした。(いかに組織が重要かは、杉浦先生のお話の中でとても感じました。)
 今回、青山先生はSMSで選挙を戦ったとおっしゃられていました。また、全国を駆け回られたわけでもないと。青山先生の当選のされ方は、これまで組織力のなさが故に「埋もれてきた声」が発掘されてきた、ということかもしれません。つまり、今回の青山先生の当選は、既存の組織により届けられてきた利益に漏れている個人が50万人いるということなのかもしれません。これは個々人の意思がより直接的に=組織による利益集約を経ずに国政へ届いているという意味で、元来、理論的に最も正統な民主主義である直接民主主義に似た形態であるともいえるかと思います。
 ただ、課題点として、彼らは組織力がないがゆえに、それぞれのニーズ、求めるものがはっきりしません。つまり、逆を言えば、その基盤から選ばれた議員は、何に対して利益還元することが、つまり立脚する正当性は何かがはっきりとしないこと、が問題点になるでしょう。組織なきがゆえに、議員自身が意見集約を行う=組織化する力が必要になります。
 現在、旧来の組織選挙は既に相当崩れつつあります。
 これからの選挙の在り方、ひいては政府の国民に対する立脚の仕方(正統性)について、考える時かもしれません。


2019.07.05

宮家再興への所感

 宮家再興などを切り口として天皇陛下へのお話がございましたので、それに対する私の所感を述べていきたいと思います。
 一時期、女性天皇の議論が盛んでした。悠仁親王のご誕生により皇位継承問題が喫緊のことではなくなりましたので、今はメディアでこの議論は下火といえるでしょう。しかし、今後またこの問題は表出してきてしまいます。なぜならば、現在、今上天皇が即位されたことにより皇位継承可能な方は3人となりました。現実的な話と致しまして、今後、皇統男子がお生まれになる可能性は悠仁親王の直系のみが予想されます。(もちろん子供は授かりものでありますので、どなたにも可能性はあるものとは重々承知してはおります。ただ、ここでは一般的な出産年齢傾向を念頭としております。)
 そして、この状況を鑑みられ、2016年に上皇陛下が退位のお気持ちを示された折、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ」〔1〕とお述べになられました。皇統へ憂慮されておられるお気持ちもあったのではないかと拝察されます。
 この問題への解決策として冒頭の女性天皇の認可が取り座さされましたが、私の愚見を述べるならば女性天皇を認める事は慎重に考えるべきだと思っております。私がこの意見を持ちますのは以下の論拠によるものです。
 人間の性別を決める遺伝子はX遺伝子とY遺伝子によります。男性は父(XY)母(XX)より父のYと母の何れかのX遺伝子を受け継ぎます。逆に女性は、父のXと母の何れかのXとを受け取ります。つまり、子供の性別を決めるのは父(男性側)であるともいえます。この説によれば男系天皇は変わることなくY遺伝子を継承します。しかし皇室外の方と結婚できる現在では、女性天皇を認めると孫の代となると皇室の遺伝子(Y遺伝子)が必ずしも残っていることが判然としなくなります。私は、名前が有史である方の直系Y遺伝子が神武天皇以来、連綿と今上天皇まで受け継がれていることに正統性・権威性を感じるのです。
 このような私見を受け、安定的に男系天皇を継承してくためにも宮家を再興するという青山先生のご意見に私は賛同致します。しかし、その案を進めるにあたり、安易な気持ちでおりましたが、先生がいわれますように新宮家になられる方々も今の生活がおありですし、国民の感情も無視はできません。そのような点も加味し議論していく必要があるのだと痛感致しました。
 一朝一夕で話がまとまることはないのは自明のことです。皇位が安定している今のうちにゆっくり煮詰めて、次代の皇室の在り方を議論し、法としてまとめていく必要があるのではないでしょうか。
 最後に、私は遺伝子的な見地より天皇の男系に思い入れがありますが、女性天皇の擁立に対し忌避感を抱くわけでもありません。女性天皇に対し好意を持たせるような論拠があれば受け入れることもできるでしょう。象徴天皇が国民の「総意」に基づく以上、1人の国民の言葉としてよりよい皇室の形を祈念する次第です。〔2〕

〔1〕宮内庁ホームページ http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12
〔2〕日本国憲法 1条  
※「総意」の解釈には様々あるようです。ここでは辞書的に「総ての意見の一致」というような解釈を用いています。


2019.07.05

題 「伝える」のではなく「伝わる」コミュニケーションについて

 「政治家が官僚や学者と違う点は、自分たちは何を考えていて、どういう理屈で、今後どうなっていくかを、国民の前で説明・説得できなくてはいけないことである。討論・演説、説明・説得・主張などは、政治家にとって極めて重要な素養である。」 その重要な素養の根幹をなすコミュニケーションスキルについて、廣瀬公一先生のセミナーを受講させていただき、大切なことを学んだ。それは、「相手に言ったことが伝わったことではなく、伝わっていることが自分の伝えたこと」ということだ。私が、この格言をどのように解釈し、今後どのように活かしていくかについて本レポートでは論じたい。
 私は、仕事等において、プレゼンをする機会が時々ある。私が、プレゼンの際に気を付けていたことは、「伝わること」ではなく、「伝えること」だった。つまり、聞き手の共感や関心を得ることをゴールにするのではなく、「いかにパワーポイントのスライドをキレイにするか」「いかに上手く話すか」そういったことをゴールにしていた。私の頭には、リスナーの顔が浮かんでいなかった。
 廣瀬先生のセミナーの中で、次のような一幕があった。上司役の塾生が「元気?」と先生に聞いた。そこで、先生は、非常に辛そうな表情やトーンで「元気です」と伝える。すると先生は、すかさず塾生にこう聞く。「何が伝わったと思いますか?」答えは一目瞭然、「元気ではないこと」だった。私は、その一幕を見て、「相手に伝わっていることが自分の伝えたこと」なのだと気づいた。
 また、エンロールという概念についても学んだ。エンロールとは、「感性的納得(心が動く)+論理的納得(理由がわかる)」が、生じることである。
 これまでの私のプレゼンのリスナーは、話の内容について「知った」もしくは「理解した」状態で止まってしまっていたと思う。なぜなら、私のプレゼンでは、リスナーの具体的な行動の変化にまで、あまり繋げられていなかったからだ。その原因の一つは、私が、左脳的コミュニケーション(論理的納得)しか行っていなかったためだと思う。リスナーが、エンロールするためには、右脳的コミュニケーション(感性的納得)も大切にするべきだった。実際、1限目の青山繁晴先生の講演でも、最も印象的だったことは、先生の流す汗や気迫から感じる先生の熱意だった。その熱意を感じたからこそ、私は心が動き、もっと講演の内容や青山先生自身についてまで知りたいと思った。
 今後、私は、左脳的・右脳的コミュニケーションを意識し、「伝える」のではなく「伝わる」ように、努めていきたい。その第一歩として、用意してきた定型的な挨拶だけで話を始めるのでなく、まず、リスナーと視線を合わせ、気の利いた一言からプレゼンを始め、リスナーと心を通わせる努力をしていきたい。

参考文献
政治家に必要な能力と、その育成を巡っての論点整理 5頁(公益財団法人 経済同友会 2014年5月23日)


2019.07.05

題   日本社会とリーダーについて

 昭和時代には、人口ボーナスを起因とした日本は高度経済成長を遂げた。平成時代には、経済とともに世界に発信できる素晴らしい文化も作られていった。昭和平成ともに、戦争やバブル崩壊といったさまざまな国難に直面したが、当時のリーダーたちの奮闘により、諸外国から見ると、順調に推移した社会だと思われたはずだ。元号が変わり、新しい時代となった令和時代。より良い日本社会を構築するために、私たちリーダーはどうあるべきかを考えていきたい。
 私が15年前に北京大学に留学したとき、中国の友人と国の未来について話し合ったことを思い出した。「僕たち中国人は、今を見ていない。未来を見ている。いずれ日本を抜かし、米国を抜かし、世界一の経済大国になってみせる。それが自尊心だ」私はその言葉に対し悔しさを感じた。「環境への配慮はどうなの?」と言い返したかったが、彼は今を見ていないと言い切っているのだ。まず経済を発展させ、そのあと自発的に起こるであろう社会風潮が、中国をより良い国にしていく。経済力が環境問題を解決させ、経済的に日本を抜かしたあとに、豊かな自然環境も手に入れるのだと。この考え方には危険性も感じたが、希望に満ちあふれた国家を見る彼の眼はとても印象的だったのを覚えている。
 最近は自身の成長を目的として、中小企業のリーダーが集まる勉強会によく参加させていただいている。よく話題に上がるひとつに新規事業がある。既存事業は十分に利益性があるが、将来どうなるのかわからない。安定しているうちに、新しい取り組みを行わなくてはいずれ既存事業が上手くいかなくなったときにつぶれてしまう。こういった危機意識のもと、世のリーダーたちは新しい分野の設備投資や研究開発をしていこうという考えだ。ここで問題となるのが、リーダーの次世代投資ではなく労働者への還元であるべきだという主張だ。既存事業で生み出した利益なのだからそれは当然配分されるべきだという労働者の考えに対し、共感と折り合いをもって真摯に向き合っている。
 弥生時代に稲作が伝来されてより、種モミをどのぐらい残すかという話は必ず出てきたように思う。村が飢饉になったとき、種モミを食べれば当座はしのげる。だけど来年はない。村人たち全員に向き合うリーダーは、全員が生き残るのだという理念を示し、来年の豊かに実った田畑のビジョンを見せなければ、村は崩壊したに違いない。令和時代に生きる私たちリーダーもまた、将来の素晴らしい展望を作って見せ、皆に共感してもらえるような強いメッセージを打ち出すことができれば、日本はより良い社会になっていくに違いない。


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