スタッフブログ

2018.11.19

11月18日、

11月講座を開講しました。

1限目では、昨年に引き続き、

宇都隆史参議院議員に

ご講演いただきました。

愛知政治大学院(愛政塾)には、

宇都議員と同じく40代の方が多く、

同世代の宇都議員への期待は

高いものがあります。

今回も多くの皆さんが出席する中、

安全保障政策について

しっかりと学ぶことができました。

ありがとうございました!



2018.11.12

甘利 明先生のご講演を拝聴して       
 「データを制する者が世界を制す。」、そのためには「公正なルールの下で競争しなければならない。」・・・本日は、経済産業大臣としてTPPにご尽力された甘利先生のご講演である。TPP交渉の苦労話がメインか、と予想していたところ、「デジタル革命第2弾」を勝ち抜くための提唱に、大いに感銘を受ける。
 ちなみに私は、神奈川の相模原に10年ほど住んでいたこともあり、隣の選挙区の甘利先生に勝手に親近感を覚えている。(さらに余談であるが、選挙区の赤間二郎先生のお宅は目の前にあり、地区活動にご一緒したことはよい思い出である。)
 話を戻す。「デジタル革命」とは自分にとっては馴染みの薄い言葉であったが、先生のお話を契機に、改めて、「情報」、「データ」について考えてみる。
 日本人は「実体のないもの」に鈍感であるといわれる。かつての「知的財産権」がそうであった。実はそういう自分も大きなことは言えない。会社業務として、一昨年に「マイナンバー」、昨年は「改正個人情報保護法」、そして今年は「 GDPR」に携わり、それぞれ社内規程の策定に関わってきたが、「ビックデータ」は雑データの山で、そのように重要なものだと、まったく意識していなかった。
 雑データの山でも、AIによって解析され、まさに個人個人のピンポイントのデータとなる。個人の趣味嗜好までが明らかになれば、マーケティングリサーチなど、欲しい情報へのアクセスが格段に正確・容易になっていく。 
 EUがGDPRで、データ移転を厳しく規制する意味が、やっと理解できた。
 正確性を欠いた表現になるが、「個人情報の集積がビッグデータ」である。「個人情報」というとなんとなく出したくない、というのが、今の大半の感覚ではないだろうか。当然、自分のデータを積極的に国などに登録しようという感覚はない。しかし、これからは高齢化で「お一人さま」の時代。逆転の発想をして、自分のデータを忘却前に信頼できる機関に登録していくことが、むしろ重要になるのではないか。自分は忘れてしまっても、近親者や介護者がデータを探すことが可能となる。質疑応答にもあったが、マイナンバーカード1枚に自分の情報を登録しておけば、自分のデータがすぐ取り出せるのである。確かに中国のように、国がすべてをデータ管理するというのは、なんとなく嫌である。しかし、「なんとなく」であって、そこに合理的な理由はない。実際、先生から、「国家による情報統制を背景にアリババがアマゾンを制するかも・・・」とのお話を伺い、独裁的であっても優秀な指導者であれば、経済的な発展が格段に速いことを改めて痛感した。データが国家をさらに繁栄させているのである。かつて日本企業は安価な労働力を得るため、中国各地に生産拠点を置き、巨額の設備投資を行った。その結果、日本経済は空洞化し、一方中国は、日本の投資が経済発展の基礎となり、「失われた20年」の間に日本と中国の地位は逆転した。アリババやアマゾンを利用することで、「データ」が、かつての「設備投資」となってしまうのではないか、そんな危惧が頭をよぎる。
 「知的財産権」はいまや重要性が認知され、「知的財産高等裁判所」の設立に至る。情報・データに関する機関は、「個人情報保護委員会」しか、思い浮かばないが、そうした機関が「データ」の重要性について、もっと強調・啓蒙していくことが必要ではないか。日本の大切なデータが、アマゾンやアリババを通じて、無意識に海外に移転しているとなれば、日本国民個々のデータ、言い換えればその人の強み、弱みが海外に流れていることになる。データは、マーケティングなどの有用な側面もあれば、犯罪や軍事活動などに利用される危険な側面もある。先生が提唱される「データ取得の公正なルール」が待たれるが、GDPRのように先行して対策を講じる諸国もある。果たして日本は「世界を制する」ことができるか。  以上


2018.11.09

題   第四次産業革命を我が国がリードするために

 甘利明先生のご講演は、現在進行形の第四次産業革命の主戦場における熾烈な覇権争いを巡り、我が国が如何にして主導権を握るかということを真摯に検討させられる大変有意義な機会であった。AI、ビッグデータ等の第四次産業革命の主戦場における勝負の行方は我が国安全保障環境に直結する中身でもあり、甘利先生の仰るデジタル革命の第2ラウンドを制するための我が国の取るべき方策について、私見を整理しておく。
 その前に何故、甘利先生の仰るデジタル革命の第1ラウンドでは我が国は敗北を喫したか。それは、大局的には、我が国がデジタル革命のルールメーカーになれなかったからである。具体的には、今日の世界を席巻するオペレーティングシステム(OS)は米国を初めとする海外産であり、そのOSを用いないとワークしない専用のアプリケーションを媒体とする電子商取引が今日のビジネスモデルの国際標準となったからである。
 では、IoT、AI、ビッグデータ等が主戦場となる第2ラウンドでは我が国は如何に挽回すべきか。まずは国産OSを世界標準とすることである。東京大学の坂村健教授が開発を進めてきた国産OS「トロン」が現在の我が国IoT分野では6割超の市場占有率を占めるが、このたび、米国電気電子学会の標準規格として認定されるところである。国産OSが世界標準となり、我が国がIoT、AI分野での開発主導権を握ることに私も期待を寄せている。ビッグデータ分野では関係官庁及び関係民間事業者の協力が不可欠である。ビッグデータは、各事業者に多岐にわたって散在するデータを集約し、統合したシステムとして構築して初めて活用されるからである。もちろん、何層にもわたりリダンダンシーを確保すべきである。特に甘利先生よりご指摘のあった医療・介護分野のビッグデータについては、世界に先駆けて超高齢社会を迎える我が国がデータを確実に保全し、使用許諾の在り方を含めて国際社会との取引に向けたルール作りを行わねばならない。加えて国内的には、デジタル革命における共通の脅威であるサイバー攻撃に向けた対策の検討が急務である。
 戦争が国際法違反となった戦後、国際競争の主戦場は経済、技術等の分野へと移行した。この点、戦後、我が国は先達が努力して国際社会への復帰を遂げ、経済・技術大国として国際社会へのプレゼンスを有したが、失われた20年とともにデジタル革命では米国及び中国と比して遅れを取る結果となった。したがって、足元では金融政策及び経済政策に加えて、働き方改革を進め、根本的な労働生産性の向上も急がねばならず、並行して、これらにより蓄積した基礎体力を基に次なる主戦場の分析とヒト、モノ、カネの戦略的投資を継続することが肝要である。また、関係の国際機関にも人的派遣を積極的に行い、情報交換と我が国主張のための環境を醸成していくことも重要である。以上のことを指摘して、本稿の結論とする。

【参照】
YOMIURI ONLINE:
https://www.yomiuri.co.jp/feature/quarterly/20180426-OYT8T50034.html


2018.11.09

題   改憲議論をいかになすべきか

 杉浦正健名誉学長を交えてのディスカッションは、名誉学長と受講生という同志の改憲への考え方を理解する上で大変貴重な機会であり、改憲を目指す上では広く国民の理解を得ていく過程が重要であると改めて痛感した。一方、特に国民の関心の高い第9条改正を議論する上では、受講生間でもその前提としての事実関係の認識に隔たりがあり、心ある我が党関係者がその事実関係を正確に把握し改憲議論を法理的に適切に推進することにより、広く国民の理解を促進していくことが重要であると考えた。そこで本レポートでは、第9条改正議論の前提としての事実関係について受講生と共有する目的で整理しておき、結びに自身の改憲論について記載する。
 まず大前提として、第9条を改正せずとも我が国防衛は可能であるということである。これは、現憲法施行後、戦後国際情勢の変化の中で我が国が随時解釈改憲を行っており、政府解釈の下で特に1990年代以降に個別法(周辺事態法、有事法制関連法、限定的な集団的自衛権の行使を認めた平和安全法制等)を整備してきたから、そして、政府解釈の下で着実に防衛力整備を推進してきたからである。では何故それでも第9条改正が必要かということである。ここで、政府解釈がいわゆる芦田修正を採用していないことから、我が国は自衛のためでも戦力を保持せず、「必要最小限度の実力」を保持するという立場であることを指摘せねばならない。この「必要最小限度の実力」については、他国領域で武力行使はできないという政府解釈に照らすと、自衛隊が公海及びその上空で敵を排除し得る能力ということに他ならないが、憲法上は明記されていない。だからこそ、第9条加憲は、実力組織である自衛隊を国の最高法規に規定することにより自衛隊の法的安定性を高めて違憲議論の余地を排除するとともに、既定の個別法との関係性を明示すること、今一つは、自衛隊の実力組織という位置付けの変化はないものの、憲法に明記することにより自衛隊に名誉を与えることを意味するから理に適っており、私は我が党の第9条加憲案(たたき台)に賛成している。
 安全保障を巡る世界の構図は劇的な勢いで変化している。我が国には悠長に議論している時間はない。改憲できずにほくそ笑むのは一部の近隣国である。私の改憲案の理想は概ね平成24年の我が党憲法改正草案のとおりであるが、改憲の難度が高い。そうであれば心ある我が党関係者が一枚岩となり、たたき台4項目に集中して、例えば第9条加憲については先の事実関係を確実に周囲と共有する努力を行い、国民の理解を促進していくことが最重要課題である。必要なことは議論を拡散することではなく、法理に基づいて論点を絞り、国民の理解を得て確実に改憲の成果を得ることである。この過程自体が国民の国家意識向上、ひいては我が国の抑止力向上に繋がると考える。

【参照】
防衛省HP:http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html
「「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書」(平成26年5月15日 安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)


2018.11.05

題 靖國神社について

 私が、靖國神社に初めて訪れたのは昨年のことです。靖國神社は、春に約500本のソメイヨシノが咲き誇る桜の名所としても知られており、夏であれば桜の葉が生い茂り、それらの香りと涼しさが楽しめるであろうと思いながら、境内をくぐりました。しかしその瞬間、私の目に最初に飛び込んできたのは、巡回する警察官の数の多さでした。伊勢神宮など他の社では決して見られない緊迫した光景であり、いかに靖國神社という場所が「政治的争いの場」になっているのかを、つくづくと痛感したのを今なお鮮明に記憶しています。
 「政治的な争いの場」になってしまう背景には、中国・韓国からの猛烈な批判がある。日本には、超党派の「みんなで靖國神社に参拝する国会議員の会」という議員連盟があるが、通常の国会議員時代には参拝をするが、ひとたび国務大臣となれば参拝を行わなくなるというケースの方方が圧倒的に多い。「責任ある立場になった途端に、靖國参拝は控える」、このことからいかに靖國参拝が中韓に配慮が必要な外交問題であるかということはよくわかる。
 しかし靖國神社に祀られているのは、先の大戦をはじめとして、国のために死した人々である。国のために死した人々を国家が責任を持って、永遠に弔い続けるというのは、世界的にはごく当たり前のことである。日本だけがそれを行わない、行えていないという現状は問題であり、解決策を探らなければならない。
 では、具体的にどうすればいいのか。杉浦先生とのディスカッションを通しても具体的な解決策というのは明示されなかった様に思えた。それだけに解決が難しい問題ということでしょうが、私自身はやはり総理が一貫して参拝をし続ければよいと考えます。中韓は靖國神社にA級戦犯が合祀されていることを現在は特に問題視していますが、仮に日本がA級戦犯を分祀したところで、次はB・C級と批判の矛先を変えてくることも十分に考えられ、切りが無いのです。最近で言えば、従軍慰安婦問題に関する日韓合意が顕著な例ですが、いくら外交交渉を行ったとして一度は政治的には決着をつけても、歴史認識問題は新たな一手を打たれやすいのです。靖國参拝もその例外ではなく、同じ末路をたどらないようにするためには、政権が連続性を持って、総理が参拝をし続けることだと必要だと考えます。そうすることで、中韓の日本に対する論難も徐々に弱まっていくものと考えます。
 杉浦先生は、先の大戦について「元寇くらい人々の記憶から浄化されるまで反省と謝罪を繰り返すしかない」という趣旨の発言をよくされますが、私もそれは一理あると思いますし、それも国家が果たすべき責任の一つです。しかしそれと同時に、日本のために死した人々を永遠に弔い続け、感謝と畏敬の念を示し続ける形を追及していくのも国家の責任であると私は考えます。それを体現化できる方法の一つが、まさしく靖國参拝なのです。


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