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2018.05.30

題 オリンピック・パラリンピックに対する私見2

 橋本聖子議員の講話を拝聴し、改めて自身の考えであるパラリンピックを廃止し、オリンピックの種目として、障害者が出られる競技をオリンピックで行う考えに自信を持つことができました。
 私は昨年16期のレポートでも同様の提案をしましたので、今回の表題は2としました。
私はオリンピック、パラリンピックと分けて開催する事自体が、差別ではないか?という思いがあります。オリンピックの中でオリンピック種目の1つとして、パラリンピックで行われている競技をすればよいと考えています。
当然、健常者も参加可能とします。例えば車椅子競技ならば、競技のルールとして車椅子を使うとするだけで、健常者も出られます。そうすることが本当の意味で健常者と、障碍者の垣根を無くし、差別を無くすことだと思います。
ですが正直、そんなルールで開催して健常者が参加した為に、結局障害者は能力的に負けで出られなくなるのではと言う一抹の不安は拭うことが出来ていませんでした。
でも、橋本聖子議員の講話で語られた、「オリンピックアスリートと、パラリンピックアスリートの脳の使い方を調べたところ、オリンピックアスリートは左脳だけだったが、パラリンピックアスリートは右脳も前頭葉も全て使っていた」とのお話を聞き、障害者だからこそ、障害を補う為に脳が健常者を凌駕する能力を発揮できている科学的な証明がなされたと感じ、その不安も一掃されました
当然物理的な問題も多々出るでしょう。ですがそれを乗り越える工夫こそがバリアフリーと思います。
 具体的には公平なルールを定める事です。平等と、公平は意味が違います。平等は個人差関係なく同じルールにする事を意味していますが、公平は、同じ結果が出るよう、個人差を考慮することです。例えば既に多くのスポーツ競技で男子、女子と分けがあります。これは、男女よる違い、筋力差で明らかに結果に差がつくためです。これは公平の考えがあるから男女分けとなっています。全てで男女平等としてしまったら、オリンピックの殆どの競技に女性は出られなくなるのは、今の選手の記録を見ても明らかです。因みに自動車、オートバイ等のモータースポーツ競技では男女分けは在りません。ルールは平等の考えです。機械の性能で身体能力を補える競技だからです。この考えも合わせて、健常者、障害者と公平になるルールを設けることで、オリンピックの種目として開催可能と思います。
 東京オリンピックで、突然パラリンピックを無くす事は不可能でも、新しいオリンピックとして1競技だけでもオリンピックの中で行う、開会式、閉会式にも障害のあるアスリートが一緒に参加するバリアフリーの新しい提案をすれば、2020年東京オリンピックは、歴史に名を残すオリンピックになるのではないでしょうか?これこそがオリンピックのレガシーになるのではないでしょうか?


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