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2018.11.05

題 靖國神社について

 私が、靖國神社に初めて訪れたのは昨年のことです。靖國神社は、春に約500本のソメイヨシノが咲き誇る桜の名所としても知られており、夏であれば桜の葉が生い茂り、それらの香りと涼しさが楽しめるであろうと思いながら、境内をくぐりました。しかしその瞬間、私の目に最初に飛び込んできたのは、巡回する警察官の数の多さでした。伊勢神宮など他の社では決して見られない緊迫した光景であり、いかに靖國神社という場所が「政治的争いの場」になっているのかを、つくづくと痛感したのを今なお鮮明に記憶しています。
 「政治的な争いの場」になってしまう背景には、中国・韓国からの猛烈な批判がある。日本には、超党派の「みんなで靖國神社に参拝する国会議員の会」という議員連盟があるが、通常の国会議員時代には参拝をするが、ひとたび国務大臣となれば参拝を行わなくなるというケースの方方が圧倒的に多い。「責任ある立場になった途端に、靖國参拝は控える」、このことからいかに靖國参拝が中韓に配慮が必要な外交問題であるかということはよくわかる。
 しかし靖國神社に祀られているのは、先の大戦をはじめとして、国のために死した人々である。国のために死した人々を国家が責任を持って、永遠に弔い続けるというのは、世界的にはごく当たり前のことである。日本だけがそれを行わない、行えていないという現状は問題であり、解決策を探らなければならない。
 では、具体的にどうすればいいのか。杉浦先生とのディスカッションを通しても具体的な解決策というのは明示されなかった様に思えた。それだけに解決が難しい問題ということでしょうが、私自身はやはり総理が一貫して参拝をし続ければよいと考えます。中韓は靖國神社にA級戦犯が合祀されていることを現在は特に問題視していますが、仮に日本がA級戦犯を分祀したところで、次はB・C級と批判の矛先を変えてくることも十分に考えられ、切りが無いのです。最近で言えば、従軍慰安婦問題に関する日韓合意が顕著な例ですが、いくら外交交渉を行ったとして一度は政治的には決着をつけても、歴史認識問題は新たな一手を打たれやすいのです。靖國参拝もその例外ではなく、同じ末路をたどらないようにするためには、政権が連続性を持って、総理が参拝をし続けることだと必要だと考えます。そうすることで、中韓の日本に対する論難も徐々に弱まっていくものと考えます。
 杉浦先生は、先の大戦について「元寇くらい人々の記憶から浄化されるまで反省と謝罪を繰り返すしかない」という趣旨の発言をよくされますが、私もそれは一理あると思いますし、それも国家が果たすべき責任の一つです。しかしそれと同時に、日本のために死した人々を永遠に弔い続け、感謝と畏敬の念を示し続ける形を追及していくのも国家の責任であると私は考えます。それを体現化できる方法の一つが、まさしく靖國参拝なのです。


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